ミト
「よがっだぁああああ、ほ、んどによがっだぁあああああ!!」
「鼻水、鼻水すごい垂れてる鼻水。そんなぶっかけプレイとか期待してないから」
泣きながら鼻先を擦りつけようとしてくるドラゴニュートを必死に押しとどめる。
このゲームで言うドラゴニュートとは、二足歩行するドラゴンだ。見た目もかなり厳つく、リアルで見るとかなり迫力がある。
そんなドラゴニュートの顔からとめどなく溢れる涙と鼻水に気圧されつつも、私は出来る限り優しい声で相手を宥めることに徹した。
「し、し、死んじゃったかとおぼっで」
「うんまぁ死んだは死んだけど平気だから」
「うぐ、うぐっ」
「いや、あんなとこ突っ立ってた私も悪かったし、そっちも気づいてなかったみたいだし」
「ご、ごべんだだい」
「いやうん、いいから。もういいから」
涙を拭ってあげたいとも思うが、あいにくと布など身につけているローブくらいしかなく、これでぬぐったら涙の二滴で全身ぐっしょりになりそうだ。
なにせこのドラゴニュート、非常に体が大きい。私の現在の体がとても小さいのでそう感じるのかもしれないが、それにしたって大きい。全長30㎝有るはずの私の体が、少し丸まれば両手の中にすっぽり収まりそうなほどだ。
とにかく落ち着かせた後、なぜか丁寧に雪が盛られていたドロップアイテムを掘り出してもらい、100メルエンとポーションを回収する。
それから、雪原にいるとスリップダメージを受けることを説明して、私はいまだに鼻をすすっているドラゴニュートをつれて近くの町へ移動した。
一人で雪原へ向かったときと比べて半分の時間もかからず、私たちは町にたどり着いた。
さっそく先ほどの宿屋に入って適当な席に着く。そも暖をとって休憩するだけなら支払いの必要はないらしい。
1メルエンで食べれる温かいスープを頼んで、私たちは自己紹介をすることにした。
お腹が空くわけではないが、この世界では飲食が可能でちゃんと味もある。摂取に時間がかかるものの、少量の回復効果やステータスアップ効果があるので、料理スキルがあると旅も楽しそうだ。ちなみにこのスープも一応体力回復効果があるようだ。
スープを前にお行儀は悪いかも知れないが、私はテーブルの上にそのままあぐらをかいた。なにせこの体でイスに座るとテーブルが頭上に来てしまうのだから仕方がない。
対するドラゴニュートはやっぱり体が大きいらしく、イスもテーブルも彼が使うと小さく見えた。
彼の名前はミト。まぁ当然ではあるけれどレベルは1のドラゴニュート。職業は防御面に特化した前衛職のナイト。
水龍タイプのようで、綺麗な青い鱗に虹色をした魚のヒレがついている。ひっぱったりするとそれなりに痛いらしい。
武器はショートソードにラウンドシールド。防具はさすが重量級の騎士とあって、初期装備でも胸部を覆うプレートメイルにガントレット、アイアンブーツと防御面ではかなりしっかりしているように見える。
「え、じゃあ本当に初心者なの?」
「はい。ちょっと暇を持てあましていたら、友人にこのゲームを勧められて」
MMORPG自体経験がないらしく、これが初めてなのだという。
「もしかしてどこかで待ち合わせとかあったんじゃ」
「いえ、友人と合流するにしてもまずはゲームに少しでも慣れておこうかな、と」
まだ始めたことは伝えてないんです、とミトは目を細めた。
いかつい顔だが、柔和で細い声と豊かな表情が相まって、少し可愛らしい。ドラゴンの美的感覚を持ち合わせているわけではないが、なかなか男前なのではないだろうか。そも、私はこういったいかにも人外ですという生き物が非常に好きなのだ。
中途半端に耳や尻尾が生えているよりも、まるっきり人間離れしている方がいかにもファンタジーらしくて良い。当然この世界にだってハーフビーストやハーフドラゴンといった、もっと人間の外見に近い人気の高そうな亜人もいるのだが、あえてこのドラゴニュートを選択したミトも、どうせなら人間ぽくないものを経験してみようと思ったのだそうな。うん、ミトとは良い酒が飲めそうだ。私はまだ飲める歳じゃないけど。
ミトは初めて経験したVRのファンタジー世界に少し興奮しているようだった。
最初の一歩を踏み出したとき、目の前に広がった広大な雪景色。満天の星空にかかるオーロラ。身の引き締まるような冷たい空気にさらされつつもその光景に目を奪われて、足下の違和感に気づくのが遅れてしまったのだそうな。
たしかに、体感型MMORPGが初めてなら感動的なのもよくわかる。
このゲームではなかったけど、私も初めてその手のゲームをプレイした時は、ぼんやりフィールドを眺めるだけで何時間でも過ごせたものだ。
いや、ここだってあの無駄にリアルな寒ささえなければ、もっとぼんやりしていただろう。あの星空は他のゲームを経験していた私でも、息を呑むほど綺麗だった。
「でも、武器で叩いたりしたわけでもないのに誰かの命を奪うことになるなって思ってもみませんでした」
そう言ってしょんぼりと肩を落とすミトに、私はふむ、と顎を撫でる。
「種族特性じゃないなら、ウェイト特性なのかもね」
「ウェイト特性?」
「ある一定以上の重量差を持つキャラクター同士の場合、その踏みつけるっていう行為自体が攻撃の意味を持つんじゃないかなってこと」
「はあ」
首をかしげるミトに、私はぽんとテーブルを蹴って肩の上へと飛び乗った。
「たとえば、私みたいな小妖精はウェイトも凄く軽いから、こうやって誰かの上に乗ってもダメージにはならないわけ」
痛くないでしょ? と聞くと、ミトはうんうんと何度も頷く。
「でもミトみたいなドラゴニュートとか重量のあるキャラは、一定以上のウェイトを持つキャラやモンスターを除いて、のし掛かったり踏んづけたりするだけでダメージを与えられる仕様なんじゃない? 勿論体格差で受ける影響も変わってくるだろうけど」
自分とミトの体格差を考えれば、リアルさを追求している以上当然の仕様と言ってもおかしくはない。
「じゃあ足下には気をつけないといけませんね」
「そうだね。ただ、町の中みたいなそもそも危害を加えたりすること自体が出来ない場所なら、どれだけ攻撃してもダメージにはならないからもっと肩の力抜いてもいいと思うよ」
「そうなんですか?」
「試しに殴ってみなよ」
「え?」
再びテーブルに飛び降りた私は、大きく両手を広げてミトを見上げた。
「ほら」
「い、いや、そんな。いくらダメージにならないといってもそんなこと」
「いいからほら」
「出来ませんよ、こんな小さな妖精さん相手にそんなこと」
「いいから殴りなさいってば!」
「む、むりです!」
「殴ってくださいお願いします!!」
「えええええ!?」
結局殴っては貰えなかったが、ミトとの会話は彼の雰囲気も手伝ってか和やかで楽しかった。
話も弾んだところで折角出会ったのだからと互いにフレンド登録し、チュートリアルもかねているらしいこの町のクエストを二人でやってみようという事になったのはごく自然な流れだろう。
やがては彼も親しい友人達との冒険に明け暮れることになるのかもしれないが、オンラインゲームではこの一期一会をめいっぱい楽しむのが私のポリシーだ。
クエストはまぁ予想していた通りというか、宿屋のおばちゃんが出してくれた。
【クエスト:ウサギ狩り】
推奨レベル:1
報酬:100メルエン
雪原ウサギの柔らか肉を5つ集めましょう。
雪原でがっくりと膝をつくミトの肩に座りながら、私は慰めるようにぽんぽんと頬を撫でた。
「僕は……僕はどうしたら」
場所は先ほどのスタート地点。周囲には、雪のように白い毛皮の、もふもふとした愛らしいウサギ。
レベルはおおよそ1から3で、小さいモノほどレベルが低い。
「小さいヤツだったら、ミトなら一撃なんじゃない?」
「そんな……そんなこと」
こんな可愛い生き物相手に武器を振るうなんて、と声を震わせるミトに、しょーがないなぁと私は肩から飛び降りて、悩んだ末にロッドを構えた。まだ魔法スキルは一つもないので、いわゆる鈍器だ。狙うはレベル1の子ウサギ。
「せぇい!」
「ぴきっ」
これもまた、良くも悪くもリアルだった。
体は攻撃するという意思に反応して接近から攻撃に至るまである程度動きを助けてくれる。なのでこちらは極力身を任せるようにしてロッドを振るうだけだ。
しかしながら、ロッドから伝わってくる柔らかく骨のあるモノを叩いた感触。それは過去にプレイしたどの体感型MMORPGにもなかったもので、流石に少し罪悪感を感じてしまう。
なんていうか、凄く痛い。ぶたれたわけでもないのに痛い。
そんな躊躇をしていたせいだろうか、こちらが敵であると認識した子ウサギの反撃をまともに受けてしまう。
後ろ足から繰り出される強烈なキック。軽々と吹き飛ぶピクシーの体。レベル1だろうとウサギだろうと、しっかり通るダメージ。受け続ける凍結スリップと合わせて、元からかなり低い体力は既に70%を切っている。
どうあがいても紙です。本当にありがとうございました。
「ユーリさん!」
ダメージそのものはそこまで大きくなかったが、かなり派手に吹っ飛んだせいか、ミトが悲痛な声で私の名前を呼んだ。
大丈夫だ問題ない。こんなウサギの10匹や20匹、ちょっと宿屋と往復しつつ頑張れば今日中には倒せる。そう励ますべく体を起こすとのと、ミトのショートソードが一撃で子ウサギを仕留めるのはほぼ同時だった。
低く腰をかがめた姿勢から、真横に一閃。子ウサギの白い体と雪に、赤い飛沫が飛ぶ。
ここが寒い地域だったのは幸いだったかもしれない。息が苦しいほどの極寒でも、わずかに感じる血の臭いに私は小さく頭を振った。
「ユーリさん、無事ですか?」
「へーきへーき。ミトの方がよっぽど酷い顔してる」
私を心配して青ざめているのか、ウサギを斬りつけた感触や飛び散った血に青ざめているのか、あるいはそのどちらもか。
立ち上がろうとすると、ミトが膝をついてそっと手を差し伸べてくれる。それが身長差ゆえに必要な姿勢だったとしても、まるで本当の騎士のようで私は思わず笑ってしまった。なんだかひどく安心したのだ。
「ありがと」
差し出された手に捕まって立ち上がると、ミトの方も少しだけ顔色が良くなった。
「いえ、こちらこそ……最初から僕が頑張っていればユーリさんを危険にさらすこともなかったのに」
「冒険に危険はつきものだし、ミトもちゃんと戦ってくれたじゃない。今は役割分担出来るスキルがあるわけでもないし、とにかく二人がかりで端からウサギを叩いてまわろう?」
「……わかりました。万が一ポーションが切れたら町まで走るので言ってくださいね」
きりりと真っ直ぐな視線を向けてくるミトに、私は拳を突き出す。
「頼りにしてるよ相棒!」
そこに私の拳の何倍も大きなミトの拳が重ねられた。




