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0.

 雨はとっくに止んでいた。


 左胸の真上。彼女の命を断つ為に、その剣は構えられている。

 あと僅か、ほんの僅か。致命に至るであろう切っ先は、しかし迷いに揺れる事は決して無く。

 二人の視線は交錯する。

 或いは想い人に見せるような、恍惚とした瞳で。

 或いは救えない悪鬼を見るような、冷徹な眼で。


「……殺さないの?」


 言葉が浮かぶ。

 期待を込めた高揚感が、その端には滲んでいた。


「キミなら、私を殺せるよ。確信がある。不死身の魔女なんて、生かしておく理由が無いんじゃない?」

「……理由が無い」


 剣は動かない。進退は許されない。

 生殺与奪を握る側が、言葉で追い詰められている。二人を除いて音を発するものが消えた静寂で、それは何とも奇妙な光景だった。


「理由を俺は作れない。この惨事を呼んだのはアンタだろ。……だから殺す? とっくに手遅れで、解決の余地も無いのに? ここでアンタを殺した所で、何がどう好転するんだ?」

「キミの気は晴れるだろうさ」

「違うだろ──」


 心を冷たく研ぎ澄まし、彼は会話を続けていく。

 眼前の化物を殺める為に振り上げられた拳が、行き場も無いまま落ちそうになる。

 迷いでは無く。状況の整理による、確認。

 それが彼の手から、殺意をゆっくりと解いていく。


「──俺がどうなった所で、この事態は何も変わらない」

「…………」

「ここでアンタが死んでも、俺にしか変化は無いんだ。だから、殺す理由が」

「生かしておく理由も無いのに?」


 雨はとっくに止んでいた。

 二人の体を濡らすのは、その他大勢の返り血だけ。

 ……正しくは青年が受けた血が、いつの間にか彼女にも落ちているだけなのだが。押し倒されていた女性は、はじめから濡れてなどいなかった。


「それは、キミの願いなんじゃないのかな。私を殺したくないって情が絡んだ。……少し嬉しくて、そして少しだけ残念だ」

「俺は、」

「私の魔法。どういう物か、もう知ってるでしょ?」


 ゆっくりと剣が退けられる。

 体躯で劣る筈の彼女は、特に力む様子もなく、軽く青年を小突くだけ。

 そうして命に手がかかっていた距離は、また少しだけ、開いていった。


「手遅れなら、手遅れなりに」


 埃を払う彼女の動きに、目をやる事すらできないまま。

 青年の手に力は無い。剣を離さないだけで、何をしようという気力も残っていないようだった。


「この『世界』とやらを、なんとか終わらせてみようじゃない」





 雨はとっくに止んでいた。

 背中からまばらに聞こえる音も、勢いがひっきりなしに変わる雨も、全身に浴びる血液も。既に聞こえてはいなかった。

 それはただ、雨だと思いたかっただけだった。悲鳴も怨嗟も一緒にして、無価値な物だと断じていただけだったのだ。


 雨なんて、はじめから降っていなかった。





 ──それは、滅びへ向かう物語。

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