だれに、どうして、どのように
【1】
冷たい床の上でわたしは動けずにいる。痛い。寒い。そんな感覚も次第に消え去り、辺りにはただ闇が広がる。
永遠に続くかのような漆黒の世界。それはあるとき唐突に終わりを告げる。最初は音。どこか遠くから聞こえるような微かな金属音と誰かの笑い声。次に匂い。温かくて少し土っぽい、何かを焼いたみたいな香り。
動けずにいたはずのわたしの体は、気が付くとどこか柔らかいものの上に座っている。目に光を感じ、やがて視界が広がる。
「うまい、うまいよぉ」
「渚、ちょっとがっつきすぎよ。もう少し落ち着いて食べなさい」
「えー。だってすごく美味しいんだもん、このパエリア。雪乃、食べないの? だったら、もーらいっ」
「あ、ちょっと! 食べないなんて言ってないでしょう? だいたい、まだ自分の皿に残ってるじゃない。なんで人の皿から取るのよ」
テーブルの向かいに座っているのは渚と雪乃。二人のやりとりを見て、わたしの隣に座る美夕がくすくすと控えめな笑い声を上げる。
テーブルの上にはサラダやポットパイ、ローストビーフにピザ、そしてパエリアと色とりどりの料理。視線を上に向けると動物や星、ハートの形を模したガーランドにスマイルバルーン。レターバナーが形作るのは「HAPPY BIRTHDAY MIYU」の文字。
そう。今日は美夕の誕生日。それをみんなで祝おうと、渚と雪乃と一緒に美夕の家に集まった。高校生にもなってお誕生日会なんてちょっと子どもっぽいような気もするけれど、べつに年齢制限があるわけでもないし、友だちの誕生日を盛大に祝うのは悪いことじゃない。
隣の美夕に目をやると、視線に気づいた美夕がわたしに向かってにっこりと微笑んだ。今日、美夕は十六歳になった。美夕にとって十六回目の誕生日。わたしにとっては二十回、三十回目の誕生日かもしれない。
正確な回数はわからない。けれど今日、この時間をわたしはもう何度も繰り返している。理由も不明。でも、そのトリガーとなる出来事だけははっきりしている。
視線を美夕から、渚、雪乃と順に向ける。五感を完全に取り戻したいま、友人たちの顔がクリアに見える。おっとりと、物を頬張りながら、少し困ったように。種類は違えど、それぞれに笑顔を浮かべる三人の友人たち。
そして、今日――
この中の誰かに、わたしは殺される。
【2】
「――でさあ、そのとき知恵里がね、」
渚の話に「何よそれ」と雪乃が呆れたような声を出す。美夕は可笑しそうに笑いながら相槌代わりの頷きを返している。
この中の誰に、わたしは殺されるのだろう。もう何度となくループを繰り返しているけれど、それはわからない。映画やアニメなどでよく見る、いわゆる「ループもの」の作品では、タイムループしている本人はループ中の記憶をすべて保持していることが多いと思うのだけど、わたしの場合はそうじゃない。誰に、どうして、どのように殺されるか。このあと何が起こるかさえ、わたしの脳内からは失われている。覚えているのはこの家で何か刃物を刺されて死ぬことと、「自分は同じ時間をループしている」という感覚のみ。どちらも曖昧で、でも確かな感覚だ。
タイムループ……いや、この場合タイムリープか? どっちでもいいけど、前の時間に戻るトリガー、基点となる出来事はおそらくわたしの死だ。不思議なことに、死んでから戻ってくるまでの間のことはよく覚えている。失われていた五感を取り戻し、気が付くとまた美夕の部屋でみんなとテーブルを囲んでいる。
では、わたしを殺した(殺す)犯人がこの中にいるとわたしが考える理由は何なのか? それは単純に、今日この家にはこの三人、わたしを含めた四人しかいないからだ。誕生日会と聞いて気を利かせてか、美夕の両親は外出中で夜まで帰ってこないらしい。となると自然、容疑者はこの三人に絞られる。もちろん、家に突如闖入してきた暴漢に殺される、ということも考えられるし、むしろそのほうが友だちに殺されると考えるより精神衛生的には楽なのだけど……。
「……はるちゃん、大丈夫?」
美夕の声に我に返る。
「ご、ごめんごめん、ちょっとぼうっとしてただけ」
「本当に? なんだか顔色も良くないし、調子悪そうだけど……」
「大丈夫。本当にただぼうっとしてただけだから。心配してくれてありがとね、美夕」
「う、うん」と美夕ははにかむように微笑んで、「でも、無理はしないでね」とまた心配そうな顔をする。
「そうだぞ、はるー。無理はするな。もし調子悪いんだったら、代わりにウチがはるの分の料理、全部食べてやるぞ」
「あんたは。食べ物のことしか考えられんのか」
雪乃が軽く握った拳で渚の頭をこつんと小突く。美夕が笑うのに合わせて、わたしもアハハと笑い声を出す。
「でもさ、実際すっごい美味しいんだもん、はるの料理。特にこのパエリアなんて、味噌の風味が効いてて、もう最高!」
「そうね。私も、葉瑠子がこんなに料理上手なんて知らなかったわ」
「まあ、それほどでも……」
実際にはただ買ってきただけの既製品も含まれているけれど、今日の料理のほとんどはわたしが作ったものだ。料理は数少ない特技の一つ。褒められれば、悪い気はしない。
「はるちゃん、中学のとき調理部だったから」
遠慮がちに美夕が口を挟む。
「へー、道理で! いやー、やっぱ持つべきものは元調理部の友だよね。現調理部でもいいけど」
「おい、そう言いながらまた人の皿から取るな!」
「ア、アハハ。……ねえ、なぎ。そんなに気に入ってくれたなら、パエリアもっと持ってこようか? 下にまだあるから」
「え、マジ? うん、ぜひぜひ!」
「はるちゃん、わたし行こうか?」
「いいの、美夕は今日の主人公でしょ。座ってて」
わたしは立ち上がり、部屋を出る。あの場にみんなといては思考に意識を集中させられない。少し一人になって落ち着いて考える時間が欲しいと思った。
そもそも、わたしはなぜ殺されなければならないのだろう。あの中の誰が犯人であるにせよ、わたしを殺す動機が思い当たらない。三人とは同じ高校の友人同士。クラスも一緒で、ちょっと古い言い方だと「イツメン」というやつだ。渚とは部活が同じテニス部で、美夕とは中学から一緒、大人っぽい雪乃にはちょくちょく彼氏とのことで相談に乗ってもらっている。出会った時期や関わり方に多少の違いはあれど、三人ともわたしにとって大切な友だち。彼女たちにとってもそれは同じ……はず。
階段を下りたところで、玄関に目が向く。やっぱり、外からの闖入者による犯行なのだろうか。玄関ドアの戸締りを確認する。うん、ちゃんと鍵はかかってる。
あ、ていうか――
このまま帰っちゃえばいいんじゃないか? 殺されるとわかっていながら、この家に留まり続ける理由はない。
……いや、駄目だ。わたしは料理を持ってくると言って部屋を出てきてしまった。急に用事ができたことにして帰るにしても、タイミングが不自然すぎる。せめてパエリアを届けてからにしないと。
靴を脱ぎ、キッチンに向かう。カウンターの上には料理に使った道具や各種調味料が出されたままになっている。料理は得意だけど、片付けは苦手なのだ。冷蔵庫にしまっていたパエリアを取り出し、レンジに入れる。すると背後から足音が聞こえた。
「どうしたの、なぎ?」
振り返ると、渚が立っていた。
「いやー。雪乃に『お前のために働いてくれるんだから、せめて運ぶのくらい手伝え』って言われちゃって」
と渚は頭を掻く。「なるほどね」と笑いながら応じたところで、ふと気づく。
ここはキッチン。人を殺す凶器となり得る道具がこの場所には存在する。そして、折しもその道具は現在、渚のいる側の近くに置かれている。ちゃんと片付けなかったことを激しく後悔する。
「それにしても、はるって本当、料理上手だよねえ。将来、嫁に行き遅れたらはると結婚しよ」
「なんでわたしも結婚してない前提なのよ。なぎと結婚したら食費大変そうだから、お断り」
くだらない会話で笑い合いながら、わたしの視線は渚の近くに置かれている包丁にばかり向いてしまう。刃物を刺されて死ぬ。そのイメージが脳内に色濃く浮かび上がる。笑っている渚の背後から、どす黒いオーラが発されている……ように見える。
と、そのときだった。
「あ、あれ……?」
不思議そうに渚が首を傾げる。ゲホゲホと変な咳をし始めた。
「どうしたの?」
「いや、なんか……」
そう言った次の瞬間、渚の目が大きく見開かれた。胸に手を当て、よろよろとその場に倒れ伏してしまう。
「ち、ちょっと、なぎ?」
床の上で苦悶の表情を浮かべる渚。途絶えがちに何か言葉を発するが、何を言っているかは聞き取れない。
「なぎ! 渚!」
やがていっさいの動きが止まった。名前を呼んでも返事は返ってこない。いったい、どうしてしまったというのだろう。
震える足でわたしは立ち上がった。何度も転びそうになりながら、階段を駆け上がる。
【3】
ドアを勢いよく開ける。雪乃の姿はなく、部屋にいたのは美夕一人だった。
「ど、どうしたの、はるちゃん?」
わたしの様子に呆気に取られたように美夕が訊いてくる。
「なぎが急に倒れたの! なんだか様子がおかしくて」
言いながら、わたしは自分のバッグを探る。焦っているときほど、どうしてすぐに見つからないのだろう。
「何を探してるの?」
「携帯」
「どうして?」
のんきな声で美夕が訊いてくる。どうして? 普段からのんびりしたところのある子だけど、こういう緊急時にそんな感じでいられるとさすがに腹が立つ。
「聞いてなかったの? なぎが倒れたんだよ。早く救急車を呼ばないと――」
「無駄だよ」
ぞくりとするような、冷たい声だった。思わず振り向いたわたしの目の前に美夕の手が差し出される。手のひらにはわたしのスマートフォンが乗っていた。
「どうして……?」
「今日あの二人を呼んだの、やっぱりはるちゃんだったんだね」
美夕の手からスマートフォンを受け取る。
「……中身、見たの?」
「二人がどうしても来たいって言うから、なんて言って。本当ははるちゃんから誘ってたんじゃない。嘘つき」
「嘘なんて……! 二人が来たいって言ったのは、本当で……」
「それははるちゃんが誘ったからでしょ? わたしははるちゃんさえ来てくれればよかったのに。そんなにわたしと二人きりになるのが嫌だったの?」
「ち、違うよ、美夕。二人だけより四人のほうが盛り上がるし、なぎと雪乃もいたほうが美夕も喜ぶと思ったから……」
「嘘」
低い声で美夕は言った。いままでに聞いたことのない声だった。
「はるちゃん、高校に入ってから変わったよね。髪染めたりお化粧したり、部活も運動部に入って。前はわたしと同じで、もっと地味な感じだったのに」
「そ、そりゃあ、せっかく高校生になったんだし……。テニスは前から少し興味があったから……」
「興味? はるちゃん中学のとき、運動は苦手だって言ってたじゃない。どうして嘘ばっかりつくの? はるちゃん、前にわたしに言ってくれたよね? 卒業してもずっと友だちでいよう、って。あれも嘘だったの?」
「嘘じゃない! どうしてそうなるのよ! 美夕とわたしはいまでも友だちでしょ? 現に今日だって、こうして誕生日を一緒に祝ってるし」
「じゃあどうして、あの二人を呼んだの? わたしははるちゃんと二人がいいって言ったのに。ねえ、はるちゃん。わたし、はるちゃんと同じ高校に行きたくて、苦手だった勉強を頑張ったんだよ? はるちゃんとずっと友だちでいたかったから。それなのにはるちゃん、高校で新しい友だちをつくって、最近はあの二人とばかり一緒にいる。……はるちゃん、最後にわたしと二人きりで遊んだのがいつだったか、覚えてる?」
「そ、それは……なぎとは部活が一緒だし、雪乃には、その、話しやすいことがあったから……。だ、だいたい、美夕にとってもなぎと雪乃は友だちでしょう? わたしだけに拘らず、二人とも一緒に遊んだらいいじゃない」
「ちがうよ」
静かに、しかしはっきりとした口調でそう言うと、美夕は立ち上がった。
「わたしにははるちゃんさえいればよかった。あの二人は邪魔だったの。だから、殺した」
「こ、ころし……た……?」
言葉の意味を瞬時に汲み取ることができなかった。
「そうだよ。飲み物に毒を入れたの。二人きりになったときにもう一人も殺そうと思ったけど、お手洗いに行っちゃった。だから帰ってきたら――」
と、美夕は机の引き出しから何かを取り出した。
「これで殺す」
それはナイフだった。正式な名称は知らない。長く、鋭く尖った刃先は偽物には見えない。
「じ、冗談、だよね……?」
美夕はゆるゆると首を振る。
「盛ったのは強い毒だから、きっともう助からない。雪乃ちゃんは渚ちゃんよりは馬鹿じゃなさそうだから、もっと確実な方法で殺そうと思った」
そう言って美夕は口元を歪める。わたしを見下ろすその姿は、よく知る友人からはかけ離れたものに見えた。
「許せない……」
さまざまな感情でぐちゃぐちゃになったわたしの口から、気づけばそんな言葉が洩れた。
「ひどい……ひどいよ、そんなの、あんまりじゃない……! 邪魔だから殺すなんて、なぎは何にも悪いことしてないのに……。身勝手すぎるよ……」
「……そう。やっぱりはるちゃんは、わたしを許してくれないんだね」
ぽつりと、呟くように美夕が言った。そして手に持ったナイフの先端を自分の首もとにあてがう。
「な、何してるの……?」
「わたしは、はるちゃんと友だちでいたかった。はるちゃんだけと。そのはるちゃんに嫌われちゃったら、わたしが生きている意味はないから」
「ま、待って、美夕!」
さよなら。美夕の口がそう動いたように見えた。わたしの顔に生暖かい液体がかかる。どさりと、美夕の体が力なくその場に倒れた。
悲鳴は出なかった。脳が考えることを拒否しているかのようにぼうっとしていた。
「なに、これ……」
声のしたほうを振り返る。
部屋の入り口に雪乃が立っていた。
【4】
「雪乃……」
自分のものとは思えない、ひどく掠れた声が出た。なんとか立ち上がり、雪乃のほうへ向かう。
「こ、来ないで」
雪乃が一歩、後ずさる。
「雪乃……?」
「来ないでって言ってるでしょ!」
鋭い声で雪乃が言った。両手を前に突き出す。その手には包丁が握られていた。
「雪乃、どうして……」
「トイレに行ったついでにキッチンに寄ってみたのよ。そしたら渚が倒れてた。葉瑠子もいないし、ただごとじゃないと思って戻ってきてみれば……」
と、雪乃は部屋の奥に視線を向ける。そこには美夕が倒れている。遅まきながらようやく理解した。雪乃は、わたしが二人を殺したと思っているのだ。
「ち、違うの、雪乃。これは……」
「何が違うのよ、そんな血塗れの顔して! さっきからなんか様子おかしいなって思ってたけど、まさか、こんな……!」
「雪乃、聞いて! 二人を殺したのはわたしじゃないの!」
「あんたじゃなければ誰だっていうのよ! この家にはいま、私とあんたの二人しかいないじゃない」
雪乃が、怯えと敵意の混じった目でわたしを睨む。駄目だ、完全にわたしが犯人だと思い込んでいる。冷静で落ち着いた性格の雪乃だが、一度決めたことを簡単には曲げない頑固なところもある。ここはいったん感情を抑え、理屈を交えて説明したほうがいいかもしれない。
「……そうだね。たしかに、状況からすれば、雪乃の目にはわたしが二人を殺したように映るかもしれない。でもね、本当にそうじゃないの。思い込みは捨てて、一度冷静にわたしの話を聞いてほしい」
「思い込み?」
言い方が癇に障ったのだろうか。雪乃の額に皺が寄った。
「あんたに言われたくないわよ! 思い込みが激しいのは葉瑠子のほうでしょ? あんたがそんなだから健太だって――」
言いかけて、はっとしたように雪乃は口を噤む。
「健太?」
健太はわたしの彼氏の名前だ。どうしてここで健太の名が出てくるのか。いや、というより――
「どうして雪乃が、けんちゃんの名前を知ってるの?」
健太とは中学が同じで、卒業式の日に告白されて付き合うことになった。高校は違う学校。雪乃に相談するときはいつも「彼氏がね」という言い方をしていたから、雪乃は健太の名前を知らないはず……。
「……塾が、同じなのよ」
観念したように雪乃が言った。
「クラスも同じで、たまに話すようになって……私と同じ高校の子と付き合ってるって言うから名前を訊いたら、それが葉瑠子で……」
「そんな! どうして言ってくれなかったのよ!」
「い、言いそびれてたのよ! 言うタイミングを失ってるうちに、ずるずるといままで……」
本当だろうか。そもそも、健太も健太だ。どうして雪乃のことをわたしに教えてくれなかったのだろう。そう思ったところで、はっとする。
「……もしかして、二人で会ったりもしてた?」
「……」
雪乃は答えない。ああ、なんだ、そういうことだったのか。最近、健太がわたしに冷たかった理由。そしてわたしは愚かにも、その元凶を作っている人間にその相談をもちかけていたのだ。
「雪乃」
「ち、違う! たしかにそういう機会は何度かあったけど、でもそれは遊んでたわけじゃなくて、葉瑠子とのことで相談に乗ってただけ! そのことを本人に言うわけにはいかないでしょ?」
「どうしてよ。友だちならむしろ、こっそり教えてくれてもよかったじゃない。そうやって理性的なこと言ってるふりして、本当はただ健太と二人で会う口実が欲しかっただけなんでしょ? 健太にわたしのことを悪く言って、わたしから離れさせるのが目的だったんだ」
「違うってば! ああもう、だから嫌だったのよ。どうしてすぐそうやってネガティブな方向に思い込むの? けん――大場くんも、あなたのそういうところが嫌だって――」
「けんちゃんのこと、わかったように言わないで!」
雪乃のほうに一歩、寄る。ひっ、と声を上げ、雪乃は手に持った包丁をさらに前に突き出す。その手は震えていた。
「ほ、ほら、言っても無駄だったじゃない。だから言わなかったのよ。何があったかは知らないけど、そうやって勝手に勘違いして渚と美夕のことも殺したんでしょ? そして私のことも、また殺すんでしょ?」
「だからそれは……雪乃こそ――」
言いかけて、はたと口が止まる。
私のことも、また殺す?
同時に、頭の中で別の声が響いた。
――でもさ、実際すっごい美味しいんだもん、はるの料理。特にこのパエリアなんて、味噌の風味が効いてて、もう最高!
――やっぱりはるちゃんは、わたしを許してくれないんだね。
それは、死んだ二人の友人の声。
味噌の風味。たしかにわたしはパエリアを作るときに味噌を使う。トマトペーストと味噌とナンプラーを混ぜ合わせたものを加えると、旨味とコクが増すのだ。だけど完成したパエリアからは味噌の味なんてほとんど感じ取れないはず。事前に味噌を使っていることをどこかで知りでもしない限りは。渚は、それをどこで知ったのだろう。彼女にパエリアを、いや、手料理を振る舞ったこと自体、今日が初めてのはずなのに。
さらに、美夕が言ったあの台詞。やっぱり許してくれない。「許せない」。わたしに以前、そう言われたことがあったかのような――
「こ、殺されるくらいなら、先に――」
雪乃の声で我に返る。包丁の刃をわたしに向けながら、一歩ずつにじり寄ってくる。
「ま、待って、雪乃。もしかしたら、わたしたち、四人とも――」
「うるさい!」
金切り声を上げながら、雪乃がわたしに向かって突進してくる。わたしはすんでのところでそれをかわした。テニス部のわたしと部活をやっていない雪乃。日ごろの運動量の差がその結果を生んだのかもしれない。
雪乃は勢い余ったのか、そのまま部屋の奥へと駆け込んでいく。そして何かに足を取られ、床に転んだ。スマートフォンを探すときにそこに置いたわたしのバッグだ。転んだ弾みで、雪乃の手から包丁がこぼれ落ちる。わたしの体が反射的に動いた。
「返して! 返してよ!」
雪乃はすぐさま立ち上がり、わたしが取り上げた包丁を取り返そうと手を伸ばしてくる。
「雪乃、落ち着いて! 話を聞いて!」
「返せ!」
雪乃がわたしの腕を掴む。この細い腕のどこに、と思えるほど強い力だった。奪われまいとわたしも思い切り腕を引く。そのとき、「あ」と頼りない声がして、バランスを崩した雪乃の体がこちらに倒れかかってきた。そのまま二人とも、重なるように床に倒れ込む。
「いたた……」
頭に手をやり半身を起こす。雪乃はまだ倒れたままだ。立ち上がろうと膝を曲げたとき、俯せに倒れた雪乃の体の下から赤い液体が広がっていくのが見えた。
「雪乃!」
体を抱き起こそうとする。しかしそれは電池が切れた人形のように、力なくわたしの腕にしなだれかかる。雪乃の胸には深々と包丁が突き刺さっていた。
「雪乃! 雪乃!」
いくら呼んでも返事は返ってこない。大きく目を見開いた表情は少しも動かなかった。雪乃から手を離し、ぺたりと床に座り込む。
音の消えた部屋は、絶望的に静かだった。
■■■
カチコチと時計の音が響き渡る。
あれから、どれだけの時間が経っただろう。
静寂の血の海の中でわたしは一歩も動けずにいた。
渚、美夕、雪乃。
三人の友人たちの命は失われた。そしてわたし一人が生き残った。
そう、生き残ったのだ。
なのに、どうしてわたしは……。
取り返しがつかないことなら、諦められたかもしれない。だけど、可能性はゼロじゃない。
わたしは手に持った包丁を握り直す。さっきまで雪乃の胸に刺さっていた包丁だ。
さまざまな行き違いから、わたしたちはこうなった。それはけっして些細なものではなかったかもしれない。でも、だからといって死ぬ必要はなかった。
わたしは包丁を自分の首にあてがう。同じようにしていた美夕の姿が脳裏に浮かぶ。
大丈夫。きっと次は、うまくやれる。
包丁を持つ手に力を込める。躊躇いはない。一息に刺し込んだ。
わたしの体が床に倒れる。意識を失う寸前、脳内に流れてきたイメージ。
春夏秋冬、永劫回帰、終わりなき円環――
(了)
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お読みいただき、ありがとうございました。




