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「結婚生活なんか、こんな簡単に壊れてしまうなんて、思っても
みなかったわ」
東年子は庭の鉢植えの菊の花を見ながら、寂しそうに笑った。
「別れても、前の御主人が生きてらっしゃるだけでもいいのじやな
い?」
佐和子にはほんとうにそう思えるのである。安養寺保育園に子供
を預けている女性達のうちに、離婚している人が五、六人いると聞
いてはいたが、彼女らは夫と死別した自分より、幸福度が一段上だ
と思えてならない。
「あんたがそう云うのは無理ないわね」
「そうよ...。子供に、どうしてもお父さんに会いたいって云われ
た時なんか、もう大声で泣いてしまったわ。弘隆がかわいそうでたま
んなかった。そんな時は、いろいろ説明するのよ。でも、まだ無理な
の」
「私だって同じ...。伸雄にはお父さんは亡くなって天国にいると
云ってあるのよ」
年子は急に声をひそめた。二人は縁側に座って話をしていたので、
玄関で娠やかに遊んでいる子供らに聞えるはずは無かったが、二人共、
子供達の声のする方へ顔を向けてしまっていた。
「でも、やはり事情は私とこと違うわ」
「いいえ、あなたの方が気楽だわ。却ってさっぱりして」
「子供から、父がほしいと云われたり、成人してわけが分かったり
した時、そりゃ、お父さんと呼べないかもしれないけど、現に生き
ておられるのだから、どれ程心強いか...」
「あんたの気持は分かるわ。だけどね、私はどんなことかあっても会
わせたりしないわよ。慰謝料の交渉した時の相手方の言葉や態度。
他人も他人、あれほど憎らしい他人はなかったわ」
年子の目は澄みきった空に向けられている。目の中で涙がきらきら
光った。
その日は日曜で勤めが休みだった。佐和子は久しぶりに蒲団を竿
に掛けたり、縁側に置いたりしたあとで、翌日が体育の日の祝日で
もある気楽さから、弘隆と久しぶりに公園を散歩する気になった。
弘隆が電車に乗りたいというので、そのまま大阪へでも行ってみよ
うか、と思いながら歩いていたが、蒲団を干しておいたのに気付
いてやめることにした。
道路はなだらかではあるが、登りになっているので、春日大社の
方へ曲る小路にさしかかると、背中が汗ばんできた。弘隆も顔が赤
くなっていた。佐和子は立ち止って、弘隆のカーディガンを取った。
新薬師寺へ行くのであろう、観光客が三々五々、足どりも軽く目
の前を通つて行った。家族連れが多かった。夫と子供と一諸の三十
歳前後の女が、特に佐和子の目にとまった。彼女らの表情は子供の
よりも明るかっだ。
佐和子は憎しみの感情がしだいにわいてきて、顔が青くなってい
くのを意識した。馬鹿なことを、自分を不幸だなんて考えるのは止
そう、人の幸福を妬むのは悪いことだ、と自分に云い聞かせようと
した。頭がくらくらしてきた。
佐和子はそばを通る人の顔を見ないで、山の方へ目を向けた。春日
山の原始林がおおいかぶさるように近かった。無数の茶色の木肌が
鈍い光を放ち、山全体から感じられる暗さを救っていた。薄(すす
き)の群れが、右にも左にも、遠く近く白い穂を光らせていた。彼女
は歩き出していた。
かさかさ音を立てる道には、落葉がもう一面に敷かれていた。次
々と観光客がやってきたが、佐和子は彼等の顔を見なかった。両側
から樹々が踏み分け道を包むように立っているので、本の葉の間か
ら日の光がわずかにこぼれていたが、あたりはちょっと陰気な感じ
だつた。
彼女は一昨年の暮れ、やはりこの同じ路を、弘隆と通ったことを
思い出していた。
あの年の九月三日の夜、佐和子の夫は帰宅途中、大阪から奈良に
通じる自動車道で交通事故のため亡くなった。即死だった。
彼女はそれを知らされる迄、夫の帰りを待ちながら、鼻歌まじり
に買ったばかりのミシンで刺繍をしていた。弘隆がいつものテレビ
漫画を、あまり真剣な目つきで見ていたので、弘隆の側を通りすが
りにひやかして電話の受話器を耳にあてたとたんに、生活は破綻し
た。受話器を置くと、佐和子は弘隆の横に座ってテレビを見、一緒
になって手をたたき笑った。テレビの画面が面白かったからだろう
か、佐和子にとっていまだにその原因が判らないのだが、心の中に
何か笑いの感覚をくすぐるものが生じたようだった。
それからあと、葬儀が済むまでのことを、思い出そうとしても何
も頭に浮かんでこないし、葬儀が済んでから三ヶ月ぐらいの期間の
ことも、それほど記憶が定かでない。佐和子のかなりはっきり憶え
ているのは、母が来て互いに涙ながらに将来の相談をした時のこと
と、保育園に入れることになって、弘隆と一緒に市役所からタクシ
ーで安養寺保育園へ行った時のこととである。
ところが、この春日大社に通じる小路を、弘隆を連れて通った時
から以後のことはよく憶えている、と彼女は思った。
あの頃は、医者には診てもらわなかっだけれど、うつ状態ではな
かったかしら、と今では思えた。夜は幾晩も眠りにくかった。寂し
さのせいというより、不安感が強かったようだ。千葉県船橋市に住
む母に来てもらって、かなり長い間、と佐和子は思っているのだが、
実際は約一週間続けて泊つてもらった。
その時佐和子の母はしきりに実家へ帰るようにと云ったし、それ
以後も来る毎にそう云ったが、彼女は狭い実家で兄嫁と毎日顔を合
わせて暮らす気にはどうしてもなれなかった。小寺に嫁ぐ前、みん
な一緒に暮らしていた頃から家を出たくてたまらなかった。その原
因は兄嫁にあると自分では信じていた。燃料店を営んでいる商家に
はうってつけの勝気な義姉であったが、思いやりが無いように、佐
和子には思えた。葬儀のあと二週間近く実家に帰ったが、その間で
さえうまくいかなかった。
佐和子はいろいろ理由をつけて、逃げるように奈良に戻ってきた
のだった。父母や兄は心配して、帰ってくるように説得に来たり、
手紙を寄こしたりしたが、彼女の決心が堅いので、来る回数も手紙
の数も次第に減って、最近では手紙も一ヶ月に一通ぐらいしかこな
いようになっていた。
佐和子はその年の十二月中旬、夫の勤めていた会社の上役の紹介
で、大阪0貿易会社へ就職した。
保育園に弘隆を預けてから会社まで一時間半はかかった。保育園
は八時から始まるから、出社時刻は他の社員より三十分ずれた九時
半にしてもらっていたが、それでもバスか電車に乗り遅れた時は遅刻
だった。また、朝寝に慣れていた弘隆は、夜は九時に寝て、朝も七
時に目を覚裏す習慣がなかなかつかなかった。時たまに早く起こせ
た時は、早めに家を出、ゆったりとした気持で保育園まで行けたが、
保母のやってくるのは早くても七時三十分ぐらいで、冬にはそれ迄
冷たい朝の空気の中で二人共震えていなければならなかった。そん
な日、弘隆はきまって風邪をひいた。
やっと部屋の鍵が開けられても、冷えびえとした部屋の中に子供
を残していく気になれず、石油ストーブの囲りの柵にかざした手に
ぬくもりがわずかに感ぜられるまで、弘隆の手をこすったり、運動
させたりした。腕時計を見ると、八時五分前から八時になっていて、
小夜子はあわてて子供に手を振って別れた。
それから彼女はバス停留所まで走る。あの頃から今迄、保育園か
らバス停まで走らなかった朝は一日も無い、と佐和子は思った。勤
め始めの頃、後からやってくるバスに追いかけられるようにして思
い切り走り、バスのステップに足を掛けたとにん、心臓が空まわり
をしているような感じに襲われ、気を失いかけた時があった。
医者に、「急激な運動は、慣れていないうに無理ですよ」と云わ
れて、それからは体力の八割ぐらいで走ることにしていた。しか
し、乗り遅れると、五分から十分以上も待たなければいけないの
で、思い切り走らねばならない時が多かった。今では、そういった
時の訓練のためにと、バスが来ていなくても、自然と駆足になるの
だった。バスと競争しないで走ることは、佐和子にとって大きな喜
びだった。ただ走ること、何も考えずに走ること、それは何よりの
楽しみになっていた。
佐和子が走り始めると、地面の堅さが彼女のからだを貫いて伝わ
り、それは力強い震動となって均斉のとれた肉体のすみずみにま
で新鮮な刺戟を与えた。やがて、いつものやや青白い頬に、ほんの
り赤みがさしてくるのだった。
弘隆がなかなか目を覚まさなかったり、途中で忘れものを思い出
したりして、いつもの時間より遅れた時のことを思うと、佐和子は
今でも苛々してくる。そういう時に限って、保育園の方へ行くバス
がなかなか来ないようだった。子供を預けてから走って乗る駅前行
きのバスもまたなかなか来なかった。
そんな時、佐和子の頭の中には日常のこまごましたいやなこと
しか浮かばなかった。大阪行きの車中でもきまって暗い気分にな
り、そのうち、電気あんかのスイッチを切つただろうか、ガスの元
栓を閉めただろうか、石油ストーブの火を消し忘れていないだろう
か、玄関のひき戸の鍵をかけただろうか、などとノイローゼのよう
な精神状態になって、頭がかすんでくるのだった。一週間に四回
も、途中の駅で乗り換えて後戻りした時があった。しかし、佐和子
はそのまま会社を休んでしまわなかった。会社で働いている方が
気が紛れたからだ。彼女は気がすむまで家の中を確かめると、重
い心を引き立てて、朝と同じように、玄関からバス停まで走ってい
った。
佐和子の勤務終了峙刻は五時半に決まっていた。三十分ずらして
もらっているので他の社員は五時だった。
保育の時間は日曜祝日の休園を除いて正式には六時までだったが、
実際は七時頃まで子供達を預っていた。しかし、小夜子が大阪市内
の会社を出るのが五時半だったから、電車やバスの接続の具合によ
って保育園に着くと七時を過ぎてしまうことがあって、勤め始めの
三日間は主任保母の置本から叱られっぱなしだった。
佐和子は保育時間が過ぎたあとは、子供は園内で勝手に遊ばせて
もらえるとばかり思っていたのだが、それは全く彼女の見当違いだ
った。子供を預かっている間は、保育園にその子を安全に保育する
義務が生じるのだった。
とはいえ彼女は会社に出てしまうと、保育園のことが気になって
いてもいても帰れないのだった。職場の雰囲気がそうさせてしまっ
ていた。
置本の住居は園内にあるから、今でも時々遅くまで子供の世話
をしながら親が迎えに来るのを待つらしく、保護者の会などの時、
閉園時間を守るよう厳しく注意することがある。
あの時は、水曜から金曜までずっと、七時過ぎまで弘隆の守りを
させたのだから、怒るのも無理はなかったわけだが、叱られる親は
どんなにかつらいだろうと未だに身につまされるのである。
土曜日は3時半で仕事が終わるので叱られずに済んだが、「来週
は大丈夫でしょうね。昨日までの状態なら、悪いけどお断りするこ
とになるかもしれませんから」と念を押された。
佐和子はどう答えてよいのか判らなかったが、「大丈夫です」と
云ってしまった。置本は疑わしそうな目つきで小夜子を見つめて
いた。
佐和子はその日の夜から翌朝にかけては、寂しがったり、まして
夫の死を悲しんだりする感情はひとかけらも無かったはずだ、と思
った。いくら考えても、勤務時間と保育時間が決まっている以上ど
うにもならなくて、考えは堂々めぐりするだけだつた。汗が背中や
足をじわじわ濡らした。蒲団をはねのけたらうとうとした。目が
覚めて枕元の時計を見ると四時だった。今度は寒さに震えた。肌着
を換え、電気あんかを引きずり上げ、弘隆を抱いてじっとしている
と震えが治まってきた。
もう一度考えをまとめようとした。
結局は、会社を止めるより以外に仕方無かった。奈良市内の会社
を探そうかと思った。じきに見つかるだろうか、給料が馬鹿みた
いに安くないだろうか、という風な疑問も生じた。
佐和子は、以前夫が書斉にしていた部屋からウイスキーを持って
きてちょっと飲んだ。それは夫が亡くなる以前そのままの状態で置
いてあったのだが、そんな感傷を小夜子は持たなかった。むしろ夫
が保険ぎらいで、ほんの少額しか保険金がもらえなかったのが思い
出されてきて腹が立った。そのうち小夜子はウイスキーの酔いにひ
き込まれるようにして寝入った。
翌朝、佐和子は遅い朝食を済ませると、弘隆を連れて出た。
隣家の主婦が、待ちかまえていたかのように表に出て話しかけて
きたが、小夜子は挨拶はしたが歩みを止めなかった。
結婚して半年ぐらいたった時、ちょうどいい借家だと、義母の
知人の口ききで、大阪市郊外のアパートから移った。それから四年
になっていたが、佐和子は近所の人達と、深いつき合いはしていな
かった。町内分会の隣組の中で、借家は、小夜子の家と、ちょっと
離れた所にあるもう一軒だけで、「みんな、借家だと思って馬鹿に
してるのじゃないかしら」と夫に云うと、「それは君のひがみだよ」
とたしなめられたことを、今も彼女は覚えている。左隣りの家は、
佐和子の借家の庭に塀がないのをいいことに、通用口を二カ所も開け
て自由に通行していて、それにもかかわらず、その庭の水はけが悪い
ので自家の庭も湿るとか、草が生えてくると、犬が便をするから不衛
生だとか、苦情を言ってきたことがあったので、佐和子はひがみでは
なく、馬鹿にされているのだと信じていた。
佐和子は彼らから同情されてつき合うよりも、放っておいてもらい
たかった。
佐和子は唇を固く閉じて、マーケットへ急いだ。
そして買い物を済ますと、足は自然と公園のほうに向いた。
風はなかったが、十二月の奈良公園はわびしかった。常緑の木々は
黒く視界を遮り、日の当たらない空気は深山の中にいるかのように冷
たかった。木々の間から垣間見える飛火野の広大な芝生の原も、霜が
溶けたばかりで寒々としていた。
佐和子は昨夜からの続きをもう一度考えようとした。が、考えは何
一つ頭の中に落ち着こうとせず、かえって混乱しているうちに、何か
得体の知れない怒りに変わっていった。彼女は緊張に青ざめ、胃のあ
たりに痛みを感じながら歩を早めた。弘隆も引きずられるように走っ
ていた。
春日大社の表参道に出ると、参拝客がちらほら通った。佐和子は他
人に自分の顔を見られたくなかった。といって、今来た道を同じ思い
で戻るのにも耐えられなかった。もう考えない、考えてはならないと
自分に言い聞かせた。弘隆が疲れてしまったようだったので、佐和子
は彼を背負った。佐和子がたわむれに走ると、弘隆はしきりに喜んだ。
止まると、「もっと走って」とせがんだ。佐和子は走った。走ってい
ると気持が楽になった。
* * * * * * * * * *
春日大社の朱塗りの門は、秋の日に映えて色鮮やかだった。弘隆
は石段を走り登り、もう門の中に入っていた。佐和子は、自分があ
の頃よりも、ずいぶんずるい人間になっているのではあるまいか、
とふと思いながら、石段をゆっくり登っていった。
「のぶおくん、いるよっ」
弘隆が門から走り出て叫んだ。
そのすぐ後から、東年子と子供の伸雄が顔を見せ仁。年子は昨年
離婚して実家に帰り、現在は大阪の証券会社へ勤めている。伸雄の
保育園への送迎は年子の母がしていたが、伸雄が弘隆と同じ五才の
クラスだったし、通勤電車の中でよく顔を合わせることもあって、
お互い親しくなっていた。
「あなたもお参りに来たの?」
年子が陽気にたずねた。
佐和子が年子の和服姿を見だのは初めてだった。伸雄も新しい服
を着ていた。
「いいえ、散歩なのよ。それよりあなた、今日はなんなの?」
小夜子は年子の着物に目を見はりながら云った。
「特にどうってことないのよ。ただね……、いいことかありますよ
うにって、お願いしたかったのよ。ハハハ……」
年子は、よく通る声で声高く笑った。
「元気を出しなさいよ。お互いにまだ若いのに、神頼みだなんて…
…。いいえ、嘘でしょう、お見合いなんかじゃないの?」
「馬鹿ね、子供に聞えるじゃないの」と年子は小声になってから、
「うちの、なんでも誰彼なしに云うんだから……。もう二度と結婚
なんかしませんよう」、と次第に声が大きくなった。
年子は月に一回か二回、春日大社に参拝することにしているらし
かった。これは年子の母の習慣が、自然に年子にも伝わったとい
うことだった。
「いい柄ね」
小夜子は参道を歩きながら、年子の着物を見て云った。
「そーお? もう、ちょっと派手だから、今のうちに着とかない
と、じき着られなくなると思。て」
小夜子は夫の葬儀の時、母に借りてもらった衷服を着て以来、一
度も和服を着たことが無いのに気付いた。箪笥の中を見たことも無
かった。
「これからどこへ行くの?」
[特にどこへも行くあてはないのよ。ここへは勇んで来たけど……。
京都へ紅葉でも見に行ってこようかな」
年子はちょっと憂うつな顔をして見せた。
子供達は、石燈寵を目がけて参道の石を投げつけていた。
「ちょっとうちへ来ない? 京都へ行くには遅すぎるわよ」
「いいの? 嬉しいわ。あやめ池も今日は満員でしょうし、行って
も行かなくてもどちらでもよいのよ」
年子は急に心が晴れたような、明るい顔になった。小夜子も気持
が賑やかになっていた。子供達は手をつないでいた。
小夜子の家まではバスに乗らず歩いていくことにした。観光客の
数が増えてきていた。「鹿の角切り」の行事が始まっていた。隣の
飛火野では小運動会が開かれていて、若い人たちの笑いと拍手が起
こっていた。一の鳥居がまっすぐ前方に見えた。
小夜子達が日の当っている廊下に食卓を持ち出して、お茶を飲み
ながら話していると、電話が鳴った。もう夫の仕事の関係の電話は
かかってこなかったから、小夜子の実家からか、それとも岡崎部長
からのどちらかからだろうと思った。
電話に出てみると、果して岡崎からだった。彼は一昨日から東京
に出張していて、昨日会社には顔を見せていなかった。
「今日どこかへ行かないか」
岡崎は東海道新幹線の車中から電話をしていると云った。そのせ
いか、普通よりも声が小さく、列車の進行音が入って聞きとりにく
かった。
「ええ行くわ」
小夜子はすぐそう答えてしまっていた。岡崎は待ち合わせの場所
と時間を云うと電話を切った。
「年子さん、ごめんなさい。ちょっと用事が出来て、出かけなけ
りゃならないのよ」
小夜子は年子をごまかした。