第十ニ食 再会と、メンヘラ貝の誘惑 (後編)
海風が頬を撫でる。
私たちは今、ユノリア国の沖合に浮かぶ小型の漁船に乗っていた。
操舵するのは無表情な専属メイドのメメさん。甲板には、船酔いでダウンしている魚人のジョセフィーヌが転がっている。
そして船首では、千尋が謎の器具を海面に突き立てていた。
竹筒の先に漏斗のようなものをくっつけた、自作の「水中聴診器」だ。
「……いるわ。水深20メートル、右舷前方。あの岩礁の影よ」
千尋が真剣な顔で言った。
『絶対音感』。彼女の耳は、海中の微かな水流の乱れや、生物の心音すら捉える、生きた高精度ソナーなのだ。戦闘では役立たずと馬鹿にされたスキルだが、漁業においては完全にチートである。
「よし、メメさん! 船を止めて!」
千尋の合図で船が停止する。
私たちは船べりから、海中を覗き込んだ。
透き通る青い海。その底の岩肌に、それはいた。
『ナイス・ガイ(通称:メンヘラ貝)』。
人の頭ほどの大きさがある巨大な二枚貝だ。その殻は、太陽の光を反射して七色にキラキラと輝いている。宝石のように美しい。
「綺麗……これが、高級コスメの容器になるのね」
私が感嘆の声を漏らした、その瞬間だった。
パカッ。
貝殻が、少しだけ開いた。
中から、何かが出てきた。
触手? それとも真珠?
「……え?」
私は目を疑った。
七色に輝く美しい貝殻の中に鎮座していたのは――小さな、バーコードハゲの『おっさん』だった。
肌色の、ブヨブヨとした質感。くたびれたランニングシャツを着ているような模様。そして何より特徴的なのは、見事なまでに二つに割れた『ケツアゴ』だ。
おっさんが、貝の中から虚無の表情でこちらを見上げている。
「キッ、キモッ!?」
思わず悲鳴が出た。
なにこれ。新種の妖精?
「ほら、捕まえるわよ!」
千尋は全く動じず、手回しの網を海に投げ入れた。
網がメンヘラ貝に迫る。
すると。
「アイィィィン!!」
おっさんが謎の奇声を発し、バタバタと必死に貝殻を開閉させて水を掻き、猛スピードで逃げ始めた。
キモい! 逃げ方もキモい!
貝のくせに動きが機敏すぎる。網をするりと躱し、岩の隙間へと隠れようとする。
「チッ、そのままじゃ捕まえられないわね。仕方ない」
千尋は舌打ちをすると、懐から奇妙な楽器を取り出した。
それは、以前採取したメンヘラ貝の殻を二枚合わせた、カスタネットのようなものだった。
カチャ、カチャチャチャッ……♪
千尋がカスタネットを叩き始める。
そのリズミカルな音波が海中に響く。彼女の絶対音感が弾き出した、特定の周波数。
それは、メンヘラ貝を深い眠りへと誘う『子守歌』の音だった。
ピタッ。
逃げ回っていたおっさん貝の動きが止まった。
スヤァ……。
おっさんが目を閉じ、ケツアゴからよだれらしき粘液を垂らして眠りについた。
千尋はすかさず網を引き上げ、見事にメンヘラ貝を甲板へと釣り上げた。
「よし、第一段階クリア。次よ、ほのか」
千尋が、眠るおっさん貝を私の前にゴトリと置いた。
「えっ……次って?」
「解体よ。どこにシャンプーの原料(粘液)があって、どこに毒袋があるかわからない。不用意に刃物を入れれば、自爆して貝殻ごと使い物にならなくなるわ」
千尋は真剣な目で私を見た。
「出番よ。あなたの『絶対味覚』で、毒の場所を特定して」
……は?
私は、足元でスヤスヤ眠るハゲたおっさん(貝)を見た。
「な、舐めろって言うの!? この、おっさんを!?」
「そうよ。少しずつ舐めて、味の違いから毒の袋の境界線を探るの」
正気か。
いくら私でも、これには倫理の壁がある。
「む、無理無理無理! 絶対無理! セクハラだよこんなの!」
私が全力で首を横に振って後退りした。
パチン。
千尋が、冷酷に指を鳴らした。
「ギエッ!」
背後から、船酔いから復活した魚人・ジョセフィーヌが私の両腕をガッチリと羽交い締めにし、メメさんが私の鼻をつまんで強引に口を開けさせた。
「ちょっと! 何すんの! んぐっ!」
「さあ、味わいなさい。これがビジネスよ!」
千尋が、容赦なくメンヘラ貝の『おっさんの頭頂部』を私の口に突っ込んだ。
グチャッ。
「んんんんん!!」
苦い。そして、強烈に生臭い。
なにより、おっさんのブヨブヨした頭皮の感触が舌を直撃する。精神的ブラクラだ。
私の『絶対味覚』がフル稼働し、脳内に成分表を叩き出す。
(これは……毒じゃない! ただの不味い粘液!)
「どう!? 毒はどこ!?」
「んがーっ!(顎のほう!)」
私が叫んでおっさんを吐き出すと、おっさんが目を覚ました。
「ンガァァァ!!」
自分の頭を舐め回されたことに気づいたおっさん貝が、羞恥と怒りで真っ赤に染まり、直後、毒々しい紫色に変色した。
プシューッ……。
貝から紫色の煙が上がり、殻までドロドロに溶けていく。
「あーあ、メンヘラ発動(自爆)しちゃった。商品価値ゼロね」
千尋が舌打ちした。
「あんたのせいでしょ! 私の尊厳を返せ!」
私が涙目で抗議するのも無視し、千尋は次々と海から貝を釣り上げては、私の口に突っ込んできた。
パカッ。
次に出てきたのは、ヒョウ柄の模様を持ち、強いパーマをあてたような形状の『大阪のおばちゃん』風の身だった。
「あら、メスね」
千尋は無表情に言い放ち、おばちゃん貝を私の口にねじ込む。
「んんんっ!(アメちゃん舐めてる味がする!)」
数々の貝の犠牲と、私の舌とプライドの完全崩壊を経て。
何十個目かの解体で、ついに私は『法則』を見つけ出した。
「わ、わかった……」
私は甲板に四つん這いになり、ぜぇぜぇと息を切らしながら言った。
「メンヘラ貝のおっさんの、二つに割れた『ケツアゴ』……その『右側』だけが、毒袋よ……!」
「なるほどね! わかるかそんなもん!」
千尋もツッコミを入れたが、これで解体方法は確立した。
右のケツアゴだけを避け、左アゴから粘液を抽出すれば、貝を自爆させずに安全にシャンプーの原料と高級な殻を入手できるのだ。
ビジネス、大成功の瞬間である。
*
労働の後は、食事だ。
甲板には、安全に毒袋を取り除かれた「おっさん」の身が大量に転がっている。
「で、これどうするの?」
私が恨みがましい目で聞くと、千尋はメスティン(飯盒)でお湯を沸かし始めた。
「食べるのよ。ほのかも言ってたでしょ? 美味しいって」
「でも……おっさんだよ?」
千尋は無言で、おっさんの身を沸騰したお湯に放り込んだ。
すると、どうだろう。
お湯の中で、おっさんの顔がシュワシュワと溶け、縮み……数分後には、真っ白でプリプリとした、巨大な『ホタテの貝柱』のような美しい姿に変化したではないか。
「えっ!?」
「擬態魔法よ。捕食者から逃げるために、人間が本能的に『気持ち悪い』と思う姿を魔法で投影していただけ。熱を加えると魔法が解けて、本来の姿に戻るの」
「…………」
私は、ワナワナと震える手で千尋の肩を掴んだ。
「……はじめから言わんかい!!」
だったら、お湯につけてから舐めればよかったじゃないか!
私のあの地獄の苦しみはなんだったんだ!
「生で成分を解析しないと、シャンプーの鮮度がわからないでしょ。さあ、食べて食べて」
千尋は悪びれもせず、茹で上がった巨大貝柱を皿に乗せ、特製の醤油をタラリと垂らした。
熱気と共に、磯の香りと、焦げた醤油の香ばしさが立ち上る。
怒りは収まらないが……胃袋は正直だ。
私は割り箸を割り、その白い貝柱に齧り付いた。
サクッ。
「……!」
なんだ、この食感。
貝柱特有の繊維がほどけるようなサクサク感。そして、噛むほどに溢れ出す、まるで濃厚なミルクのようなコクと、カニのような強烈な旨味。
特製醤油の塩気が、その甘みを極限まで引き出している。
うぉォン……。
美味い。あのキモいおっさんが、ここまで昇華するとは。
俺は今、深海の真珠を食らっている。
一口、また一口と箸が止まらない。
口いっぱいに広がる暴力的な旨味の津波。これぞ異世界の幻の珍味。
苦労のスパイスが、さらに味を深くしている。
「ふぅ……」
完食。
私は満足感に包まれ、甲板に大の字に寝転がった。
【本日の評価】
★★★★☆(星4つ)
味は極上、食感は最高。
おっさんを舐めたトラウマでマイナス星1つ。
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青空を見上げていると、不意に、私の頭の中で『ピロリン♪』という爽快な電子音が鳴り響いた。
「え?」
「どうしたの?」千尋が覗き込む。
「なんか、レベルアップしたみたいな音が鳴ったんだけど……」
「あ! あんた、それスキルが派生したんじゃないの!?」
千尋が興奮して言った。
そういえば、地球から異世界に来て、「絶対味覚なんて使えない」と言われて以降、私は自分のステータス(スキルツリー)を開いていなかった。
「ちょっと、確認してみてよ! もしかしたら、すごい魔法が使えるようになってるかも!」
千尋に急かされ、私は空中に透明なメニュー画面を呼び出した。
名前:ほのか
固有スキル:『絶対味覚』
└【NEW】派生スキル:『オンデマンド・ハングリー(任意なる飢餓と満腹)』
説明文を読む。
『効果:自身の胃袋の容量に関わらず、自在に満腹と空腹を操ることができる』
「…………」
「…………」
私と千尋は、お互いの顔を見合わせた。
そして、同時に口を開いた。
「「……いらね」」
異世界サバイバルにおいて、全く戦闘に寄与しないどころか、食費を無限に消費するだけの呪いのスキルが爆誕した瞬間だった。
私たちのビジネスと食い倒れの旅は、まだまだ終わらない。




