第46話 さよなら私の森(オルゴールと一緒に)
私たちは、再び空中に浮かぶ魔法の立体地図を覗き込む。もう、私たちの行く手を阻む黒い染みは、どこにもない。
どこまでも自由な道が広がっている。
「まずは、南の港町『アクアリア』を目指す。これは、最終目標として変わらないな」
「はい。それで最初から、そこまで一気に行くんですか?」
「いや、せっかくの冒険だ。少しは寄り道も楽しみたいだろ」
フィオナさんは、そう言うと地図の上のある一点を指差した。
それは、私たちの森から、歩いて三日ほどの距離にある、小さな緑豊かな街だった。
「最初の目的地は、ここだ。『ミリオン』。水車と風車で有名な牧歌的な街だ。ここの宿屋で出される、アップルパイが絶品なんだぜ」
「アップルパイ!」
食べ物の名前に私の目は、きらりと輝いた。
「よし、決まりですね! 最初の目的地は『ミリオン』! そこを目指して、まずは、のんびり歩いていきましょう!」
「おう! そうと決まれば、話が早い! 出発は、明後日の、早朝だ! それまでに最後の準備を済ませるぞ!」
こうして私たちの記念すべき冒険の第一歩は、ようやく具体的に定まった。
出発までの二日間。
私は、久しぶりに何にも邪魔されない、穏やかなスローライフを満喫した。
アーマーさんに家の掃除の仕方を、改めて細かく申し伝える。
「私がいない間、この家をお願いしますね。埃が積もらないように」
「お任せください、リリ様。このアーマー、我が身が朽ち果てようとも、この家をお守りいたします」
「いえ、そこまではしなくて大丈夫です」
モフと一日中、森を駆け回って遊んだ。
ドッペちゃんのために、新しい服を何着か作ってあげた。
お兄ちゃんの畑のトマトの収穫を手伝った。
そして出発の前夜。
私はエンシェントさんと二人きりで話をした。
「……本当に行くのか、リリちん」
「はい。ずっと見てみたかったんです。森の外の世界を」
「……そうか。……まあ、お前さんなら、どこへ行っても大丈夫じゃろうがな。……これを持っていけ」
エンシェントさんは、そう言うと巨大な口から小さな古びた革袋を吐き出した。
中には、彼が何千年もかけて集めた宝物のほんの一部だという、とんでもない額の金貨が入っていた。
「……困った時の小遣いじゃ。無駄遣いするでないぞ」
「ありがとうございます、エンシェントさん。大切にしますね」
家族、一人一人との別れ。
それは少しだけ寂しくて、でも、とても温かい時間だった。
そして、出発の日の朝が来た。
空が白み始める一番、美しい時間。
私は家の前の広場で、古びた木製のオルゴールを手に取った。
「それじゃあ、みんな。お引越しですよー」
私がオルゴールのネジを巻くと、優しいメロディと共に空間に重厚な扉が現れる。
扉が開くと、その向こうには見慣れた温かい我が家のリビングが広がっていた。
アーマーさん、ドッペちゃん、お兄ちゃん、そして、なぜか、いつの間にか荷物をまとめていたゴブリンシェフとケルベロスのフルーフィちゃんまで。
みんなが、一人、また一人と名残惜しそうに古い家を振り返りながら、新しい『動くお城』の中へと入っていく。
最後にモフが、私の足元で一度だけ、くぅん、と鳴くと勢いよく扉の中へと駆け込んでいった。
全員が中に入ったのを確認して、私は扉をゆっくりと閉めた。
オルゴールのメロディが止まる。
すると、魔法の扉は、すうっと光の粒になって消えていった。後には、静けさと、私の手のひらに、ちょこんと乗った小さなオルゴールだけが残された。
私の15年間のスローライフの全てが、この小さな箱の中にある。
「……すげえな、やっぱり……」
隣で、全てを見ていたフィオナさんが感嘆の声を漏らす。
私は、そのオルゴールを大切に革のポーチにしまった。
私たちは森の出口へと向かう。
15年間、私の世界だった、この森。
その境界線に今、立ったのだ。
朝日が私たちの長い影を地面に映し出す。
「……準備は、いいかい? ルームメイト」
フィオナさんが、にやりと笑う。
私は一度だけ静まり返った、私の小さな家を振り返った。
そして前を向いて力強く頷いた。
「はい。準備、万端です」
私たちは顔を見合わせて笑い合う。
そして同時に、一歩、前に足を踏み出した。
森の外のまだ見ぬ世界へ。
私の冒険。私の休暇。
それが、今、本当に始まったのだ。
(一番、最初の宿のアップルパイ、美味しいといいなあ)
そんな食いしん坊なことを考えながら。
私の新しい物語は、希望に満ちた朝日の光の中へと続いていく。




