第13話 黒幕の正体と、お日様の匂い
王宮の中庭に、どす黒い重圧がのしかかる。空中に浮かぶ巨大な漆黒の魔法陣から現れたのは、バルガルド帝国の宮廷魔導師にして、数多の魔獣を「兵器」へと改造してきた元凶――ゾルディスだった。
「……嘆かわしい。我が最高傑作である『殺戮獣』が、まさか下働きの人間の指先一つで牙を抜かれるとはな」
ゾルディスは宙に浮いたまま、ジヴの足元で紺青色の美しい毛並みを取り戻した豹を、虫ケラを見るような目で見下ろした。その杖が不気味に輝き、周囲の草木がどす黒く変色していく。
「伝説の獣、パルゥよ。貴様もあんな男に甘えるのはそこまでにせよ。貴様のような強大な魔力を持つ獣は、我が呪印によって全ての感情を削ぎ落とし、帝国を永遠に支配するための『兵器』となるのが正しい姿なのだ。毛並みだの温もりだの、そのような下らぬ情緒は弱者の逃避に過ぎん」
ゾルディスの言葉は冷酷だった。だが、ジヴは怯えるどころか、深い憐れみを込めて老人を見つめていた。ジヴの【黄金の指】は、ゾルディスの全身を覆う「致命的なまでの凝り」を視覚化していたからだ。
「ゾルディスさん。……あなた、もう限界でしょう。魔導を制御するために神経を張り詰めすぎだ。脊髄が悲鳴を上げて、思考が憎しみ以外を受け付けなくなっている」
「黙れ!貴様の戯言など聞く耳持たぬ!」
ゾルディスが杖を振り下ろそうとした瞬間、ジヴの腕を飛び出したパルゥが、ゾルディスの胸元に激突した。それはパルゥが怒った時にだけ見せる、最大最強の必殺技。「怒りの、だっこ(全方位浄化威嚇)」である。
「ぬぐっ……!?離せ、この毛玉め!身体が……熱い……いや、これは……」
パルゥに抱きつかれたゾルディスを襲ったのは、単なる柔らかさではない。それは、ジヴが毎日磨き上げ、パルゥの深層筋まで解きほぐしたことで生まれた、「抵抗ゼロの吸い付くような質感」だった。魔導師として完璧な防御障壁を張っていたはずのゾルディスだったが、パルゥの毛並みは物理的な「接触」を超え、神経細胞の一つ一つに直接介入してきたのだ。
「……キュ、ピィィィィィッ!!」
パルゥが叫ぶ。その瞬間、パルゥの全身から「お日様の匂いの波動」が炸裂した。それはバニラの甘さでも、香草の鋭さでもない。干したての布団のように温かく、脳を強制的にリラックス状態へ叩き込む、生存本能に訴えかける芳香だった。
ゾルディスの脳内で、張り詰めていた負の魔力が、その匂いによって中和されていく。彼は思い出した。かつて魔導の深淵を目指す前、まだ幼かった頃に抱きしめていた「猫」の温もりを。その毛並みに顔を埋めていた時の、世界で一番安全だったあの記憶を。
「ああ……私は、何を……。何を求めて、こんな冷たい闇の中に……」
ゾルディスの目から、乾ききっていたはずの涙が溢れ出した。神経の強張りが解け、魔力の制御が失われた彼は、パルゥを抱きしめたまま地上へとゆっくり降り立ち、ジヴの前に膝をついた。
「ジヴ殿……。私は、負けた。この『お日様の匂い』の前には、あらゆる野心も魔導も、ただのゴミ屑でしかなかった……」
パルゥは満足そうに「ぷきゅ〜」と鳴くと、ゾルディスの腕からジヴの肩へと飛び移った。バルガルド帝国の脅威は去った。いや、帝国最強の頭脳さえも、パルゥの放つ「究極の質感」によって、もはや戦う理由を見失ってしまったのである。
「……さて。一件落着だね、パルゥ。お腹も空いたし、今日は特選の薬草クッキーでお祝いしようか」
ジヴの声が響く中、王宮の上空には、争いの跡など微塵も感じさせない、突き抜けるような青空が広がっていた。




