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第36話 究極のプリン

「ま、マラコー様は、この奥の書斎におられます……! 今、千年の長きにわたる、大いなる儀式の最終段階に……! 決してお邪魔をしては……!」


 コック帽のゴブリンは、涙ながらにそう訴えた。

 彼の忠誠心は、ある意味立派だ。番犬が私の足元で、サンドイッチのおかわりをねだって尻尾を振っていなければ、もう少しは威厳があったかもしれない。


「……分かった。ありがとう。君は、フルーフィちゃんとクッキーでも食べて待ってなさい」


 私がそう言うと、フィオナさんは、もはや何も言うまい、という顔で静かに立ち上がった。

 私たちはフルーフィの巨大な体を乗り越え、ゴブリンが指し示した、書斎の扉の前に立つ。


「……リリ」


「はい」


「……泣いても、笑っても、これで最後だ。どんな化け物が出てきても絶対に油断するなよ」


 フィオナさんは真剣な顔で、そう言って剣を構えた。

 私もこくりと頷く。


 そしてゆっくりと、その扉を押し開けた。

 扉の先は意外なほど普通の部屋だった。

 壁一面の本棚、雑然と積まれた資料の山、そして、錬金術の道具らしきものが所狭しと並べられている。


 そして部屋の中央。

 床に描かれた複雑な魔法陣の上で、一人の老人が必死の形相で大きな鍋をかき混ぜていた。

 よれよれの寝間着に、先の曲がったナイトキャップ。エンシェントさんの言う通り、千年単位で生きているらしい、ひょろりとした老人だ。彼がマラコー本人なのだろう。


 彼は、私たちの存在に全く気づいていない。ただ、鍋の中だけを、食い入るように見つめている。


「……うむ……! あと少しじゃ……! あと少しで、わしの長年の夢が……! 究極の黄金プリンが完成するのじゃ……!」


「「…………ぷりん?」」


 私とフィオナさんの声が綺麗にハモった。

 その声にマラコーは、はっと、我に返った。   そして初めて、私たちの存在に気づいたらしい。


「な、何奴じゃ!? わしの書斎に、いつの間に……!」


 彼が驚いてこちらを振り向いた、その瞬間。

 彼の手が鍋をかき混ぜていたおたまから、ほんの少しだけ離れてしまった。


ボフッ!


 次の瞬間、魔法陣の上で、ぐつぐつと煮えていた黄金色の液体――プリン液が真っ黒な煙を上げて炭の塊へと姿を変えた。


「…………」


「…………」


「…………あ」


 マラコーが間の抜けた声を漏らす。


 そして、


「ああああああああああああああああああああああああああっ!!!! わしのっ! わしの、五百年の歳月をかけた、究極のプリンがぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 マラコーがその場に膝から崩れ落ち、子供のように、わんわんと泣き出してしまった。

……どうやら『千年の儀式』というのは、少し、サバを読んでいたらしい。


「お、おのれ、侵入者め……! よくも、わしの夢を……!」


 涙ながらに、こちらを睨みつけると、震える手で杖を構えた。


「くらえ! 暗黒魔法、ダークボルト!」


 彼の杖先から、小さな黒い光の玉が、ぽよん、と飛び出してくる。

 それは、あまりにも覇気がなく、ゆっくりとした軌道で、私に向かって飛んできたが、体に届く前にワンピースの自動防御機能によって、しゅん、とかき消された。


「……」


「……ひ、ひどい……! わしの、渾身の魔法が……!」


 マラコーは、さらに絶望して、その場に突っ伏して、しくしくと泣き始めた。

 もはや戦意も、威厳も、何もない。

 ただの趣味に失敗したおじいちゃんだった。


「…………」


 フィオナさんは構えていた剣をどうしていいか分からずに下ろしている。

 私は一つ深いため息をつくと、炭と化したプリンの残骸に近づいた。


「……あの」


「……なんじゃ、わしを笑いに来たのか……」


「いえ。このプリン、失敗の原因は火加減ですよ。それに魔法陣の熱源が不安定すぎます」


「な、何が分かるというんじゃ、小娘に!」


「分かります。完璧なカスタードプリンを作るには、湯煎で、じっくりと熱を通すのが基本中の基本ですから」


 私がきっぱりと言い放つと、マラコーはきょとんとした顔で、私を見上げた。


「……ゆせん……?」


「ええ。見ててください」


 私はその場で生活魔法と錬金術を同時に発動させた。

 空中に水の満ちたボウルを生成し、その中に新しい鍋を浮かべる。材料は、この部屋にあったものを適当に拝借した。


 卵を割り、砂糖を混ぜ、牛乳を加え、手際良く、プリン液を作っていく。その工程は、無駄がなく、あまりにも洗練されていた。

 そして最後に月夜茸の花びらを、ほんの少しだけ粉にして振りかける。


「はい、できました」


 数分後。

 私の手のひらには、ぷるぷると、黄金色に輝く、完璧なプリンが完成していた。それは自ら後光のような神々しい光を放っている。


「……な……なんじゃ、これは……」


 私は、そのプリンをスプーンですくい、泣きじゃくる老人の口元へと運んだ。


「……あーん」


「……あーん……ぱくっ」


 プリンがマラコーの口の中に吸い込まれていく。


 次の瞬間。

 彼の瞳が、カッ、と見開かれた。


「…………!!!!」


 言葉にならない衝撃。

 彼の口の中に宇宙が広がっているのだろう。

 甘さと、ほろ苦さと、優しさが渾然一体となった完璧な調和。五百年、彼が追い求めてきた理想の味が、今、ここにあったに違いない。


「……おいしい……」


 彼の瞳から、さっきとは全く違う感動の涙が一筋流れ落ちた。


「……もう、いい……。わしは、もう満足じゃ……」


 マラコーは、その場に仰向けにばたりと倒れた。その顔は、人生の全てをやり遂げた、聖人のように安らかだった。


「…………」


 私とフィオナさんは、そのあまりにも平和的すぎる決着の瞬間を、ただ、黙って見つめていた。

 闇の魔術師は倒された。

 武力ではなく、圧倒的な女子力によって。


「……フィオナさん」


 私は、もう一つ錬成したプリンを手に取ると、魂が抜けたように立ち尽くす、ルームメイトに差し出した。


「お掃除、終わりましたよ。お夜食にプリ

ン、いかがです?」


 フィオナさんは何も答えなかった。

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