第50話 私の最高のスローライフ
フィオナさんは、そう言いながらも、結局、私の隣を歩いてくれていた。
優しい友人である。
ミリオンの街のシンボルである、大水車は街の端を流れる大きな川のほとりに、静かに、たたずんでいた。
その周りには、宿屋の主人や粉屋の親方など街の人々が心配そうな顔で集まっている。
「おお、フィオナ様! それに、そちらのお嬢さんも来てくださったのか!」
私たちが近づくと、主人たちが期待の眼差しを向けてくる。
フィオナさんは、プロの顔つきで水車の状態を確認し始めた。
「なるほどな……。確かに軸の部分から、妙な音がする。だが、見たところ、外傷はない。原因は内部か……」
「ええ、そうです。一番奥にある動力伝達用の第三歯車。そこに、ほんの少しだけ亀裂が入っています。だから力がかかると歯車が滑って、異音が発生するんです」
私がこともなげに原因を告げると、その場にいた全員がぽかんとした顔で、私を見た。
「……え? 嬢ちゃん、なんで、そんなことが……? 中は見えないはずだぞ?」
「なんとなく、です」
私は、そう言うと、巨大な水車の複雑な機構の隙間にひょいと腕を差し入れた。
そして、しばらく手探りで何かを探ると、やがて目的のものを掴み出した。
「はい、これですね」
私が取り出したのは、直径一メートルはあろうかという巨大な鉄の歯車だった。その歯の一本に素人目には、分からないほどの微細な亀裂が入っている。
「……うそだろ……。あんな重いもんを片手で……」
街の人々が絶句している。
私は、その歯車を両手でそっと包み込んだ。 そして、錬金術の魔法を、ごく、ごく、わずかだけ流し込む。
歯車が淡い光を放ち、亀裂は跡形もなく消え去った。ついでに全体の強度も百倍くらいに上げておいた。
「はい、直りました。戻しますね」
私は、再び歯車を元の位置に寸分の狂いもなくはめ込む。全ての作業は、わずか数分で終わってしまった。
「……たぶん、これで、もう大丈夫だと思いますよ」
私の言葉に粉屋の親方が、半信半疑で水門をゆっくりと開く。
水が勢いよく流れ込み、水車に当たる。
あれだけ軋むような音を立てていた水車は、今度は、驚くほど滑らかに、そして静かに回り始めた。
わあああああああああっ!
次の瞬間。
街の人々から割れんばかりの大歓声が上がった。彼らは、私とフィオナさんを英雄のように担ぎ上げ、街の広場へと凱旋した。
その日の夜。
『風車の宿』では、街を挙げての大宴会が開かれていた。
フィオナさんは、すっかり街の英雄として人々に酒を注がれ、もみくちゃにされている。
私は、といえば。
その喧騒の中心から少しだけ離れたテーブルで、一人、目的のものを手に入れて満面の笑みを浮かべていた。
「……ふふふ」
私の手の中には、宿屋の主人がお礼にと特別に教えてくれた『風車の宿・秘伝のアップルパイ』のレシピが握られている。
お金よりも、どんな宝物よりも、私にとっては価値のある最高の報酬だった。
「……大活躍だったな、リリ」
宴会の喧騒から逃れてきたフィオナさんが隣に座り、エールをぐいっと飲んだ。
「そうでしょうか。私は、ただ、壊れたおもちゃを直しただけですけど」
「その『だけ』が普通じゃねえんだよ……。で? これで、満足したかい? 明日には、ここを発つのか?」
フィオナさんの問いに、私は焼き立てのアップルパイを一口、頬張りながら首を横に振った。
「いえ。もう、二、三日、ここに滞在しませんか?」
「へ? なんでだ?」
「このアップルパイのレシピを完璧にマスターしたいんです。それに、この街の、のんびりした雰囲気、結構、気に入りましたから」
あまりにも呑気な答えに、フィオナさんは一瞬、きょとんとした。
しかし、次の瞬間、彼女は心の底から楽しそうに笑い出した。
「……ははっ! そうだな! 旅は道草も楽しまなくっちゃな!」
私たちは顔を見合わせて笑い合った。
南の海へ行く、という当初の目的は、まだまだ遠い。
でも、それでいいと思えた。
15年前、私は窮屈な世界から逃げ出して、一人きりの静かなスローライフを求めた。
誰にも邪魔されない、平穏な毎日を。
でも、今は違う。
私の周りには、騒がしくて手のかかるけれども温かい家族たちがいる。
そして、隣にはいつも私の一番の理解者で最高の友達が座っている。
知らない街で新しい人に出会い、美味しいものを見つける。
困っている人がいたら、ほんの少しだけ、お節介を焼いてみる。
そして疲れたら、いつでも帰れる『我が家』がある。
私はポケットの中の小さなオルゴールに、そっと触れた。
(……私の、冒険……)
それは南の海へ行くことじゃ、なかったのかもしれない。
この騒がしくて楽しい予測不能な毎日。
大切な人たちと笑い合える、この一瞬、一瞬こそが、私が探し求めていた『最高のスローライフ』で『最高の冒険』なんだ。
私は、もう一口、アップルパイを頬張った。
やっぱり人生で一番美味しい味がした。




