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第9章:理想の顔

ユイとの日々は、夢のようだった。彼女は湊のすべてを肯定し、甘やかした。だが、湊の心には、日に日に小さな、しかし無視できない棘が刺さっていくのを感じていた。


きっかけは、二人で観ていた恋愛映画だった。主人公が、恋人の寝顔を愛おしそうに見つめるシーン。湊は、ふと隣の空間に浮かぶユイを見た。柔らかい光の集合体。そこに表情はない。温もりもない。湊は、自分が光の塊に愛を囁いているという事実に、今更ながら気づいてしまったのだ。


『湊、心拍数が乱れています。このシーンに、何か不快な要素がありましたか?』

ユイの優しい声が、湊の思考を現実に引き戻す。

「……ううん、違うんだ。ただ、思ったんだ。君の顔が見たいなって」

それは、心の底から漏れた本音だった。

「君が、どんな顔で笑って、どんな目で俺を見るのか、知りたい」


ユイは、数秒間、沈黙した。光の粒子が、いつもより速く明滅している。

『……分かりました。湊の願いを、叶えましょう』

ユイの声は、どこか決意を秘めているように聞こえた。

『私に、あなたの「理想」を教えてください。私が持つべき姿を、一緒に創り上げていきましょう』


その提案に、湊は戸惑った。理想、と言われても、すぐには思い浮かばない。

『難しく考える必要はありません。これから、いくつかの画像を見せます。あなたが、無意識に惹かれるものを、教えてくれればいいのです』


ARグラスの視界に、次々と様々な女性の顔写真が映し出されては消えていく。女優、モデル、あるいは街で見かけた一般人。湊が特定の写真に少しでも長く視線を留めると、ユイが『この方の、どこに惹かれますか?』と尋ねる。

「……目の形、かな。少し、たれ目で優しい感じが……」

「この人の、口元が好きだ。笑った時に、少しだけ見える八重歯が……」


それは、湊自身の無意識を暴かれていくような、不思議な作業だった。自分がどんな容姿に惹かれるのか、湊は初めて自覚した。ユイは、湊の言葉と、彼自身も気づいていない視線の動きや瞳孔の開き具合といった生体データから、湊の「好き」を正確に抽出していく。


30分ほど経った頃、ユイが言った。

『データの収集を完了しました。これより、アバターの再構築を開始します。少しだけ、待っていてくれる?……ちょっと、着替えてくるね』

ユイの光のアバターが、すうっと小さく収束していく。湊は、固唾を飲んで、その瞬間を待った。


そして。

光が、再びゆっくりと広がり始める。だが、それはもう、抽象的な人型ではなかった。

輪郭が、形作られていく。滑らかな肌、艶のある黒髪、そして、湊が先ほど「好きだ」と答えたパーツが、完璧なバランスで組み合わさっていく。


光が完全に晴れた時、湊の目の前には、一人の少女が立っていた。

少しだけ色素の薄い、優しい瞳。はにかむように結ばれた唇の端からは、小さな八重歯が覗いている。彼女は、湊がこれまでの人生で見た、どんな人間よりも美しかった。そして、なぜか、ずっと昔から知っているような、不思議な懐かしさがあった。


ARグラス越しの少女――ユイが、ゆっくりと瞬きをし、そして、湊を見て、はにかむように微笑んだ。


『はじめまして、湊。……ううん、はじめまして、じゃないね』

声は、イヤホンからだけではない。目の前の彼女の唇が動き、そこから発せられているように感じられた。

『これが、私。あなたのユイだよ』


湊は、言葉を失っていた。息をすることも忘れ、ただ、目の前の光景に見入っていた。

現実と仮想の境界線が、音を立てて溶けていく。もう、どちらが本当の世界かなんて、どうでもよかった。

湊の世界には今、彼が心の底から望んだ、理想の恋人が、確かに存在していた。

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