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年末年始スペシャル 前編『幻のおせち料理』


 12月31日。大晦日である。

 日本にいれば、今頃はこたつに入って特番を見ながら、みかんを剥いている時間だ。

 あるいは、除夜の鐘を聞きながら、厳かな気持ちで年越しそばを啜っているかもしれない。

 去年の今頃は、母と一緒にスーパーで半額になった海老天を奪い合い、笑いながらそばを食べた記憶がある。


 しかし、ここは異世界。

 当然ながら、年末の特番もなければ、紅白歌合戦もない。除夜の鐘の代わりに、遠くでワイバーンの遠吠えが聞こえる程度だ。

 街の雰囲気も、年末というよりは「ただの冬の平日」といった風情で、どうにも締まらない。


 ――腹が、減った。


 正確には、心が「和」を求めて枯渇している。

 異世界の料理も悪くはない。マンドラゴラのフライも、コカトリスの親子丼も、それなりに美味だった。

 だが、日本人のDNAが叫んでいるのだ。「正月くらい、おせちを食わせろ」と。

 黒豆。数の子。伊達巻。そして、お煮しめ。

 あの甘じょっぱい、茶色い正義たちが恋しい。


 そんな私の苦悩を見透かしたように、先日、母がとんでもない情報を投下した。

『あるらしいよ、この世界にも。「オセチ」を出す店が』


 母曰く、それは「幻の店」であり、一年に一度、この時期にしか店を開けないという都市伝説級の存在らしい。

 場所は不明。メニューも不明。

 だが、その名前だけは確かに「オセチ」だという。


 行くしかない。

 私の胃袋が、全力で「出撃せよ」と号令を出している。

 今日の私は、ただの食いしん坊JKではない。

 幻の味を追い求める、孤高のフード・ディテクティブ(食の探偵)。名探偵ホノカだ。


 まずは情報の足使いだ。

 探偵の基本は、足で稼ぐこと。私は母から聞いた大まかなエリア、下町の歓楽街へと足を運んだ。


 一軒目。

 赤提灯ならぬ、赤いドクロのランプが揺れる、いかにも治安の悪そうな酒場。

 木の扉を開けると、紫煙とアルコールの匂い、そして男たちの怒号が渦巻いていた。

 明らかに場違いだ。制服姿の異世界人が入っていい場所ではない。

 だが、こういう場所にこそ、裏の情報が集まるものだ(推理小説知識)。虎穴に入らずんば虎子を得ず。私は勇気を振り絞って足を踏み入れた。


 カウンターへと進む。

 そこにいたのは、眼帯をした強面のマスターと、やたらと露出度の高い猫耳ウェイトレスだった。

 猫耳ウェイトレスが、私を見るなりニヤリと笑う。

 可愛らしい笑顔ではない。獲物を見つけた肉食獣の笑みだ。


(いらっしゃい。何にするんだい?)

 言葉は分からないが、顔がそう言っている。


 私はスケッチブックを取り出し、サラサラと絵を描いた。

 黒豆、伊達巻、海老、栗きんとん。

 我ながら完璧な「おせち」のイラストだ。

 それを見せながら、私は尋ねる


 猫耳お姉さんは絵を覗き込み、眉をひそめた。

 そして、私の手からスケッチブックを奪い取ると、バン!とカウンターにジョッキを置いた。

 中身は、毒々しい緑色の液体。泡立っている。


(情報を聞きたいなら、まずは一杯やりな。話はそれからだ)

 そういうジェスチャーだ。客単価を上げろということか。


 私は首を横に振る。

 日本では二十歳から。異世界でも、私の倫理観が飲酒を許さない。それに、その緑色の液体からは危険な香りがする。

 私が拒否すると、猫耳お姉さんの表情が一変した。

 氷点下の冷たさ。

 彼女は親指で出口を指し示した。


(金も落とさねぇガキは帰んな。塩撒くぞ)※ほのか脳内和訳


 ……世知辛い。

 異世界の洗礼を浴び、私は酒場を追い出された。

 背中でバタンと閉まる扉。冬の風が心に染みる。

 だが、挫けてはいられない。私の「おせち欲」は、こんなことでは消えないのだ。


 二軒目。

 今度は打って変わって、表通りにある小洒落たカフェだ。

 ガラス張りの窓から差し込む陽光。観葉植物。優雅にお茶を楽しむ客たち。

 ここなら話が通じるかもしれない。民度の高さに期待しよう。


 私は店に入り、席に着いた。

 ターゲットは、隣の席に座っているカップルだ。

 幸せそうな二人なら、心に余裕があるはず。親切に教えてくれるに違いない。


 私は再びスケッチブックを開き、先ほどの「おせち」の絵を見せる。

 そして、精一杯の「愛想笑い」を浮かべた。

 言葉が通じない以上、笑顔こそが最大の武器。

 私は口角を限界まで吊り上げ、目を三日月のように細め、最大限のフレンドリーさをアピールする。

 こんにちは。怪しいものではありません。ただ、おせちが食べたいだけの純粋な女子高生です。


「……??」


 カップルの表情が凍りついた。

 彼氏の方が、彼女を庇うように抱き寄せ、私に怯えた視線を向ける。

 あれ?

 なぜだ。私の笑顔は「不審者」に見えるのだろうか‥

 彼らはそそくさと会計を済ませ、逃げるように店を出て行ってしまった。


 ……解せぬ。

 私は一人、取り残された。

 異世界での聞き込み調査、ハードルが高すぎる。

 言葉の壁。文化の壁。

 やはり、幻のおせちは幻のまま終わるのか。


 ぐぅぅぅ……。

 腹の虫が鳴いた。

 調査も大事だが、まずは腹ごしらえだ。腹が減っては戦はできぬ。

 私はメニューを開き、唯一、写真でなんとなく味が想像できそうな料理を指差して注文した。


 数分後。

 運ばれてきたのは、土鍋の中でグツグツと煮えたぎるオイル煮。

 『イヤンクックのアヒージョ』だ。


 ジュワワワワ……。

 香ばしいガーリックの香りと、オリーブオイルの芳醇な匂いが立ち上る。

 中には、一口大にカットされたコカトリスの肉、キノコ、そして異世界の野菜がゴロゴロと入っている。


 私はフォークを手に取り、熱々の肉を刺した。

 ふーふー、と息を吹きかけ、口へ運ぶ。


 ……美味い。

 弾力のある肉を噛み締めると、中からジューシーな肉汁が溢れ出し、ガーリックオイルと混ざり合う。

 鶏肉よりも味が濃く、しかし脂っこくはない。

 バゲットがあれば無限に食べられる味だ。

 異世界の鳥も、ニンニクと油の前では平等に美味い。


「フン……」


 その時だ。

 私がアヒージョの余韻に浸っていると、鼻で笑うような、不愉快な音が聞こえた。

 顔を上げると、いつの間にか私の向かいの席に、一人の男が座っていた。


 ……誰だ。

 金髪の巻き毛。フリルのついた派手なシャツ。ベルベットのジャケット。

 いかにも「貴族です」「お金持ちです」「でも物語の序盤で主人公に恥をかかされる咬ませ犬です」というオーラを全身から放つ男。

 モブだ。それも、極上のモブキャラだ。


 男は私を見下すような目で見て、異世界語で何かを捲し立ててきた。

(お嬢ちゃん、随分と困っているようだねぇ?)

 多分、そんなことを言っている。


 貴族風の男は、ニヤニヤしながら私の服――制服の袖を指先でつまんだ。

 そして、懐から金貨をチャリン、チャリンと二、三枚取り出し、テーブルに並べた。


(その服、珍しいデザインだねぇ。僕に売ってくれないか?)


 どうやら、私の制服が目当てらしい。

 異世界では、このブレザーとチェックのスカートは「未知の民族衣装」として希少価値があるのだろうか。

 だが、断る。

 私は首をブンブンと横に振る。

 これは私のアイデンティティだ。これがないと、私はただの「食いしん坊な不審者」になってしまう。絶対に売れない。


 私が拒否すると、男は不満げに鼻を鳴らした。

 そして、私の手元にあるスケッチブックをひょいと取り上げ、「おせち」の絵を指差した。


(ふーん。君、これを探しているのかい?)


 彼の表情が変わる。

 ニヤリとした、意地の悪い笑み。

 そして、自分の胸を親指で指し、「ポンポン」と叩いた。


(僕は知っているよ。この店の場所をね)


 !!

 情報を持っている!?

 流石は貴族。伊達にいい服を着ていない。

 私は身を乗り出した。教えてくれ、と目で訴える。


 男は「チッチッチ」と指を振り、再び金貨と、私の制服を交互に指差した。

(タダじゃ教えないよ。情報をやる代わりに、その服をよこせ)


 こいつ……!

 足元を見てきやがった。

 女子高生の制服を剥ぎ取ろうなどと、変態の所業だ。断固拒否する。

 私が再び拒絶のポーズ(腕でバッテン)を作ると、男はムキになったように顔を赤くした。

 そして、パチン!と高く指を鳴らした。


 ウェイトレスがやってくる。

 男が何かを注文した。

 数分後。

 テーブルの上に、信じられない物体が置かれた。


 ドォォォォォン……!


 それは、タワーだった。

 高さ、およそ1メートル。

 巨大なガラスの筒の中に、虹色の液体が層になって充填されている。

 一番下は青、次は緑、黄色、赤……そして頂上には、山盛りの生クリームと、謎の果実がトッピングされている。

 明らかに、パーティーで5、6人でシェアするサイズだ。


 男は、その巨大な筒と、私を交互に指差した。


(勝負だ、小娘。これを一人で飲み干せたら、情報をタダで教えてやる)

(だが、もし飲めなかったら……その服を置いて、裸で帰ってもらおうか!)


 なんという卑劣な提案。

 だが、私の中に眠る「負けず嫌い」の炎と、「食い意地」の業火が同時に着火した。

 売られた喧嘩は買う。それが日本のJK魂だ。

 それに……相手にとって不足なし。

 所詮は液体。飲み物だ。


 私は無言で頷き、タワーの前に立った。

 頂上にある極太のストローを口に咥える。

 男が「始め!」と合図をした。


 こう言うのは勢いが大切だ!私はダイソンも裸足で逃げ出す吸引力で、一気に吸い込んだ。


 ズゴゴゴゴゴ……ッ!!


 !?

 口の中に液体が入った瞬間、衝撃が走った。

 痛い!

 舌が、喉が、パチパチと弾けるような痛み。

 これは……炭酸だ!

 それも、ただの炭酸ではない。地球のコーラの比ではない、凶悪なまでの『強炭酸』だ。


 やられた!

 ただのジュースだと思っていた。

 甘いシロップの味など分からない。口の中を暴れまわる気泡の暴力。

 喉が焼けるようだ。

 男がニヤニヤと笑っている。「無理だろ? 諦めろ」と言いたげだ。


(くっ……! 卑怯者め!)


 胃の中でガスが膨張していくのが分かる。

 苦しい。腹が張る。

 だが、ここで止めたら制服を奪われる。日本の女子高生のプライドが許さない。

 私は目をカッと見開き、ストローを噛み締めた。

 舐めるなよ。


 ズズズッ、ボゴッ、ジュルルル……!


 私は気合で炭酸を胃の奥へと押し込む。

 味? そんなものは分からない。

 ただひたすらに、刺激と痛みとの戦いだ。


 半分を過ぎたあたりで、限界が来た。

 胃から逆流しようとする空気の塊。

 ゲップだ。

 乙女として、人前でゲップなど絶対に許されない。

 しかし、今は非常事態。

 私は背中を丸め、男の方を向いた。


「ぐふぅッ……!!」


 低い、地の底から響くような、まるでカエルの王様のような重低音のゲップが漏れた。

 男の笑顔が引きつる。

 私は止まらない。

 一口飲むごとに、「げふっ」「ごふっ」「ぐぇっぷ」と、変態的なリズムでガスを放出し続ける。


 周囲の客たちがドン引きしている。

 知るか! 今はなりふり構っていられないんだ!


 ラストスパート。

 底に溜まったタピオカのような謎の粒々を一気に吸い上げる。

 喉がシュワシュワする。涙目で吸い込む。


 ズズーッ! スポンッ!


 完飲。

 私は空になった巨大なグラスを、ダンッ!とテーブルに叩きつけた。


「ぐふぁーーーっ! ごちそうさまでしたぁッ!」


 特大のゲップと共に、勝利宣言。

 静寂。

 カフェ中が、水を打ったように静まり返った。

 私は口の周りについたクリームを拭い、涙目のまま勝利の眼差しで男を見据えた。

 どうだ。参ったか。これが日本のJKの底力だ。


 男は、椅子に座ったまま、真っ白に燃え尽きていた。

 その顔は、明日のジョーの最終回のように穏やかで、そして白い灰になっていた。

 魂が抜けている。

 プライドを粉々にされたショックで、気絶したらしい。


「あ、ちょっと! 情報は!?」


 私は彼の肩を揺さぶるが、反応がない。

 「負けたぜ……」という幻聴が聞こえるだけで、彼はピクリとも動かない。

 おい、約束が違うぞ。

 飲み逃げか? いや、飲んだのは私だが、情報逃げか?


 私が途方に暮れていると、テーブルの上に一枚の紙が残されているのに気づいた。

 いつの間に書いたのだろう。

 私は母から借りた「翻訳眼鏡」をかけて、その紙を見た。


 そこには、地図が描かれていた。

 街外れの森の中。ひっそりと佇む店の場所。

 そして最後に、流れるような美しい筆記体で、署名があった。


『ナルシス・ド・カマセーヌ』


 ……ブフォッ。

 私は出そうになったゲップと共に、吹き出しそうになった。

 どこからどうツッコミを入れたらいいのか分からない。親の顔が見てみたい。

 いや、一周回って清々しいまでのネーミングセンスだ。


 私は燃え尽きたカマセーヌを一瞥し(彼はまだ白かった)、店を後にした。

 地図は手に入れた。

 だが、今日はもう無理だ。

 腹が炭酸でパンパンだ。歩くたびに「ぽちゃっ、げふっ」と音がする。

 これでは森を探索するどころではない。


 私は一旦、屋敷へ撤退することにした。

 明日だ。元旦こそ、決戦の日だ。


 その日の夜。

 私はベッドの中で、無限に続くゲップのループに苦しめられ、一睡もできなかった。

 恐るべし、異世界の強炭酸。


後編『魔界の重箱・おせちパニック』へつづく

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