5.
時は少しだけ遡る。
焼きたてのパンを両手に抱え、大通りを行く少年の姿。
先日、『徽』が──極めて勝手に──変更した魔法試験を突破し、ついに公認の魔法使いとして活躍し始めたばかりの少年である。
資格を有する事で、急激に生活が良くなるというわけではない。ただし、彼ができる事は大幅に増える事になる。
彼は、魔法が好きだった。
今までに知られている魔法も、これからの未来に見つかる魔法も、等しく愛せると確信していた。
しかしこの国では、無許可な魔法の研究はご法度だ。そもそも研究資料もなければ、開発するだけの知見もない。
故に彼は、試験を受けた。そこに『徽』が噛んでくるのは流石に想定外だったが、公認であれば好きな魔法を好きなだけ探せると。そう考えていたのだ。
これは、ただの景気付け。
自身の居住環境がようやく落ち着いてきたからこそ、自身に充てるちょっとした贅沢。
普段より少しだけ高いパン。家計を傷つけない程度ではあるが、それは彼の気持ちを上向きにするのには充分だった。
だからこそ、油断していた。
油断していなかったからといって、対応できたかは怪しいものだが。
路地に一歩入ったその時、背中からの強い衝撃。
バランスを崩し、抱えていたパンを地面にぶちまける。倒れる体。鈍痛。慌てて視線を前にやると、今日の贅沢を素早く持ち去る人影があった。
「っと、何を──」
極めて理不尽な事に、極めて不幸な事に。
彼の未来は、この瞬間にかき消えた。
そして、『剣』はその姿を見る。
遺体。
「……これ、か? 急用ってのは」
「はい。こちらでは対応が難しく……魔力痕はあるのですが、該当する人物が見当たらず」
遺体。遺体だ。どう見ても遺体だろう。この姿で人として動き出したら幻覚を疑う。
四肢に力はなく、地に倒れ伏し、血溜まりに沈む体の先。
数歩分の距離に、その主たる頭が落ちていた。
──断面が、異様に綺麗だ。物理的な損壊ではこうもいかない。完全に一撃で、かつ迷い無く寸断されている。
人間の腕で、この状況を作り出すのは不可能だ。で、あれば。
「野良、か」
「公認の者ではないと思われます」
資格を持たない魔法使い。
たまにいる。敢えて資格を取らずに秘匿研究する変わり者か、資格を取れないまま時間だけを過ごし技能を悪用する者か。
どちらにせよ、処遇については議論の余地などあり得ない。
人死にを呼んでいる時点で、あり得る未来は極刑のみ。
「…………」
いつの間にか後ろにいた『徽』は、何も言わずに目を伏せている。
興味本位ではなく、必要に駆られて同行していたのだろう。『剣』を動かす程の急務であれば、自身もと現場確認に来ているのだ。
そこにいて、何ができるというわけでもないのだけれど。
彼女なりの祈りを捧げる姿は、ただ事態を進行させる『剣』とは、やはり対極であった。
「……わかった。彼の遺体を、丁寧に弔ってくれ」
「『剣』様、付き人は」
「いらん。追加で死人を作るわけにいかないだろ」
責任感。義務感。彼が動く理由は、ただそれだけ。
それが叶うだけの力を持っているなら、足を止める理由も無いのだろう。
そうして、何も言わず姿を消そうとする彼に。ひとりだけ、声をかける者がいた。
「『剣』」
「……?」
『徽』は、多くを語らずに。
「気を付けて。行ってらっしゃい」
よくある言葉を──場面に似つかわしくない言葉を彼に放つ。
恐らく意図も理由もないのだろうが、『剣』はそれを受けて、背中越しに片手を上げる。
その日は、とても短かった。
『剣』が事態解決に向かえば、多くの事件はすぐに決着が付くものだ。




