第47話 初めての野営(ただし家の中)
朝日が、私たちの旅立ちを祝福していた。
15年間、私の全てだった森を背に、私とフィオナさんは、まだ見ぬ世界へと続く、一本の道を並んで歩き始めた。
「うわあ! あれは、なんですか、フィオナさん!」
「ん? ああ、ただの馬車だよ。荷物を運んでるんだ」
「馬車……! 本でしか見たことありませんでした! すごい、本当に馬が引いてるんですね!」
道端に咲く、名も知らぬ花。
遠くの畑をゆっくりと耕す農夫の姿。
私たちを追い越していく、旅の商人の陽気な挨拶。
その全てが15年間、森の中だけで生きてきた私にとっては新鮮できらきらと輝いて見えた。
「……おいおい、リリ。あんた、そんなにきょろきょろしてると、田舎者だって、バレるぞ」
私の子供のようなはしゃぎっぷりに、フィオナさんは、呆れながらも、どこか楽しそうに笑っていた。彼女は、時々、私の知らない外の世界のルールを教えてくれる。
まるで頼れるお姉さんのように。
そんな和やかな珍道中が数時間、続いた頃。
太陽が真上に差し掛かり、私たちのお腹が、ぐぅと可愛らしい音を立てた。
「よし、この辺で昼飯にしようか」
フィオナさんは、そう言うと、道から少し外れた見晴らしの良い草原に腰を下ろした。そして自分の背嚢から包みを取り出す。
「今日の昼飯は、これだ。干し肉と硬いパン。冒険者の基本食だな。よく噛んで食えよ」
「……え?」
私は彼女が差し出すカチカチのパン、見るからにしょっぱそうな干し肉をまじまじと見つめた。
「……フィオナさん」
「ん?」
「どうして、そんな質素な食事を?」
「どうしてって……これが旅の普通だろ……」
「いえ、普通じゃありません。だって私たちには、ちゃんとした家があるじゃないですか」
私がきょとんとして、そう言うと、フィオナさんは、こいつは何を言っているんだ、という顔をした。
私は、そんな彼女の目の前で懐から、例の木製のオルゴールを取り出した。
そしてネジをゆっくりと巻く。
オルゴールの優しいメロディが草原の風に乗って流れ始めた。すると、私たちの目の前の空間が、揺らめき一枚の重厚な扉が現れる。
私がその扉を開けると、中からは、食欲をそそるシチューの良い匂いが漂ってきた。
「お帰りなさいませ、リリ様、フィオナ様。ちょうど昼食の準備ができておりますぞ」
扉の向こうでは、エプロン姿のアーマーさんが完璧なお辞儀で、私たちを出迎えていた。
リビングのテーブルの上には、湯気の立つ、温かいきのこのシチューが並べられている。
「…………」
フィオナさんは、手にした硬いパンと干し肉、そして扉の向こうのあまりにも文化的すぎる光景を交互に見比べ、完全に固まった。
「さ、フィオナさん。お昼ご飯にしましょう? アーマーさんのシチュー、絶品ですよ」
「……旅の……常識が……壊れていく……」
その日の昼食は、草原の真ん中に突如として出現した魔法の家の中で温かいシチューをいただいた。
フィオナさんは、終始無言だったけど。
日が西に傾き始めた頃。
私たちは、その日の寝床を探していた。
「……あそこの林の中が良さそうだな。風も避けられるし、火も起こしやすい。私が火の番をするから、リリは先に休んで……」
そこまで言いかけて、フィオナさんは、はっと我に返った。
そして諦めたように深いため息をつく。
「……もう、いい。好きにしろ……」
「はい。そうします」
私は、にっこりと笑うと、再びオルゴールを取り出した。優しいメロディと共に現れる、我が家への扉。
その日の夜。
私たちは危険な夜の森の中で、ふかふかのベッドにくるまっていた。壁の外からは遠吠えをする、魔物の声が微かに聞こえてくる。
でも、この城の中は完璧に安全だ。
私は今日一日の新しい発見の数々を日記に綴り、満足感と共に眠りについた。
◆◇◆
隣のベッドで。
フィオナさんは、ただ静かに天井を見つめていた。彼女の冒険者としてのプライドと常識は、この一日で粉々に砕け散ってしまったらしい。
(……これが……。これが、リリの言う『スローライフ』って、やつ、なのか……?)
彼女は思った。
これは冒険じゃない。
神様とのピクニックだ。
世界で一番贅沢で、安全で、そして奇妙なピクニック。
(……まあ、悪くないか……)
やがて彼女の口元に、ふっと諦めと面白さが混じったような笑みが浮かんだ。




