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第49話 英雄の喧騒

「――『赤き疾風』だ! A級冒険者のフィオナ様が来てくださったぞ!」


 その一言が引き金だった。

 静かだった宿屋は、一瞬にして、お祭り騒ぎの中心地へと変わった。

 街の人々は、地元の英雄に会えた興奮で我先にと、私たちのテーブルに殺到する。


「フィオナ様! 俺、あんたのファンなんだ!」


「この街の出身だったとは、知らなかったぜ!」


「サインください! 兜の裏にお願いします!」


 フィオナさんは、その中心で完全にもみくちゃにされていた。その顔は、照れと困惑と、ほんの少しの満更でもなさそうな表情が複雑に混じり合っている。


「お、おい、お前ら! 落ち着けって!」


 私は、といえば。

 その熱狂の輪から一人だけぽつんと外れていた。誰も私のことなど見ていない。ただの「英雄の連れ」である。


 それは私にとって、非常に都合が良かった。目立つのは、もう、こりごりなのだから。


……ただ、一つだけ問題があった。


(……私のアップルパイが……)


 興奮した街の人の肘が、私たちのテーブルを揺らす。そのたびに、私のまだ見ぬアップルパイが危機に瀕しているのだ。


「あ、あの! すみません! ちょっと、そこ危ない……!」


 私の細い声は熱狂の渦にかき消されていく。


 ああ、私のアップルパイ……。


「はいはい、みんな、落ち着いて! 気持ちは、分かるがフィオナ様がお困りだろう!」


 そのカオスな状況を見かねた宿屋の主人が、パン! と大きく手を叩いた。


「フィオナ様も長旅で疲れてるんだ。話を聞きたいなら、夜に宴会でも開こうじゃないか! それまで静かにして差し上げるのが、ファンってもんだろう!」


 その鶴の一声に街の人々は、はっと我に返った。


「そ、そうだな……」 

「すまねえ、フィオナ様!」

「夜、楽しみにしてます!」


 彼らは名残惜しそうにしながらも、少しずつ自分たちの席へと戻っていった。


「……ふぅ。助かったぜ、亭主」


 フィオナさんが、ぐったりと、テーブルに突っ伏す。


「いえいえ。それより、お待たせしちまって、すまなかったね。はいよ! うち自慢のアップルパイだ! 温かいソースをたっぷりかけてあるからね!」


 主人が湯気の立つ黄金色のアップルパイを二つ、私たちの前に置いてくれた。

 リンゴとシナモンの甘くて香ばしい匂いが、ふわりと鼻腔をくすぐる。


「「おお……!」」


 私とフィオナさんの声がハモった。

 私たちは、さっきまでの喧騒をすっかり忘れ、目の前の芸術品に夢中になった。


 私はフォークでサクサクのパイ生地を切り分ける。中から、とろりとしたキャラメル色のリンゴが顔を覗かせた。

 ソースとクリームをたっぷり絡めて、一口頬張る。


「…………!」


 美味しい……!

 サクサクのパイ、とろとろのリンゴ、温かくて、ほんのりビターなソース、そして冷たいクリーム。

 その全てが口の中で完璧なハーモニーを奏でていた。


「……どうだい、リリ。美味いだろ」


「はい……! 人生で二番目に美味しいです……!」


「二番目かよ!」


 フィオナさんが楽しそうに突っ込む。

 一番は、マラコーさんを改心させた、あの究極のプリン。でも、この温かくて優しい味も甲乙つけがたい。

 私たちが、アップルパイの幸福に浸っていると、宿屋の主人がおずおずと私たちのテーブルにやってきた。


「……あの、フィオナ様」


「ん? なんだい、亭主」


「大変、申し上げにくいんだが……。あんたがA級冒険者様だと分かった上で、一つ頼みがあるんだ」


 主人は困り果てた顔で、そう、切り出した。


「実は、この街の命綱である、大きな水車が一週間前から壊れちまっててな。街の鍛冶屋や、冒険者にも、見てもらったんだが、誰も原因が分からなくて……」


 水車が止まったことで、街の製粉所は完全に機能停止。このままでは街の特産品である、パンが作れなくなってしまうらしい。


「フィオナ様ほどのお方なら、あるいは、何か、分かるんじゃないかと……。もちろん、タダでとは言わん! 謝礼はギルドを通して、きっちり……」


「いや、悪いが亭主」


 フィオナさんは、その話を途中で遮った。


「見ての通り、こっちは休暇中なんでな。仕事を受ける気はないんだ。すまないが他の奴を当たってくれ」


 彼女のきっぱりとした断りの言葉。

 さすがはプロの冒険者だ。公私の別は、きっちりしている。


 主人の顔にがっかりとした色が浮かんだ。


 その時だった。

 私は最後の一口のアップルパイを名残惜しそうに飲み込むと顔を上げた。


「……あの」


「ん?」


「その壊れた水車、というのは、どんな風に壊れているんですか?」


 私の純粋な問いかけ。

 それに主人とフィオナさんが、きょとんとした顔でこちらを見た。


「え? あ、ああ……。それが妙なキーキーって音を立てて、止まっちまったんだ。無理に動かそうとすると、今にも壊れちまいそうでな……」


「キーキー、ですか。……なるほど。軸受けの油が切れているか……あるいは歯車の噛み合わせが、ズレているのかもしれませんね」


 今の私は、まさしく修理工のあれだ。


 15年間、森の中で様々なものを自作し、修理してきた、私の職人の血が騒ぐ。

 未知の巨大な機械。その構造と故障の原因。

 それを確かめてみたい、という純粋な技術的好奇心が、私の胸に湧き上がっていた。


「……おい、リリ……」


 フィオナさんの嫌な予感が的中した、という顔。

 私は、そんな彼女に満面の笑みで言った。


「フィオナさん! ちょっと、その水車、見に行ってみませんか!?」


 私の輝く瞳を見て、フィオナさんは天を仰いだ。そして一言、ぽつりと呟く。


「……私の休暇は……どこへ……」

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