対峙
三作目になります。懲りずに始めましたので、お付き合い頂けると幸いです。
今回の話では、影の薄い主人公アンジェリナが以前より少し活躍します(予定)
ミーミル山道の丁度半ば、眼下にエルドラゴ第二の都市ブリギッドを見下ろすことができる広場へ続くなだらかな階段が連なる道に、二つの人影が対峙している。
一方は片手剣と盾を携えた男性冒険者。浅黒い肌の頬の痩けた顔に無秩序に伸ばされた灰色の髪。武器は最新の形状に強化、改良されているが、盾は罅割れ、刀身には刃こぼれが見える。体の数ヵ所に真新しい刀傷が刻まれており、浅黒い肌の傷口から不気味な程黒い血が滴り落ちて居る。
既に肩で息をしているが、眼光は血の色を帯びたように紅い光を放ち、対峙する相手を呪詛の念を込めて凝視している。一歩、二歩と相手の圧力に押され後退しながらも、一瞬の隙も見逃すまいと身を低くして、獣のような唸り声を口元から放っている。
その眼光の先に立つもう一方の人影は、全身にグリモアと呼ばれる魔術を施された青みがかった白い絹の様な光沢のある素材で縫われたローブを纏った、背の高い冒険者だ。両手で扱う刀を重さを感じさせない動きで振るい、ほぼ無行の構え(ノーガードの事)で相手との間合いを詰めていく。こちらはローブに一つの解れもなく、全くと言って良い程の無傷である。事実、男はこの冒険者に一太刀も浴びせる事ができていない。手にした刀は打刀と呼ばれる直刀で徒歩戦に特化して鍛え上げられた逸品だ。片刃の刀身は金色の輝きを放ち、柄には猛る獅子の意匠が施されている。
息一つ乱さず何の躊躇もなく歩み寄る冒険者のフードが山間からの突風によって捲れ上がり、素顔が外気に晒された。
亜麻色の艶のある肩まで届く髪の下には、十人居れば八人以上が美人と言うであろう色白で端正な女性の顔があった。冒険者と呼ぶには剰りに似つかわしくない美しい顔が、何の感情も読み取れない彫刻のような冷たい視線で、唸りを上げる男を見据えている。その首元には、姿を持たない一神教の神を守護する天使の羽と輪が象られた首飾りが輝いていた。
女性の顔を見た事が合図であったかどうかは定かではないが、男は一際大きな叫びを放つと盾を構えて突進してきた。並みの冒険者なら全身の肌を粟立たせて緊張する場面であったかも知れないが、その獰猛な叫びは女性には春の野に吹くそよ風程度の動揺も与える事が出来なかった。
持っていた大振りの刀を無造作に片手で構え直すと、女性は上半身を翻して鋭い突きを繰り出した。刃に込められた冷気の魔力が辺りの空気を凍てつかせ、氷の刃となった刀身が男の構えた盾を強か穿つ。
既に罅が入っていた盾は乾いた音を立てて砕け散りその衝撃で男は突進を阻まれ、逆に二、三歩後退を強いられた。盾を失った男は再び奇声を上げて、手にした片手剣を投げ捨て腰に下げていた小振りの斧を振り上げて女性に躍りかかった。渾身の力を込めた一撃はしかし、女性が片手で翳した刀にあっけなく弾き返された。相手の体勢が崩れるのを見届けた女性は間合いを詰めて片手で握っていた刀を両手で構え直し、下段から一気に振り上げた。
雲の合間から射す淡い陽光に照らされた刀身の残像が、地面から女性の頭上に弧を描くと男の右手首は斧を握ったまま切断された。傷口は刃に宿る冷気で一瞬で凍りつき血飛沫を上げる事も出来なかった。
普通の人間なら倒れ込む程の傷を受けながらも男は切断された手首を押さえながら、尚も女性を睨み付けその場に立ち続けている。
「ばかな。何故倒れない」
女性の背後に続く山道を駆け上がってきた弓を背負った若い男の冒険者が叫んだ。
盾も武器も、片手さえも失った男は戦意だけは失わず、狂い出しそうな形相で威嚇の声を上げると、両断され足元に落ちているまだ斧を握ったままの、凍りついた自分の手を拾い上げ女性に向き直ろうとした。
その刹那。
音もなく間合いを詰めた女性の刀が地面と水平に払われると、男の首と胴体は永遠に別れを告げた。
本来なら体を流れる血流の働きで上方へ飛び上がる筈の首は、切断面の血液が一瞬で凍りついたので、重力に引かれそのまま地面に転げ落ち、階段を上ってきた冒険者の前で回転を止めた。
死の瞬間の憤怒の形相と眼を合わせてしまった冒険者は一瞬たじろいだが、直ぐに己の役割を思い出し、腰に下げている袋から小瓶に入った聖水を取り出すと足元に転がる下半分が凍りついた首に振り掛けた。言い様のない異臭と大量の紫がかった煙を巻き上げて、首は跡形もなく蒸発していく。
階段の上では同じ事を女性冒険者も行っていた。こちらも同じように異臭と煙が立ち込めた後、胴体だった物の跡に一つの小さな球体が残された。ガラスで出来たような人間の眼球程の大きさのその球体は、内部に蒼い炎を揺らめかせながら不規則な輝きを放っていた。よく見ると炎の奥で何か文様のような物が浮かび上がっている。
女性は腰を屈めて球体を拾い上げると、弱い日の光に透かして中の文様を覗き込んだ。
「ジェミニ……。私の生まれ月の星座だ」
誰に聞かせる訳でもなく、女性は呟いた。
聖水の小瓶を腰の袋にしまって、男が階段を駆け上がってくる。
「やはりこいつもアンデッドになってましたね……」
不気味そうに男は胴体があった場所と女性が手にする球体を交互に見やった。
「アンジェリナ殿」
球体を手にしたアンジェリナと呼ばれた女性は我に返ると、短く返事をした。
「ああ、……そうだな」
眼下から吹き上げてきた風に美しい髪が靡くのを疎ましそうに片手でおさえながら、アンジェリナは雲海の彼方を見つめていた。