自問
異変に気付いた住人たちは既に恐慌状態に陥っていた。禍々しい漆黒の鱗に淡い月の光を反射させながら、時折り耳障りな超音波のような啼き声を発して、ワイバーンは上空を旋回している。
「探しているのか。クォーツを」
直ぐに襲ってくる事はなさそうな様子から安堵したアンジェリナだが、事態が好転した訳ではない。駆けつけた和美、ケイ、ナオ、グングニル、ユミと顔を見合わせると大気を震わせて眼下を覗き込んでいるワイバーンを見上げる。
「あれが希少種のレリクスか……」
初めてみる異形のワイバーンに、ケイの声は恐怖で震えていた。
「このまま何もしてこないって訳じゃないですよね」
杖を両手で掴みながら、遠慮がちにナオが口を開いた。
「やつもこれだけ多くの人間を見るのは珍しいのではないか。刺激しなければ、住民を逃す時間は稼げるかも知れない」
旋回する黒い影から眼を放さずにアンジェリナは呟いたが、自分の言葉が希望的観測に過ぎない事を充分に自覚していた。
「あれだけ高く飛ばれては魔法や真空波、弓も届かない。翼を凍りつかせるか、皮膜を焼き払うか、腕ごと切り落として羽ばたけなくするか。……いずれにしても討伐するのであれば、地上に引きずり降ろさなければ手の打ち様が無いな」
思案したアンジェリナだが、どれも現実的には難しい。
「たとえ地上に降りて来たとしても、私の魔力ではとてもじゃありませんが、ワイバーンの鱗を貫けません。皆さんの補助程度が限界です」
伏目がちにナオが耳を畳みながら申し出るが、アンジェリナにはそれは判っていた。ナオとケイ、グングニルはまだ冒険者としては非力だ。希少種のワイバーンを相手にするのは荷が重い。畢竟、戦力は限られ、和美とアンジェリナの二人でこの状況を打開しなければならなかった。
その事を自覚していたケイは硬く拳を握り締めていた。数ヶ月前、アンジェリナに村を救われそのまま同行していたが、自分は何一つアンジェリナや和美の役に立っていないのではないか、と言う自問が沸き立ち、己の唇を噛み締める。
アンジェリナと出逢った、あの日。
村役場に勤めながら自警団に入り、大事なものは自分たちの手で守れると自負していた。その驕りはたかが数匹の魔物の前に打ち砕かれ自警団は壊滅。何故、大戦でも無傷だった自分の村が襲われたかは定かではないが、多くの仲間が犠牲になった事実は変わらない。魔物に喰い荒らされ、もはや人の形でなくなってしまった自分の知り合いたちの肉塊が血を垂れ流しながら地面に転がっている。どうにか住民を逃す時間は稼げたものの、矢は底をつき、弓は折れ、もはや何も出来ずに仲間の後を追って死を待つだけだった自分に、突如、金色の獅子の意匠を施された刀を手にする美しい女性冒険者が声を掛けてきた。
「……よく頑張ったな。後は任せろ」
その後の女性冒険者の鬼神のような戦いをケイは眼に焼き付けた。
数分後、村の自警団の男たちが総出で戦っても一匹も仕留められなかった魔物は、たった一人の女性冒険者によって殲滅させられ、骸を大地に晒す事になった。
武器を持った只の住民と冒険者では、これほどまでに強さに違いがあるものなのかと、ケイは痛感させられた。強くならなければ大事なものを守る事は出来ないのだ。
魔物から剥ぎ取った素材を、命を落とした自警団の遺族に分け与え、遺体の埋葬と死者への祈りを捧げ終わると、立ち去ろうとする美しい冒険者に、ケイは駆け寄っていた。
決して追いつけない背中と判っていながら、ケイはアンジェリナに付いて行こうと決めた。理由は判らなかったが、自分の命を預けるのはこの人しか居ないと直感的に思ったのだ。
ケイが決意したあの日と同じ様に、村は恐怖の坩堝にあり、住民たちが恐怖の声を上げて逃げ惑っている。
「アンジェリナ殿、自分に……」
ケイが口を開いた刹那、事態は一変した。
人間の頭蓋骨程ある大きさの石が四方から上空に向かって射出され、上空を旋回するワイバーンに殺到する。
「今攻撃したら、地上に居る住民にも被害が出てしまいますわ。誰がこのような愚策を」
和美が感情的な声を張り上げ、辺りを見回す。駆け出して村全体が見渡せる見張り櫓に取り付き、半分ほど梯子を昇った所で、事態は知れた。投石機と呼ばれるバネの弾性の力のみを動力とした城攻めなどに用いられる兵器が、上空のワイバーンに狙いを定めている。
「投石機ですか。あんな旧式の児戯で……」
現在流通している投石機は魔力を原動力にしているものも多い。運用するのに費用はかかるが、格段に飛距離や破壊力は向上する。バネの弾性の力を動力とした旧式の投石機で希少種のワイバーンに挑むなど自殺行為に等しい。眉を顰め苦々しく吐き捨てると、和美は梯子を降りてアンジェリナたちの所へ戻っていく。
地上に居る人間に対してなら、旧式の投石機でもそれなりの効果は期待できるが、相手は上空にいる魔物である。上方に向かって打ち出すことにより生み出される位置エネルギーを、落下の運動エネルギーに変換して攻撃に利用する事を目的に運用されるのが投石機であり、空を飛ぶ魔物を打ち落とす兵器ではない事は冒険者なら誰でも知っている事である。
「とにかく、投石機からの攻撃を止めさせないといけませんわ。町の建物や住民にも被害が出てしまうでしょうし、わたくしたちも迂闊にワイバーンに近寄れませんわ」
「対空兵器ではない投石機を使って戦おうとしてる素人が誰であるかは判らないが、放ってはおけない。いずれにせよ、自警団長を見つけて止めさせる必要があるな」
戻ってきた和美の意見を肯定したアンジェリナは、投石機に指示を出している、神経質そうな金きり声を聞いた。それは先刻自分たちの調査機関に立ち退き命令を下した男の声であった。




