第五食 「白うさぎのミートパイ」 後編
決戦の朝。
待ち合わせ場所の広場に行くと、そこには既にラノック先生が立っていた。
ピシッとしたスーツ姿。彼は一体いつから待っていたのだろう。この異世界において、彼ほど律儀な人間は貴重かもしれない。
先生は私の格好を見て、不思議そうな顔をした。
無理もない。今日の私は制服ではない。
PUMAのジャージだ。
動きやすさ重視。これが地球の戦闘服だ。紳士には理解できまい。
遅れて、ヘラヘラと笑いながら男がやってきた。
カインだ。
相変わらずの上半身裸に短パン。そして背中には、自分の身長ほどもある巨大な剣を背負っている。
職業不明。私の予想ではニート、あるいは変質者。
女子高生、教師、無職。
地獄のようなデコボコパーティがここに結成された。
私たちは白うさぎが大量発生しているという山へ向かった。
道中はハイキング気分だ。私は滋賀の田舎育ち。山登りなど庭の散歩に等しい。
カインも鼻歌交じりで、余裕の笑みを浮かべている。
しかし――。
一人、ラノック先生だけは違った。
「はぁ……はぁ……! ……パイン(訳待って)……!」
息も絶え絶え、必死の形相で私たちに食らいついてくる。
まだ登り始めて三十分も経っていない。しかも道は緩やかだ。母とよく登った京都の大文字山の方がよほどきつい。
先生、運動不足すぎませんか。
小一時間ほど歩いたところで、先頭のカインが手を上げ、止まるように指示した。
どうやら巣が近いらしい。
カインが指さす先の開けた場所を見る。
いた。
あれが……白うさぎ?
皆さんは「白うさぎ」と聞いたら何を想像するだろうか。
愛くるしい長い耳、つぶらな瞳、フワフワの毛並み。
しかし、ここは異世界。地球の常識など通用しない。
私の目の前にいたのは――。
丸い。
お餅のように白くて丸い物体が、大・中・小と三つ重なっている。
……鏡餅だ。
大量の鏡餅が、草原をピョンピョンと跳ねている。
よく見ると、一番上の餅にウサギのような耳が生えている。だから白うさぎか。なるほど。
(んなわけあるかい! どう見ても餅やろ! 名前考えた奴出てこい!)
心の中で盛大にツッコミを入れている間に、カインが動いた。
背中から大剣を抜き放ち、何も考えていないかのように正面から突っ込んでいく。
すぐに大量の鏡餅たちに囲まれるカイン。
次の瞬間、私の背後から凄まじい音が響いた。
ヒュンヒュンヒュン!
大量の水の粒弾だ。
振り返ると、ラノック先生が杖を構えていた。
魔法だ。初めて見た。
圧縮された水弾が、餅めがけて次々と放たれ、餅を射抜いていく。
だが、数が多すぎる。ラノック先生の連射速度でも追いつかない。
その時、カインが大剣を構えた。
グググッ……と力が込められる。
刀身から、白い蒸気のようなものが大量に溢れ出した。
「フンッ!!」
カインが一閃。
蒸気は竜巻となり、周囲の白うさぎ(餅)をまとめて薙ぎ払った。
……凄い。
私が口をポカンと開けて見ている間に、大半の白うさぎは討伐されていた。
理不尽。圧倒的な暴力を前に、私はただの観客だった。
白うさぎからしたら、平和に暮らしていたのに、急に半裸の変態悪魔が現れて家族兄弟皆殺しにされたようなものだ。
悪く思うな……恨むなら、この異世界に生まれた自分を恨め。
残るは巣の焼却のみ。
しかし、二人が困った顔で話し合っている。
どうやら火種がないらしい。魔法使い(水属性)と脳筋(物理)の限界か。
私はため息をつき、枯れ葉を集めた。
カバンから、地球の文明の利器『マッチ』を取り出す。
シュッ。ボッ。
松明を作り、巣穴へと放り込む。
燃え上がる炎を見て、二人から「おおーっ!」と歓声が上がった。
ふふん。近代技術を舐めたらあかん。
私はまだ状態が良さそうな餅……いや白うさぎを数匹回収し、カバンに詰めた。
ギルドへ戻り、猫耳受付嬢から報酬を受け取る。
ほとんど何もしていない(マッチ擦っただけ)の私だが、なぜか報酬の銀貨は一番多かった。
二人は、私の肩をポンと叩き、去っていった。
少しの時間だったが、これが異世界の冒険か。うん、悪くない。
だが、感傷に浸っている暇はない。
私には第二の、そして真のミッションがある。
『ユノリア名物・白うさぎのミートパイ』を食すことだ。
私は受付の猫耳に、カバンの白うさぎを見せ、調理できる店がないか尋ねた。
瞬間、猫耳が露骨に嫌な顔をした。
まるで汚物を見るような目だ。
私は文字盤を使い、紙に『白うさぎのミートパイを調理できる店を教えて』と書いて見せた。
猫耳は驚愕し、首を激しく横に振る。
(やめておきな。死ぬよ?)
顔にそう書いてある。
なぜだ? ガイドブックには名物と書いてあったのに。
猫耳はシッシッと私を追い払おうとする。
知るか! 私の口はもう、サクサクのパイとジューシーな肉汁の口になっているんだ!
私は最終奥義を放つ。
「ケント・デリカット(働かせ……じゃなくて、教えろ)」
猫耳が「もう止めてくれ」と耳を塞ぐ。
さらに追い打ちをかけると、彼女は観念して一枚の地図を書いてくれた。
地図を頼りにたどり着いたのは、路地裏の大衆食堂。
中に入ると、そこには明らかに「給食のおばちゃん」オーラを放つ、ベテランのコックがいた。
私が白うさぎを見せると、コックの目が変わった。
殺気にも似た鋭い眼光。
私は紙に異世界語で『ミートパイ』と書いて渡す。
コックは「フン」と鼻で笑い、近くにいた猫耳ウェイトレスにそれを渡した。
(お前、客だったんかい!)
ウェイトレスは紙を見て顔色を変え、すぐに厨房へ走っていった。
再び現れたコックは、私を見て必死で何かを訴えてくる。
身振り手振り。首を振り、腹を押さえ、バッテンを作る。
(やめろ。後悔するぞ。俺は知らんぞ)
異世界語は分からないが、言いたいことは分かる。
しかし、私は譲らない。
私の胃袋は、もう限界なのだ。
「さあ作るのだ! お前はコックだろう!」
私は両手を天高く広げ、全身で食欲をアピールする。
コックは渋々といった様子で頷き、私を別室へと案内した。
待つこと数分。
ガチャリと扉が開き、ウェイトレスが入ってきた。
……え?
彼女はガスマスクを装着し、全身を感染防護服のような分厚いゴムスーツで覆っていた。
ま、待て。一体何を食べさせる気だ。
続いて入ってきたコックもまた、完全防備の重装備だ。
そして、テーブルに置かれた皿。
そこには、こんがりと焼けたパイが……。
いや、パイの隙間から、紫色の禍々しいオーラが立ち上っている。
ボワッ……。
鼻をつまんでいないと気絶しそうな、凄まじい異臭。
例えるなら、「真夏の部室に放置されたラグビー部の靴下を、ドリアンと一緒に煮込んで、さらに腐った卵をトッピングした」ような臭いだ。
鼻がもげそうだ。
視界が歪む。意識が彼方へと持っていかれそうになる。
これが……名物?
しかし、ガイドブックは嘘をつかない(はずだ)。
駄目だ……食すんだ……。ここまで来て引けるか。
私は震える手でスプーンを握り、パイに突き立てた。
グニャリ。
……え?
スプーンの首が、異臭の成分に反応したのか、飴細工のように曲がった。
そんなことってあるんか? 物理法則すら無視する臭気なのか?
絶体絶命。
このまま食べれば、私は確実に死ぬ。あるいは鼻が壊死する。
だが、私には切り札がある。
地球の叡智。日本の調味料だ。
「臭いものには、刺激物をぶつける」。毒をもって毒を制す作戦だ。
私はカバンの奥底から、大切に保管していたチューブを取り出した。
『特選・本生わさび』。
そして、弁当用の小袋に入った『醤油』。
私は曲がったスプーンでパイを強引に割り、中身の肉にわさびを大量に絞り出した。
緑色のペーストが、紫のオーラと混ざり合う。
さらに醤油を数滴。
和の香りが、腐敗臭と化学反応を起こし……中和していく!
今だ!
私は息を止め、わさび塗れの肉塊を口に放り込んだ。
ガリッ。ジュワッ。
……ん?
ツーンと鼻に抜けるわさびの刺激。その後に広がる、濃厚な旨味。
臭くない。いや、臭いが強烈なコクへと昇華されている。
肉はホロホロと柔らかく、脂は甘い。
まるで極上のホルモン焼きのような、中毒性のある味だ。
「う……美味い!」
私が叫ぶと、防護服のコックたちが「信じられない」という顔で腰を抜かした。
私は止まらない。
わさびを追加し、涙目でパイを貪る。
臭い。でも美味い。臭い。美味い。
この背徳感こそが、グルメの真髄だ。
【本日の評価】
★★★★☆(星4つ)
味は悪魔的美味さ。ただし、ガスマスクなしでの完食は命がけ。
日本のわさびがなければ即死だった。
食後の口臭が兵器レベルになるため、デート前には絶対に食べてはいけない。
店を出ると、外の空気がこれほど美味しいと感じたことはなかった。
私は大きく深呼吸をし、重くなった腹をさすりながら帰路についた。
……なお、帰宅後、母に「近寄るな!」と全力で結界を張られたのは言うまでもない。




