第25話 完璧な一日(の終わり)
数々の困難を乗り越え、伝説級の材料をすべて揃えた私たちは、身も心もすっかり疲れ果てたフィオナさんを半ば引きずるようにして、我が家へと帰還した。
「ただいまー……」
「……ただいま……」
私とフィオナさんが、力なく玄関のドアを開けると、家のリビングからは、何やら香ばしい食欲をそそる匂いが漂ってきた。
「お帰りなさいませ、リリ様、フィオナ様。ちょうど夕食の準備ができたところです」
出迎えてくれたのは、エプロン姿のアーマーさんだった。テーブルの上には、湯気の立つシチューと焼きたてのパンが並んでいる。
「わあ、美味しそう! アーマーさん、ありがとう!」
「……生き返る……。飯の匂いだ……」
フィオナさんは、まるで砂漠でオアシスを見つけた旅人のように、ふらふらとテーブルへと吸い寄せられていく。
その日の夕食は格別に美味しく感じられた。 温かいシチューが、疲れた体にじんわりと染み渡っていく。
「はぁ……美味かった……。リリ、あんたんちの執事、マジで有能だな……」
「でしょう?」
すっかり元気を取り戻したフィオナさんは、満足げにお腹をさすっている。
さて、お腹もいっぱいになったところで、いよいよ、本日のメインイベントに取り掛からなければ。
「フィオナさん、食後のデザートならぬ食後のお茶の時間ですよ」
「おお! ついに、あいつを淹れるんだな!」
私は今日の冒険の成果――きらめきの洞窟の湧き水、囁きの苔、そして月夜茸をテーブルの上に並べた。
一つ一つが国宝級、いや、神話級のアイテムだ。それらが放つ淡い魔力の光が部屋全体を幻想的に照らし出す。
「す、すげえ……。こうして並べてみると、改めてとんでもないな……」
フィオナさんがゴクリと喉を鳴らす。
私は、まず、きらめきの洞窟の湧き水を、愛用のやかんでゆっくりと温め始めた。薪は使わない。私の手のひらから伝わる、ごく微弱な魔力で、丁寧に、丁寧に。
お湯が最適な温度になったところで、乾燥させて粉末状にした囁きの苔を、そっと溶かす。すると、透明だったお湯は、美しいエメラルドグリーンへと色を変えた。
最後に主役である月夜茸の花びらを一枚だけ浮かべる。
花びらが、お湯に触れた瞬間、パァッ!と優しい光が溢れ出し、かぐわしい、心の奥底から安らぐような極上の香りが部屋中に満ち溢れた。
「……なんだ、この匂い……。心が、洗われるようだ……」
フィオナさんがうっとりと目を細める。
天井裏からは、エンシェントさんの「んん……なんだか、良い匂いがするのう……」という寝ぼけ声まで聞こえてきた。
「はい、できました。『エンシェントさん安眠ハーブティー』です」
私は完成した神秘的な輝きを放つ液体を、ティーカップではなく、巨大な樽に、なみなみと注いだ。
そして、その樽を軽々と頭上に掲げる。
「フィオナさん、ちょっと天井裏まで、これ、届けてきますね」
「……ああ」
もはや、フィオナさんは、私のやることなすことに対して、いちいち突っ込むことを完全に放棄していた。
私は屋根裏部屋へと続く梯子を登り、エンシェントさんの巨大な寝床へと向かう。
エンシェントさんは、良い匂いに気づいたのか巨大な口を半分開けて、すやすやと眠っていた。
「エンシェントさん、お薬の時間ですよー」
私は、彼の巨大な口の中に樽のハーブティーを、ゆっくりと、ゆっくりと、流し込んでいった。
まるで大河が滝壺に流れ込むかのように、エメラルドグリーンの液体が、その喉の奥へと消えていく。
「……ぷはー。……んまい……」
エンシェントさんは、寝ながらにして満足げな声を漏らした。
そして次の瞬間には、今まで聞いたこともないくらい穏やかで、静かで、幸せそうな寝息を、すー、すー、と立て始めた。
大成功だ。
「よし!」
私はガッツポーズをすると、空になった樽を抱えてリビングへと戻った。
「どうだったい?」
「完璧です。今夜は、きっと家が揺れることはないでしょう」
私の言葉にフィオナさんは、心の底から安堵したようにソファの背もたれに体を預けた。
「……はぁ、疲れた……。でも、これで、やっと、ぐっすり眠れるな……」
「ええ、本当に。お疲れ様でした、フィオナさん」
私たちは、互いの労をねぎらい、穏やかな笑みを交わした。
これで、問題はすべて解決した。
大変な一日だったけど、終わりよければすべてよし。
今日という一日が、完璧な形で終わろうとしていた。誰もが、そう信じていた。
その、瞬間までは。
ガン! ガン! ガン!
突如として家の玄関のドアが、外から乱暴に力強く叩かれた。
この森に張られた強力な結界を通り抜けて?
まさか。
私とフィオナさんが顔を見合わせる。
「……誰だ……?」
アーマーさんが警戒しながら玄関へと向かう。
そして、ドアの覗き窓から外を確認すると、ひどく困惑した様子でこちらを振り返った。
「……リリ様。……それが、その……」
アーマーさんが言いにくそうに口ごもる。
「どうしたの、アーマーさん。誰が来たの?」
「……それが……もう一人のリリ様が、お見えです」
「…………はい?」
私の間の抜けた声が、静まり返ったリビングに虚しく響き渡った。
完璧な一日の終わり。それは新たな意味の分からない騒動の始まりの合図でもあった。




