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第33話 夜間飛行、静寂のドーム

 バッシーの翼が力強く風を打つ。

 私たちの体は、ぐんぐんと高度を上げ、あっという間に、見慣れた森が、まるでミニチュアの庭園のように眼下へ遠ざかっていく。


「うおおおおおおおおおおっ!?」


 私の背後、鞍の後部座席に乗っているフィオナさんから、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がる。


「は、速い! 速すぎるぞ、こいつ! 並のワイバーンより、ずっと速い!」


「安全運転でお願いしますね、バッシー」


「シャー!」


 私の言葉にバッシーは、任せろとばかりに一声鳴いた。少し翼の動きが、ぎこちない気もするけれど。きっと初めての長距離フライトで緊張しているのだろう。


 夜の空を飛ぶのは、初めての経験だった。

 二つの赤い月が、地上を幻想的に照らし出し、眼下に広がる街の灯りは、まるで散りばめられた宝石のようだ。


「綺麗……」


「どこがだ! 風圧で顔の皮が剥がれそうだ! それに、寒い!」


 優雅に景色を楽しむ私とは対照的に、フィオナさんは、寒さと恐怖と興奮で完全にパニック状態だった。


「ほら、これをどうぞ」


 私はお弁当袋から水筒を取り出して彼女に手渡した。中身は温かいハーブティーだ。


「……気が利くな、ちくしょう……」


 フィオナさんは、文句を言いながらも美味しそうにハーブティーを飲んでいる。

 そんな、どこか珍道中のような雰囲気のまま、私たちの夜間飛行は順調に続いた。



 しかし、一時間ほど飛んだ頃だろうか。

 眼下の景色と空気の色が一変した。

 木々は枯れ、大地はひび割れ、まるで生命そのものを拒絶しているかのような、荒涼とした山脈地帯。

 そして、空気には、吸い込むだけで気分が悪くなるような、濃密で邪悪な魔力の瘴気が満ちている。


「……ここが『嘆きの山脈』……。瘴気が、ひどいな……」


 フィオナさんの声にも緊張が走る。

 バッシーも、この邪悪な空気に当てられたのか、少し飛ぶのが辛そうだ。


 やがて、私たちの視線の先に、目的の場所が見えてきた。

 山脈の一番高い頂に突き刺さるようにして建つ禍々しい黒い城。

 あれが、マラコーの本拠地だ。


「よし、計画通り、まずは、この瘴気をどうにかしますね」


「ああ、頼んだぜ、リリ! さすがの私も、この中に長居はしたくない!」


 私は鞍の上でゆっくりと立ち上がった。

 そして両手を空に向かって大きく広げる。


「――聖なる光よ、清浄なる風よ。この地に満ちる、嘆きと澱みを、優しく洗い流したまえ」


 私の詠唱と共に夜空の雲が割れ、二つの月から放たれる光が一本の巨大な光の柱となって、私の体に降り注いだ。

 その膨大な魔力を両手で受け止めると、黒い城全体を覆うように、ふわり、と解き放った。


 それは、まるで巨大なシャボン玉のようだった。

 黄金色に輝く巨大な光のドームが音もなく、静かに山頂の城をすっぽりと包み込んでいく。


 ドームの内側では、渦巻いていた邪悪な瘴気が朝霧のように綺麗さっぱりと消え去り、そこには、清浄で静かな空気が満ち溢れた。


「…………」


 私の背後でフィオナさんが息を呑む音が聞こえた。


「……おい……リリ……。あんた、今……何をした……?」


「え? 臭いものに、蓋をしただけですけど?」


 私がきょとんとして答えると、フィオナさんは力なく呟いた。


「……神様……。私、今、本物の神様と旅をしてるのかもしれねえ……」


 瘴気が消えたことで、バッシーの飛行も安定した。


 私たちは計画通り、城の一番高い塔の屋上へと、ゆっくりと降下していく。

 バッシーは、初めての着陸に少し手間取りながらもなんとか、ガタン、という音と共に無事に着地してくれた。


「よし、お疲れ様、バッシー。偉かったわね」


 私は鞍から降りると、彼の首筋を優しく撫でてやった。そしてお弁当袋から褒美の特大ビーフジャーキーを取り出して、あげる。

 バッシーは嬉しそうにしゃぶりついた。


「……さて、と」


 フィオナさんも少しふらつきながら鞍から降りる。

 彼女は、すぐに冒険者の顔に戻ると、手早く、装備の最終チェックを始めた。


 塔の屋上は静まり返っていた。

 私たちの張った結界のおかげで、外の魔物の声も、風の音すらも、聞こえない。

 まるで世界から切り離された舞台の上のようだ。


 目の前には、城の内部へと続く古びた扉がある。


「……準備は、いいかい? ルームメイト」


 フィオナさんが、にやりと不敵な笑みを浮かべて尋ねる。

 もちろん私も頷き返した。


「いつでも、どうぞ。プロの潜入技術、見せてください」


 私たちの初めての共同ミッション。

 本当の始まりを告げる扉が、今、目の前にあった。静かな、静かな、夜の中で。

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