勇気
「撃ち落とせ。どこの人間とも判らん奴らに頼っていられるか。俺の町は、俺の力で守るのだ」
町長のマコトが過度に装飾を施された鎧を身に付け、自警団に命令を出す。上空に向かって打ち出された石はワイバーンの翼によって生み出される風圧により上昇する速度を減殺され、標的に届く事は無かった。上昇することを止めた物が上空に留まるという道理は存在しない。今度は重力に引きずられ石は地面に降り注ぐ。百を超える人間の頭程の大きさの石は路を穿ち、家々の屋根を突き破り、逃げ惑う人々に直撃する。
皮肉な事に、この日最初の犠牲者は他ならぬ町長の命令によって生み出される事になった。
「おのれ、ドラゴンめ。物理反射とは小賢しい。構わん。打ち続けろ」
激昂したマコトは口角から泡を飛び散らせながら、血走った目つきで傍らに控える自警団長に攻撃続行の命を下す。正確にはドラゴンではなくワイバーンであり、物理反射でもない。
「しかし、町長閣下。我々の攻撃手段では、目標を殲滅する事が出来ません。住民の避難を優先させたほうが賢明かと……」
そこまで口にした自警団長は、それ以上永遠に言葉を続ける事が出来なくなった。逆上したマコトが自警団長の左の肩口から、持っていた装飾ばかりが豪華な剣で斬り付けたのだ。
「俺は町長だ。指図するな。何故俺が金を払って雇っている人間に指図されなければいかんのだ。……くっ。剣が抜けん。どうなっているのだ。おいそこの者、俺の剣をこの愚か者から引き抜け」
剣を遣い慣れていない者が人を斬り付けると、鍔元まで人体にめり込ませて止めてしまうので、度々抜けなくなる事がある。市販されている様な、まして高価なだけの装飾が施された剣は、人間の骨を数本断っただけで刃毀れを起こし、ただの尖った鉄の塊に成り下がってしまうのだ。
「愚かな事を」
肉の塊に成り果てた自警団長だった死体から、ほうほうの体で刀を抜き取ったマコトを見て、和美は呟いた。上空で同じ光景を見ていたであろうワイバーンは一声啼くと下降を始めようと体をくねらせ始めた。
「いけない。降りて来ます」
ナオが蒼白な顔で叫び声を上げる。
「こんな所で降りてこられたら、只じゃ済まないぞ」
グングニルがうろたえた様な声を絞り出す。
「アンジェリナ殿。じ、自分がワイバーンを引き付けます。その間に住民を連れて逃げてください」
ケイが硬直した顔で声を震わせながらアンジェリナに提案する。一瞬驚いたような表情を見せたアンジェリナだったが、優しく微笑むとケイの肩に自分の手をそっと置いた。
「ケイさん、気持ちは在り難い。でも、勇気と無謀を履き違えるな。あなたの勇気を必要とする場所はここではないよ」
肩に置かれた掌から、微かにアンジェリナの体温が伝わってくる。初めて会ったあの日に感じた安心感がケイを包み、硬直していた心と体を解きほぐしていく。
「ですが、アンジェリナ殿。自分は……」
何の役にも立っていない。そう付け加えようとした時、アンジェリナは頭を振ってケイの顔を見つめた。
「大丈夫、あなたは私の大切な仲間だ。もう充分、私たちは助けられているよ。そんなに自分を卑下することはない」
それだけ言うとアンジェリナは表情を変え、全員を見渡して指示を出していく。
「ナオとユミさんは怪我人の手当てを。和美殿とケイさんは高台にある投石機を一台占拠せよ。人死が出なければ、多少の実力行使を許可する。グングニルは商店から油や火薬など、可燃性の素材を持てるだけ運び出せ。代金は後で払う。高台のケイさんに渡せ。合図があったらワイバーンに向かって投石機で射出しろ。後はどうにかする」
アンジェリナは全員の返事を聞く前に走り出した。
町の中心に近い広場で指揮を取っていたマコトの前にワイバーンは降り立った。全長十メートルを超える、翼を持った巨大な爬虫類の亜種は、やはりアンデッドと化し、腐乱臭を辺りに撒き散らしていた。その異形さを目の当たりにして、マコトは足が竦んだ。自らの部下の血を吸った剣を頭上で振り回してうわずった声で命令する。
「俺を守れ、この町で一番偉い町長のこの俺を守るのだ」
金と権威だけを信じている上官に付いてくるおめでたい部下は一人も居らず、自警団員たちは我先にワイバーンの視界から遠ざかろうと武器を捨てて逃げていく。
喚き立てるマコトに一瞥をくれると、ワイバーンは大きく口を開いた。人間の可聴域を超えた快音波は、空気を伝い人間の三半規管を揺さぶった。突然視界が歪み、立っていられない程の眩暈が襲う。マコトは膝から崩れ落ち、胃の中の物を嘔吐した。自分の吐瀉物で自慢の高価な鎧を汚しながら、両手で耳を押さえて意味を成していない叫び声を上げる。
不快な金切り声の主に照準を合わせたワイバーンは必殺の一撃を繰り出す為に間合いを取って一歩、二歩と後ずさる。大きな啼き声と共に鞭のように鋭く残忍な尾が、マコトの胴体を泥人形のように粉々に砕く。その一瞬前にアンジェリナは身を投げ出してマコトの体を地面に伏せさせていた。救出したと安堵したのも束の間、アンジェリナはマコトの体の首から上が無くなっている事に気が付いた。
「間に合わなかったか」
視界の隅にマコトの首だったものが顔の穴と言う穴から体液を流して転がっているのを確認したアンジェリナは、首の無い胴体を置いて素早く起き上がった。一箇所に留まっていては狙われる。戦場で立ち止まる事は、死に直結するのだ。
続くワイバーンの鉤爪での攻撃を余裕を持ってかわすと、アンジェリナは側面に回りこみ腰に下げた虎鉄を一閃した。人間の胴体を易々と両断する一撃はしかし、ワイバーンの不吉な黒く硬い鱗に弾き返され、さしたる損傷を与えられなかった。アンジェリナの手に微かな痺れが走る。
「やはり、物理攻撃で仕留めるのは難しいか」
攻撃を諦め、素早く刀を鞘に納めると、アンジェリナは辺りを見回した。高台の投石機が良く見える場所にワイバーンを誘導する。こちらから和美とケイの姿は確認出来なかったが、今は彼等を信じるしかなかった。アンジェリナは時間を稼ぐため、故意にワイバーンの視界から外れない程度の距離を持って町を逃げている。広い場所でなければ恐ろしい尾による攻撃は出来ない。ワイバーンがどうにか通れる広さの路地を選んで走り、用意が整うのを待った。
ワイバーンと対峙して五分以上経った所で、意を決してアンジェリナは腰に下げた袋からクォーツを一つ取り出した。
「ほら、ご所望のクォーツだ」
互いに共鳴し、妖しい輝きを放つクォーツを、アンジェリナは力の限り上空へ向かって放り投げた。
「来た。合図だ」
グングニルが緊張した声を張り上げて、クォーツを指差す。
「任せましたわ。ケイさん。この中で一番眼の良いあなたに」
和美は放り出されたクォーツに導かれるように上昇していくワイバーンを見た。ケイは呼吸を整え、照準を合わせた。唾を飲み下し、覚悟を決め引き金を引いた。
投石機のバネは解除され、弾性の力によって放出された樽が放物線を描いてワイバーンに向かって飛んでいく。
ワイバーンは大きく口を開けると、アンジェリナの放り投げたクォーツを飲み込むと、同時に油の入った樽を顎で粉砕した。粘度の高い大量の油がワイバーンの体内に流れ込む。
その光景を地上で見上げていたアンジェリナは次の攻撃に向けて、虎鉄に魔力を込める。
クォーツを飲み込み、空中で体を翻すと、残りのクォーツを欲してワイバーンはアンジェリナに向けて急降下してくる。大きく口を開けて、クォーツの所持者ごと飲み込もうと突進してくるワイバーンにアンジェリナが腰の刀を抜刀した。炎の魔力を帯びた斬撃は忽ちワイバーンの体内の油に引火して、体の中から燃やそうとする。普通の魔物であれば体を焼かれ息絶えるところだが、ワイバーンはもがき苦しみながらも雄叫びを上げ、殺意を漲らせて尚もアンジェリナに襲いかかろうとする。
「やはり、炎の耐性か」
クォーツを所持するアンデッドは炎の魔力に耐性を持っている事は確認していたが、体を焼き尽くす炎に耐えられるとは思っていなかった。
アンジェリナが次の策を案じようと距離を取った刹那。大魔法が発動し、聖なる光の矢がワイバーンに降り注いだ。大地を揺るがす様な振動と共に無数に飛来した光の矢がワイバーンの体を地面に縫い付けた。




