10.
午後の休み、である。
自分一人の為だけに用意したティーセット。程よく保温されたポット。いくつかの菓子に軽食。読みかけの本。
報告書その他は視界から全て消し、やらないといけない事の大半を放棄し、ただ自分の為だけに時間を使う。浪費とは言わせない。彼女の自分自身に対するご褒美である。
その頻度が高すぎるだの、義務を果たさないで褒美と言うのはどうなのかだの、そういう小言は聞こえない事にしていた。
「〜〜♪」
まずは、紅茶を一杯。
軽く揺らして香りを楽しみ、ひとくち含んで口内で踊らせ、少し冷めた所で飲み下す。
一息をついてから。片手で本を開き、反対の手は積まれたマカロンに伸ばされていた。
行儀の悪さを咎める他人など居ないのだ。好き勝手にやらせてもらおう。
「今日の私は、ごっきげん、だぞ〜?」
鼻歌交じり、である。
『徽』がご機嫌なのはいつもの事だ──彼女の機嫌が崩れるのは、それこそ『剣』に各種手続きの期限を迫られている時くらいのものだろう。
その場合、眼前の監視の目をたまに覗き見つつ、見逃してもらえないかという交渉を行い、失敗して、もっと彼の目が険しくなるという流れを繰り返している。
懲りないのである。
(──?)
ふと、その上で捉えた気配。
『徽』はそもそも、長年生きてきた分もあり、魔法使いとしては究極の域にいる。それはただ魔法を使うのみならず、魔法を見つけるという分野においても、だ。
彼女は、私室の外。扉越しに、ひとりぶんの気配を察知していた。
誰の魔力かまではわからない。というより、それは個人の価値や特徴を極限まで削ぎ落としたように思える。無感情で冷徹で、まるで「機能」に徹しようとしているような、そんな感覚すらあった。
(……まさか、私の暗殺に来たとか。そんな命知らずじゃないよね)
ほんの僅かな、警戒。
無用な警戒である事は自覚している。この国で『徽』を殺せそうな人間など、彼女にはひとりしか心当たりが無い。
そのひとりが、こんな「ここにいる」という自己主張をするとは思えない。彼女自身、『剣』の事は極めて高く評価している。この程度の隠匿さえできない人ではないのだ。
逆説。この気配は脅威ではなく、敵と認知するまでもない。
ただ、それでも。その気配が誰なのかを掴み取るには至らず。
いつでも迎撃できるように、ゆっくりと扉を開けて、来訪者を確認しようと試みた。
『剣』が居た。
扉を閉める。
「…………? ん、んー……? 幻覚? 見間違い?」
一通り、持っているイメージと噛み合わない。
そもそも彼が今日、此処に来るとは聞いていない。予定があれば確実に伝えてくるだろう。そういう人だ。
また、『徽』に知らせないで来るのであれば、それこそ奇襲か。であれば彼女の魔力探知から逃れるなり、遅らせるなりする手段はいくらでもある筈だ。
どちらでもなく、彼は扉の向こうに佇んでいた。
僅かに『徽』を見たようで、その上で閉まった扉を前に、何の行動も起こさない。
「んーむ。ふむ……これは……、怒られるかな」
彼女の聡明な思考は、恐らくこうだろうという結論を導き出していた。
すなわち。『剣』は怒っているのだ。『徽』の謝罪を待っているのだ。
何か悪い事をしたかと言われたら、正直な所、心当たりが多すぎて絞りきれない。自覚していない問題も沢山起こしている気もしてきている。
面倒な事になる前に、これははっきりと誠意を見せるべきなのだろう。
何とはなしにいたたまれなくなり、ゆっくりと、扉を開ける。
『剣』が居た。
「この度は誠に申し訳ありませんでしたぁーーーっっ!!!」
「何で出会い頭に土下座されてるんだ俺は!?」
違ったらしい。
「……違うの?」
「何がだよ。どう勘違いしたら挨拶代わりに土下座する事になるんだ」
「え、いや。怒りに来たんじゃないのかって」
「怒られるような事でもしたのか」
「たぶん。いっばい。あれとかこれとかそれとか」
「ひとつ残らず話せ、希望の通りにしてやる」
墓穴掘った。
だったらこんな正直にならなくても良かったのかもしれない。
しかし。ならば、疑問は解けないままだ。
「……? じゃあ何で此処に来たのさ。要件が無いと、キミは私の顔なんて見ようとしないでしょ」
過去、一貫して。
『剣』は『徽』に会うにあたり、必ず話を持ち込んできた。
大概が耳の痛い話である。避けて通れない話である。『徽』の自業自得である。
だから、何か問題でも起こしたのだろうと。そう判断していたのだが。
問いに対して、『剣』は頭を掻きながら。
「……俺が何の要件も無く、ただアンタと話をしに来ただけだと言ったら。困るか?」
自身の中でも消化しきれない衝動を、零した。
硬直。『剣』らしくない言動である。それを聞いて、彼女の思考はまた高速で回り始める。
聡明にして理知。人間では至れない圧倒的な経験値。
そんな『徽』は、もうひとつの結論へと思い至る。
あまりの回答に、発言の前から驚きを隠せない。口元に手を当て、それでも悲鳴めいた声は止まらなかった。
「『剣』がデレたぁーーーっっ!!?」
「やかましいわ!!」
違ったらしい。




