第34話 おやすみ番兵さん
静寂に包まれた、黒い城の屋上。
二つの赤い月が、私たちと目の前の古びた扉を怪しげに照らし出している。
「よし……」
フィオナさんは、プロの顔つきになると、腰のポーチから、細長い金属の棒を数本、取り出した。ピッキングツールだ。
「いいかい、リリ。こういう扉は、大抵、物理的な鍵と、魔法的な罠、両方が仕掛けられてる。まずは、私が魔法探知で罠の有無を確認して、それから慎重に鍵を開ける。あんたは絶対に扉に触るんじゃないぞ」
「はい、分かりました」
フィオナさんは真剣な表情で扉に片手をかざし、魔力の流れを読み取り始めた。
その間、私は手持ち無沙汰に、扉をじーっと観察していた。
鉄製の重厚な扉。でも、よく見ると蝶番の部分が、かなり錆び付いている。これでは開ける時に大きな音が鳴ってしまうかもしれない。
「……フィオナさん」
「……静かにしろ、今、集中してるんだ」
「この扉、ちょっと建て付けが悪いみたいです」
「だから、静かに……」
「少し油を差した方が、いいかもしれませんね。えい」
私は親切心から錆び付いた蝶番の部分を指で、とん、と軽く押してやった。
バキィッ! ギャリギャリギャリッ! ドッゴーン!!!
次の瞬間。
私の『親切心』は、鉄の扉を蝶番ごと根こそぎ吹き飛ばした。
扉は空中で一回転すると、眼下の暗くて長い螺旋階段を凄まじい轟音を立てながら、転がり落ちていった。
静寂のドームの中に、けたたましい金属音が、いつまでも響き渡る。
「…………」
「…………」
しばらくの沈黙。
やがて、フィオナさんがゆっくりと、本当にゆっくりと、こちらを振り返った。
その顔は笑顔だった。でも、目が全く笑っていない。
「……リリ」
「はい」
「……あんた、もしかして『潜入』って言葉の意味、知らなかったりするのかい……?」
「え? 『こっそり、静かに入ること』ですよね?」
「……分かってるなら、なんで、今、城中に私たちの居場所を宣伝したんだ!!!!」
フィオナさんの魂の叫びが虚しく響いた。
その叫びをかき消すように、階段の下から複数の荒々しい足音が急速に近づいてくる。
「ちくしょう! 来やがった! 構えろ、リリ!」
フィオナさんが慌てて剣を抜く。
階段を駆け上がってきたのは、全身を黒い鎧で固め、魔獣の骨で作られた、おぞましい武器を構えた五体の番兵だった。
その兜の奥で赤い目が爛々と輝いている。
「侵入者、発見! 排除スル!」
番兵たちが一斉に襲いかかってくる。
そのまさに一触即発の状況で、私はスカートのポケットから小さな布の袋を一つ取り出した。
「ふーっ」
そして、その袋の中身――きらきらと輝く金色の花粉を番兵たちに向かって、優しく吹きかけた。
生活魔法『おやすみ花粉』。
安眠効果のある花の蜜を集めて、乾燥させただけの、お手製の睡眠薬だ。
金色の花粉が、ふわり、と番兵たちに降りかかる。すると、あれだけ殺気立っていた番兵たちの動きが、ぴたり、と止まった。
「……ハッ……? ナンダ……コレ……。……急ニ……ネムク……」
「……zzz……」
五体の番兵たちは、その場に、ばたばたと倒れ込み、次の瞬間には、全員幸せそうな寝息を立てて、眠りに落ちてしまった。
「…………」
フィオナさんは、剣を構えたまま、あまりにも平和的な光景に完全に固まっている。
「……片付きましたね。さ、行きましょうか」
「……なあ、リリ」
「はい?」
「……あんた、もしかして、マラコーを倒すっていうより、城の全員を寝かしつけに来たのか……?」
私たちは、眠りこける番兵たちを、そっと脇に避けながら螺旋階段を降り始めた。
城の中は不気味なほど静かだった。壁には無数の罠が仕掛けられているのが、素人の私にも分かる。
「リリ、止まれ! その先の床、色が変わってる! 恐らく、踏むと槍が飛び出す、圧力式の罠だ!」
「え? あ、すみません、踏んじゃいました」
私がうっかり床板を踏む。
カチッ、という音と共に壁から無数の毒槍が高速で射出された。
「リリ!」
フィオナさんの呼ぶ声。
しかし、その槍は私の体に届く前に、カキン、カキン、とまるで透明な壁にでも当たったかのように全て弾き返された。
私の『自動汚れ防止機能付きワンピース』に物理攻撃は通用しないのだ。
「……丈夫な服ですね」
「……そうだな……」
もはやフィオナさんは、突っ込む気力もないらしい。
私たちは、そんな調子でフィオナさんが発見する、ほぼ全ての罠を、私がうっかり無力化しながら城の最下層へと進んでいった。
やがて私たちの目の前に、ひときわ巨大でおぞましい魔力のオーラを放つ、黒曜石の扉が現れた。
「……ここだな。間違いない。この奥に、何かがいる」
フィオナさんが息を呑む。
扉からは、強力な魔力と共に、何か奇妙な音が漏れ聞こえてきていた。それは、魔獣の唸り声でも、何かの詠唱でもない。
すー……すー……。
穏やかな寝息のような音。
そして、その音に混じって、甘くて、香ばしい匂いが微かに漂ってくる。
「……なんだ、この匂い……?」
フィオナさんが訝しげに鼻をひくつかせる。
私は、その匂いにどこか覚えがあった。
「……この匂い……。クッキーが、焼ける匂い、です」
「…………え?」
間の抜けた声が不気味な城の廊下に響き渡った。
扉の奥にいるボスは、どうやら、ぐっすり、お昼寝中のご様子だった。
しかも寝ながら、お菓子を焼いているらしい。
私たちの緊張感は、一気にどこかへ吹き飛んでしまった。




