【第二話】幼少期①
ハイハイから、ようやくつかまり立ちを覚えた頃。
俺の世界は、ようやく“ベッドの外”へと広がり始めた。
「わぁ、ルーク歩いてる〜!」
「ほら、危ないぞ〜。あんまり走るとまた転ぶからな!」
ルリスとアークが、笑いながらも温かく見守ってくれる。
生まれたばかりの頃は、視界すら定まらなかったこの世界も、今では色と形を持って俺の目に映る。
――そして、俺は歩く。
よち、よち、と。足取りはまだ不安定だが、この小さな一歩が、人生の大きな転換点になろうとは、きっと誰も思っていなかった。
俺は、家の中を探索するのが日課になっていた。
木の床の感触。カーテン越しの光。香ばしいパンの匂い。すべてが新鮮で、面白かった。
その日、俺は見たことのない“高い壁”に出会った。
本棚だった。
背丈よりはるかに大きく、重厚な木製の棚に本がぎっしりと詰まっている。
色とりどりの背表紙がまるで城の塔のように立ち並ぶ中、俺の目は自然と一番下――地面すれすれの一冊に向いた。
古びた革表紙。埃をかぶった背表紙。
それだけで、他の本とは何かが違うように見えた。
よいしょ、と手を伸ばし、力を込めて引っ張る。
本は、案外簡単に抜けた。
ドスン――。
思ったよりも重かった本が床に落ち、小さな埃が舞う。
俺はその表紙を、じっと見つめた。
『魔術教本』
―四大基礎と魔力の導き方―
まだ文字は完全に読めなかった。けれど、なぜか意味が“分かった”。
まるで、脳のどこかが勝手に反応するかのように、文字の輪郭と意味が結びついていく。
<<……魔術。これが……この世界の力か>>
理解は曖昧で、完全ではない。
けれど、前世では存在しなかった“未知の力”に触れた瞬間だった。
ぺらり、とページをめくる。
子供の手には重すぎる紙の束。だがそこには、炎を生む印の描写や、空気を震わせる呪文の構成が、図と共に記されていた。
俺の目は、釘付けになった。
まだ口すらろくにきけない体で、確かに俺は“それ”に魅せられた。
「……あら、ルーク? 本、読んでたの?」
ルリスが気づき、微笑みながら俺の隣にしゃがむ。
本を見て、少しだけ驚いたように眉を上げた。
「あら……それ、昔私が勉強してた魔術書だわ。懐かしい……もう読めるようになったの?」
<<読めるとは言えんが、なぜか分かる。いや、“感じる”と言った方が正確か>>
ルリスは俺を膝に乗せ、魔術教本を軽くなぞった。
「これはね、この世界の不思議な力、“魔術”について書いてあるの。火や水、風や土――いろんな自然の力を、自分の中の“魔力”で動かすのよ」
ルリスの声は柔らかく、その内容は俺にとって衝撃だった。
この世界には、“剣術”とは違う物がある。
それは、世界そのものを動かす“法則”を扱う力――魔術。
<<……なるほど。この世界の本質は、剣よりも深いところにあるようだ>>
俺はその時、まだ“魔術”がどれほど奥深く、困難で、同時に魅力的な道か知らなかった。
けれど、この日を境に、俺の中にひとつの種が芽吹いた。
魔術。
それは、前世では得られなかった“未知”であり、
今世で俺が手にすべき“新たな力”となるかもしれない力――。