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代神栞  作者: 神代栞那
夢は始めた
3/8

日常Part.1

「そろそろ初任務を発令しようかと。官人、いかがなものかな?」アリが右手の甲で軽く喰の顎を撫で上げる。妖艶な瞳に呑まれそうになるのを、喰は懸命に堪えた。


「任務発令に無能力者の助言なんぞ要るまい」咳払いで平静を装う。目覚めれば広間の真ん中、いきなりこんな状況だ。


「酷いわ。妾への猜疑心が痛むわ。官人が無能力だと知ってるからこそ」アリは左扇を右手でパタンと叩き、猫耳を垂らして背を向けた。「特別に配慮して差し上げてるというのに」


(確か背を向ける前、左手に扇はなかったはず)喰が思考を巡らせる。「ご厚情感謝するよ、か~わいい猫ちゃん」わざとらしい甘声で応じる。


「ふふ、いつもの『悪魔猫』と呼べばよいのに」扇面で顔を隠すアリ。喰は彼女が笑っているのかどうか見抜けなかった。それより気になった——(あの渾名を知っているだと?監視されているのか?それとも全ての能力者が…?)


「官人は妾がここへ招いた初めての客人ですもの。何かご所望のものは?ゆっくりお話ししましょうか~」


悪魔猫ことアリに引き込まれて以来、喰は周囲を観察し続けていた。どうやらこれは女子の私室らしい。当然のごとく、主はアリだ。部屋は白を基調に、モダンな女子部屋に必要なものは全て揃っている。ベッドには大型の猫のぬいぐるみまで──本人が猫なのに? ここへ来てからずっと漂う甘い香り。なぜ女子の部屋の造りを知っているかといえば、彼はすでに「伊」の部屋…


「なら遠慮なく」喰はその場に腰を下ろすと、尻が触れた瞬間に妙な柔らかさを感じた。見下ろせばいつの間にか座布団が敷かれている。(無から物を生成する能力か……)「ところで紅茶は?悪魔猫」隠し呼称が筒抜けだと知りつつ、敢えて挑発的に呼んでみた。


「ふふ~もちろん」言葉と同時に掌に紅茶が出現。流石に彼も眉を上げた。


「おっと……」慌てて口をつける。「あ、ありがとう..」


「堅苦しいこと言わなくていいわよ」アリが扇をパッと消す。「でもね、どんな呼び方でも良いとは言ったけれど……」妖艶な笑みを浮かべた猫耳が揺れる。「顔を合わせて話す時は名前で呼んでくれた方が……妾も恥ずかしくないわ」その仕草に喰の心臓が跳ねた。(こいつ……まさかサキュバスか?)

こう思った途端、眼前にアリの魅惑的な脚線美が飛び込んできた。黒いニーソで覆われた太ももの上部分こそがまさに理想の『絶対領域』。思わずゴクリと息を呑むと、喉元でかすかな音がした。


「では神代ちゃん、先ほどの話の続きは?」喰が冷静さを保つために紅茶をまた一口啜った。

「『ちゃん』付け……」アリが唇を緩めて微笑む。

「ん?ダメか?俺的にはしっくりくるんだが」

「いえいえ、ただ妾がそう呼ばれるとは思っておりませんでしたわ」猫耳をぴくんと立て直す。「官人がそうお思いなら、喜んで受け入れますわよ」


(こいつ……俺が知ってる神代アリとはまるで別人じゃないか)喰は眉をひそめた。能力のない自分を昼間あれほど嘲笑っていた女が――(この上品ぶった様子は何だ?演技か?だとすれば何のため?ここで俺を騙すメリットが?)


「それでは官人の時間をこれ以上奪うわけにもいきませんわ。」アリは哀れそうに言い、頭の猫耳も「頭を下げている」と言った。「妾は、そろそろ最初の任務を出すべきだと思い、官人にアドバイスを求めに来ます。」


「その台詞、さっきも聞いたはずだ」喰が『普通人』という単語を歯の隙間から絞り出すように言った。「なぜ他でもないこの無力な俺を選んだ?」


(任務発令に制約があるのか? 故に無能力者の存在が必要だと? もしそうなら――この性格の二面性も説明がつく。だったら逆手に取ってやる)


「あらあら、官人はご自身の無力さがお悔やみなのね」アリが忽然と現れた扇で優雅にあおぎ始める。「焦ることはありませんわ。今からご説明しますの」


(扇子好きにも程があるだろ……)喰は舌打ちを呑み込みながら目を細めた。


「初任務の内容選定には本当に悩みましたの~」扇のリボンに指を絡ませるアリの猫耳が思考モードでぴくぴく動く。「全ての能力者に公平であるべき任務とは……そう考えた時、光が見えたのです」


パタンと扇を閉じる音が虚空に響く。「能力のない貴方なら、特定の力を優遇する発想が生まれないでしょう? それが妾の思惑でしたわ」


「確かに、能力皆無の俺が提案すれば、誰の特異性も考慮しない任務になる」喰は顎に手を当てた。「能力不要の易しい任務を提言すれば、確かに公平と言えるか……意外と人道的な考えか」


(だが任務発令の真意は不明。しばらく静観だ)


「で、神代ちゃんはどんなタイプの任務を望んでる?」

「ふふっ、妾はただ──面白ければ何でも良いのです」アリの猫耳が興味深そうに揺れる。


「『面白い』だと?」喰は眉をひそめた。(子供騙しの遊び程度ではないだろう)「任務失敗者へのペナルティは?」


「……」アリは数秒の沈黙の後、曖昧な答えを返した。「罰を受けるんじゃないかしら?」

どうして疑問形なんだ?喰が視線を凝らすと、彼女は相変わらず余裕の笑み。完璧に無隙な様子で、弱点らしきものは微塵も見せない。


「じゃあ任務内容は俺が適当に決めていいんだな?神代ちゃん」空になったカップを放り投げると、喰は両手を膝の上に置いた。やはり物体の落下音は一切なく、投げたカップは空中で消えたらしい。


「ふふっ~官人やっと本気になったのかい?」


(喰の寝室)

「にひひ~今夜も潜入成功」ベッドサイドで頬杖をつく伊が寝顔を覗き込む。「明朝の兄ちゃんの慌て顔が楽しみ……って、もう布団潜りの癖がバレバレで新鮮味ゼロだし。むにゃ……」人差し指でぷにぷにと頬を突く。

「お兄ちゃんが死んでるみだいよ~。あ、そうだ」伊は良いアイデアを思いついた。


(喰の夢)

(単独任務ならリスク少ないが、他能力者の情報収集不能……)掌で空中に円を描く。(なら複数参加型が必然か。ただし衝突予防策が要る。能力特性を観測可能な協調型任務が理想……)


「例えば夜間に能力者数名を君の力で設定済みの舞台へ引き込み……」喰は熟考した。(そうすれば現実への影響を最小限に抑える)「その場で――」


(ゲームと言えば殺し合いと誤解される危険性が……)彼は舌の上で言葉を転がす。「共同作業による探索任務を提案しよう」


しかし口を開いた瞬間、喉が軋んだ。なぜか?この既視感は……(どこかで似た状況が?)首を傾げる喰の頭上で、アリの声が爆発した。


「もう見てらんない!」背を向けたアリが足を踏み鳴らす。「姉様はなんて虫にだってあんなに優雅でいられるの!?でも……虫すら慈しむ姉様の懐の深さ……ふふ、あはは……」


え……? なにこれ!?眼前のアリは話し方も性格も別人のようで、先ほどの淑やかな姿は泡のように消え、勝手に照れくさそうにもぞもぞしている。虫? 姉様? それに猫耳の動きがさっきから異常に速い! いや、萌え死ぬ! で!なんで俺は衝撃のあまり猫耳を見つめてるんだ! 俺って猫耳そんなに好きか!?…………


「ねえ、虫けら」喰が自分にツッコミを入れている間に、「アリ」はすでに彼の目の前で見下ろしていた。

「……」喰は何か言おうとしたが、声も出ず身動きも取れない。


「姉様が優しすぎて虫の分際なのにこんな場所に連れ込むなんて……許せない!殺す。今すぐ」「アリ」は本気で嫌悪した表情を浮かべた。


(二重人格? さっきは姉で今は妹? この姉妹性格差ありすぎ! それとも双子で姉が消えて妹と入れ替わった? いずれにしても、とにかく状況は最悪。目の前のアリ敵意MAXだ! なぜかはわからないが、俺はもう終わりかもしれない。妹の今後が心配……逸雲に頼むしかない。伊……)


「はははは——死を覚悟の重い顔!超ウケる……」

「……」俺、そんな顔してたか?喰は自らの表情を疑う。


「虫共を舞台へ引き込むだと……?」「アリ」が笑い涙を拭う。「もういい。姉様との蜜月を虫に邪魔させたく...」


言葉が完結する前に、喰の意識は闇に沈んだ。

……………………

パチリと目を見開く。天井は見慣れた自室のものだ。隣では妹が寝息を立てている。(平常運転……死んでない。せっかくの覚悟が無駄になったじゃねえか)自虐で冷静を装う。(あの妹モードの神代ちゃんが『舞台引き込み』を承諾したということは……つまり殺し合い確定?やべえ……結局死ぬのか?)


「きゃっ! お兄ちゃん変態……!」甲高い声が響く。

「伊……お兄ちゃんも付き合ってやりたいのは山々だが、今はそれどころじゃないんだ」喰は主に精神的な疲労を感じていた。


ベッドから起き上がるが、部屋の様子が記憶と「微妙」に異なることに気付き硬直する。振り向いて抱き枕で震える伊に問う。「伊……俺の部屋がこんなに可愛いだなんて……」


「……」

「……」

「出ていってよ! 変態お兄ちゃん……!」

「ああ――本当にすまない!」喰は脱兎のごとく逃走した。


「あははは……」ベッド上の伊は兄の慌てぶりを見届けると笑いを爆発させた。(からかうのって最高~ でも今回はちょっとやりすぎたかも。後で謝ろうっと)


(昨夜あの状況で妹の部屋に夢遊病みたいに侵入できたなんて、いくら何でも荒唐無稽だ。でもそもそも今の状況自体が非常識なんだが)喰は素早く制服に着替え、朝食の支度を始めた。


「おはよう兄ちゃん」伊が欠伸しながら目をこすって現れる

「ああ、顔洗って食卓に着け」


「ヴィ――」これが伊の肯定の合図。漢字では「薇」かと思ったが、おそらく当て字で実際は無意味な発音だろう。


しばらくして喰がリビングの制服姿の伊に呼びかける:「できたぞ」

「ん……持ってきてー」


(ん? 今回は能力を使わないのか?)喰は眉をひそめた。(伊の分まで運ぶには往復が必要だが、念動力なら一発で…… )


「伊、もし兄と寝たかったら別に……」

「いや、そもそももう自立する年頃だ。一緒に寝るのは終わりにしよう」


「えっ……? 侵入したの兄ちゃんでしょ? 変態お兄ちゃんめ……」


(念動力使いなら可能だ。俺が眠っている間に……)喰は紅茶を啜りながら思考を続ける。(空間転移させて驚かせるのが目的か?) だが妹をがっかりさせたくない愛妹家は、この推論を胸に封じた。


「そうか……ごめん伊、昨夜は寝ぼけてたみたいだ」喰は申し訳なさそうに頭を掻いた。

「にひひ……本当に自分のせいだと思ったの? おバカ兄ちゃん」伊が悪戯っぽく舌を出す。


「あっ! お前の能力で……」

「今気付いた? はははっ!」伊は床を転がりながら笑い続ける。


「こら……」喰が拳で妹の頭頂部をグリグリと揉みくちゃにする。

「あいたた! ごめんよ兄ちゃん……もうしないからぁ……」


「わかってりゃいい」喰は粥を啜りながら問う。「ところで代償は?」

「実はね」伊が真顔になる。「昨日から勉強が大好きになったの」

「……へ?」


「だから鉛筆がお友達!昨日はずっと肌身離さず持ってたもん!」

「……はぁ」


「でも今朝なくなっちゃった……大事にしてたのに……」伊が涙目で頬を膨らませる。


(自業自得じゃねえか)喰は舌打ちを噛み殺す。「まさか能力の代償が鉛筆と?」


「わあ!当たり~!兄ちゃん天才!」


(ここまで露骨なら誰でもわかる)


「じゃあ今朝念動力を使わなかったのは鉛筆がないからか?」

「うん……起きたら消えてたの」

「つまり能力の代償は鉛筆保持が条件?」

「正確には接触ね。昨日はずっと靴下に差し込んでたわ」


(念動力の必須アイテムが鉛筆……)喰は湯呑みを回転させながら思考する。(些細な制約に見えるが、鉛筆さえあれないば無能力者。しかし、念動力に比べて、この代償はごくわずかといえる)


(代償はランダムか?)神代ちゃんの台詞を反芻する。(だとすれば、脳内に現れた声は妹モードの神代ちゃん……)


「待てよ? 靴下の留め具で?」

「……ん」


伊の左脚には黒いニーハイソックスが、ハート型のガーターで固定されている。右脚は白のルーズソックスだ。


「なんで素手で持だないんだ?」

「能力発動には身体接触が必要なの……でもずっと握ってるの面倒だから」伊が悪戯っぽく舌を出す。「にひひ……」


「道理で昨夜は気付かなかった」喰は昨夜の出来事を話すべきか逡巡した。(せめて伊の無邪気さは守りたい……だが任務の不確定要素が多すぎる)


(最優先は伊の安全だ)


「部屋に戻る。待ってろ」

「ヴィー」伊は片手でパンケーキをほお張りながら応じる。


喰は寝室の抽斗からスパイ遊戯にハマっていた頃のガーターを引っ張り出す。「接触必須か……」中央部を正確に5cm切り抜き、加工を施す。


「伊、鉛筆だ」改造済み2本を差し出す。1本は現行のガーター長+3cmに調整され、中間部に包帯が巻かれている。もう1本は新規ガーター用の特殊形状だ。


「ん……ありがと。でも何故2本?」

「片方のニーハイにガーターで鉛筆をしっかり固定。もう1本はこの『異次元空間』で逆の脚に装着。スカートの中に隠すようにして」


「ヴィ! でも兄ちゃん……『異次元空間』ってただのガーターでしょ? カッコつけただけじゃん」


「……」


「しかも妹に自分選んだガーターを着用させるなんて……本物の変態だねぇ、にひひ~」伊はスカートをヒラリと捲り上げ、目の前で装着作業を開始した。


喰は妹の危機意識のなさに呆れつつ、食器をまとめてキッチンへ運び込んだ。(鉛筆を腕に巻きつける案も考えたが……他人との接触頻度を考慮すれば大腿部の方が安全だ。落下リスクもほぼゼロ)


「ねえ兄ちゃん、今日の私どう? かわいい? かわいい?」靴紐を結ぶ喰の背後で、伊がくるりと回った。二つのポニーテールが蝶のように舞い、スカートの裾が弧を描く。


「かわいいかわいい」


「にひひ……」


(通学路)

「鉛筆は絶対肌身離さずだぞ」喰が妹の目を覗き込む。「能力も乱用するな。逸雲にも黙っておけ」


「ヴィー」


「初任務が近い……」喰は舗道の亀裂を見つめながら呟く。「おそらく負傷者が出る」


「えっ? 負傷者って……」

「つまり……」喰は拳を握り締めた。「能力者同士の殺し合いが起こるかもしれん」


「……」伊の体が微かに震える。


「他人を攻撃しろとは言わん」喰が妹の手首を握る。「だが絶対に自分を守れ。約束だ」


「は、はあ……」


喰は突然伊の肩を掴んだ。「心配でたまらん……約束しろ!」


「……うん!」伊は兄の自分に対する心配をよく感じた。(でも兄ちゃんの心配しすぎじゃない? 私が念動力使いなのに)「安心して! 私が兄ちゃんを守るから!」


「……」喰は予期せぬ宣言に動揺したが、すぐに平静を装った。「ああ……いい子だ」妹の頭を撫でながら思う。(この平穏が続けばいい)


「ほほーっ! 白昼堂々ラブラブか?やっぱり兄妹は大胆ですね」突然の言葉が二人を中断した


「まさか、今更妹に嫉妬するんじゃないだろうな?」声の主を悟った喰は、わざと芝居がかった口調で応じた。


「君さ……女の子の嫉妬心を舐めない方がいい」彼女が喰の手首を掴む。「婚約者同士とはいえ、妹との過剰なスキンシップは許せない」


「ごめん……」喰は重苦しい表情で手を振り払う。「実は俺、本当に伊に惚れてる。生まれた時から一緒なんだ。この気持ちだけは裏切れない」


「ま……まさか!」彼女の顔に雷紋が走る。「血の繋がった兄妹で……!?」


「俺たちは本気だ! 世間の目などどうでもいい!」喰の演技が熱を帯びる。「そうだろ、伊……?」


「兄ちゃん……」伊は首をかしげて笑みを零した。「キモい!」


「ぐっ……」喰は妹の裏切りに膝から崩れ落ちる。「笑顔で『キモい』は反則だぞ……」


「雲姉! おはよ~」

「おはよう、伊ちゃん! また可愛くなったわね」藍逸雲が伊の鼻をこちょこちょする。


「にひひ……」


喰は一人芝居を続けるが、二人はもう歩き出していた。(まあ、あの二人の仲の良さは昔からだ)彼は諦めて追いかけた。


実はこれらは三人の茶番劇。藍逸雲あいいつうんは喰の幼馴染だ、子供の頃からずっと一緒だったが、でも婚約は架空のものだった。このような小さな劇場は数日ごとに起こることがほとんどで、これも彼らの日常である


「そういえば逸雲、昨日どうして学校来なかった?」校門前で喰が不意に問う。


「ん……家庭の事情よ。まさか心配してたの?」逸雲がわざと前のめりになり、下から喰の瞳を覗き込む。悪戯っぽい笑みが唇に浮かぶ。


「ああ、そう……」喰は深追いしない。本当に重大事なら彼女から相談があるはずだ。


「ちょっと! その他人事みたいな態度! 私だって傷つくわよ!?」

「痛い……傷つくなら腕を捻じ上げるなよ……」


二人は教室へ向かう。伊は碧水初等学院の生徒のため、途中で別れていた。


教室へ向かう二人の背後から、無鏡が舌打ち混じりに声をかける。「相変わらずのラブラブぶりだな。後ろから付いてるだけで蕁麻疹が出そうだぜ」


「逸雲、警察を呼べ」

「了解」

「待て待て! なんでよいきなに?そして、逸雲さん? マジで110番するなよ」無鏡が慌てて許しを求める。「そもそもオレ何したってんだ!」


「え? ストーカー行為じゃないの?」喰が真顔で首を傾げる。

「ストーカーもクソもねえ! お前らを尾行する利点がどこにある! ってか逸雲さんその携帯離してくれない?」


「ははは、冗談だよ。おはよう、無鏡」

「まったく……本気と冗談の境目がわからねえ」

「おはようございます」今度は優雅にお辞儀する逸雲。

「もう……おはようって」無鏡がため息混じりに返す。三人は朝の挨拶を交わすと教室へ入っていった。


朝礼が始まる前、喰は教室を見回した。欠席は数人だけ。忘川が相変わらず漫画を読んでいることに気付く。他の三人はそれぞれ友人と話していた。昨日伊から得た情報によれば、能力獲得は就寝時間や睡眠時間と無関係だと知っているが、眠り自体が契機である以上、やはり四人が能力者ではないかと疑わずにはいられない。


「ところで逸雲、どうして昨日休んだんだ? 君がいないと何か物足りない感じがして」無鏡が椅子を横向きに座りながら尋ねた。逸雲は喰の隣の席で、小学校から不可解な因縁でずっと同クラスが続いており、担任教師も二人の事情を知っているため基本的に同席させている。


「実はね……」逸雲が思案げに答えた。「昨日閉じ込められて、逃げられなかったの。だから学校に来られなくて……」


「……は!?」無鏡は驚愕した。


(朝聞いた話と違う……)喰が疑問を抱く間もなく、逸雲は質問の機会を与えなかった。


「喰が私を部屋に閉じ込めて、野獣のようにあれやこれやをして……今朝やっと解放されたの」逸雲は存在しない涙をハンカチで拭いながら言った。


「おい! てめえ……いったい何をしたんだ!」

無鏡が喰の襟首をつかみ、拳を振り上げる。


「違うって、無鏡。明らかに冗談だろ?」喰が逸雲の方へ振り向く。「そうだよな? 逸雲」


「(X﹏X)」逸雲はより一層涙眼を強調し、頬を淡く染めていた。「まさか……昨夜のことを全部否定するの……くすん」


「この人類の敵が!」無鏡が怒涛の拳を繰り出す。


「逸雲、お前……!」喰が拳を受け止める。「落ち着け! 今もこいつ笑ってるだろ!」


逸雲はもはや隠し切れず爆笑した。「……二人とも最高に面白いわ……」


腹を抱えて笑う逸雲を見た無鏡はようやく騙されたと悟る。「俺だけが道化だったのか?」


「来世でまたな」喰は親友の背中を叩いた。


授業直前、三人はそれぞれの席に散る。喰は思考を巡らせる。(崇宮が能力者の可能性が最も高いが距離がありすぎる。委員長と小和も同様。やはり先ずは忘川と関係構築するか)


「ねえ、逸……」振り向いた先の席は空っぽだった。視界全体が突然暗転し、明るい教室の面影は消えていた。


「……雲」という言葉だけが喉に残った。

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