2.
歩を進めれば、アンバランスな様相は見て取れる。
右と左。数歩進んで前と後ろ。一通りが同程度の質感で整えられた丁寧さを演出する廊下だが、その実、配置されている物は絶望的に噛み合わない。
新品に近いカーペット。ひび割れかけた花瓶。窓枠は程よく古傷が重なり良い味を出している物の、肝心の窓そのものは指紋まで残っている。
手入れが行き届いていないのか、手入れをする気がないのか。
『剣』はそれを、後者だと断定する。
「…………『徽』」
目当ての扉の前。彼は軽く声をかける。
数秒。応答は無い。溜息の後、もう一声。
やはり何の応えも無い。軽くドアノブに手をかけ、声を聞く前に開け放つ。
「『徽』!!」
半ば、怒号。
──声の反響は乏しい。視界内に入る本に、恐らく音は吸われている。
本と、紙と、本棚と。散乱し整頓されないそれらから、確かに感じる埃の匂い。いったいいつから放置されていたのか。
床にさえ散らばるそれらの隙間に足を差し込み、数歩。部屋の中心に、彼女は居た。
寝てやがる。
「………………」
実に気持ち良さそうに寝ている。
悩みのひとつもなさそうに寝ている。
なんなら寝言からケーキだのプリンだの、とても幸せそうな言葉ばかりが漏れてくる。
溜息。
『剣』としては、不要な暴力は好まない。のだが、同時に必要な暴力には躊躇いが無い。
この状態の『徽』は、声をかけた程度では目覚めないのだ。経験則でそれを知っているが故に、彼には一切の容赦がなく。
緩みきった頬に、手を伸ばす。
つまむ。
のばす。
「しーーるーーしーーーー?」
「ぉあーーーーーっっ!!?」
開かされた口から出る悲鳴は、何とも間抜けた音だった。
「乙女だぞ」
「そうだな」
「乙女の柔肌を遠慮なくのばすのはどういう事かな」
「起きねぇだろ」
「起こし方ってものがだね」
「ああしないと起きねぇだろ」
「揺さぶって貰えたら」
「起きなかったろ」
「つめたい!!」
「だったら声かけられた時点で起きろ」
「それができたら苦労しないので」
「苦労してる奴の寝顔に見えなかったな?」
机と椅子と、人がふたり。
向き合って座るだけのスペースをなんとか確保し──結果としてさらに高く積み上がった本から目を逸らしつつ──、ようやく『剣』は本題を切り出す。
そもそも。
こんな話をしないといけない事が、納得いかない事ではあるのだけれども。
「いい加減にしろよ『徽』。何回目の暴挙だこいつは。認定試験の内容をどれだけ改竄すりゃ気が済むんだ」
──先日の試験。
ひとりの少年が、公認の魔法使いになった日の事。
「覚えてる限りでは十七回目?」
「完璧だ。ところで俺がこうやって詰めに来るのは何回目だ?」
「十七回目」
頭を抱えたい。
「何回やめろって言ってきたんだろうな俺は」
「十七回かなぁ。あ、言葉にした数なら三十一回」
「数えるな数えるな。本題はそうじゃない、アンタの一任で変えるべき内容じゃないだろって言ってるんだよ」
きょとん、と首を傾げる『徽』。
何が悪いのか理解していないのか、或いは理解しようとしていないのか。
「こっちの方が適してると思うけど」
「……認める所は無いではないけどな。話を通せ、それから変えろ。主観で結果を歪めるな。贔屓が絡む時点で、それは資格として信用できなくなるだろ」
冷静に、冷徹に。あくまで理屈で語る『剣』の言を、彼女は真正面から否定する事はしようとしない。
間違っている事は言っていない。むしろ正論が正しすぎて、反論する余地も無いのだろう。
だから『徽』は、別方向の正しさで応えようと試みる。
「そんな事言って。それこそキミ達の都合の良いように、結果を作り出す事ができるんじゃないの?」
眼前の青年はそんな事はしないのだろう、とは思いながら。
危惧と可能性をひとつ、落としていく。
「彼にはそれなりに実力があった。彼なりの最善を尽くしていた。それに伴う信用を磨くのは『これから』で良いんじゃないかな?」
「アンタが良くても、他が良くない。『こんな簡単な試験で』ともし突っ込まれたら、どう対処するつもりだ?」
「そんなの、全員に同じ事をやってもらうよ。簡単だと思うならできる筈でしょ?」
「…………よし、では最大の問題点を聞いてくれ」
溜息。
今日のこれは、何度目だろうか。
「その設備と資源は、どこの誰が用意するんだ?」
「………………」
「目を逸らすな」
「……わたし?」
「この惨状を管理しないアンタがか?」
「………………」
「目を逸らすな」
「……キミ?」
「良い度胸だな?」
「………………」
「目を逸らすな」
中身のないやり取りで、時間ばかり過ぎていく。
こうして煙に巻かれ、真剣な話に進展が無いのも、やはり『徽』という人のそれなのだろう。
『剣』の眉間に、またひとつ、深い皺が刻まれた。




