能力は?
「いったいこの世界はどうなっているんだ?」彼はそう思わず考え込んだ。ついさっきまで平凡な日常が、次の瞬間には夢のように虚ろな光景へと変貌している。目をこすって現実に戻ろうとするが、開けた瞼に映るのは相変わらずの荒唐無稽──。
透き通った青い巨体のクジラが大空を泳ぎ、「天井」と思い込んでいた空間は既に幻想と化していた。大小さまざまな虹色の気泡、猟奇漫画にしか出てこないような奇怪な形状の物体。これは夢だと悟ったが、ここまで鮮明な自覚夢は初めてだ。馬鹿みたいに頬を捏ねる代わりに、存分に味わおうと決める。
「どうも最近疲れがたまってるみたいだな。せっかくの夢なんだから美少女と出会いたいのに!」周囲を見渡すと、自分と同じく困惑した人々が立ち尽くしている。中には自分を掐ねる者も。これは夢の中の演出か? と思いながら他人に話しかけようとした瞬間、声が出ないことに気付く。呼吸を忘れたような感覚に襲われ、「これはただの夢じゃないのか? 自覚夢なら自由に操れるはずだ」と混乱する。
ふと隣を見れば、口をパクパクさせている人がいた。どうやら全員が同様の状態らしい。さらに気付く──人々の顔全体が霧のようにぼやけていて容貌が判別できない。
「ここはどこだ? 確か授業中だったはず…まさか異世界転生か?」俯きながら呟こうとした刹那、轟音が響き渡る。反射的に顔を上げると、コンサート会場のようなステージが突然出現。周囲の全員が硬直したように見つめている。自分も体が石化したかのように微動だにできない。視線の端で気付いた前方の人影も、全く同じ姿勢で固定されていた。
しかし例外がいた。花火の炸裂と共に立ち現れた煙霧の中、シルクハットを手にしたマジシャンのような人物が優雅なポーズで佇んでいる。その姿は目が離せない──いや、物理的に視線が固定されているのだ。
「ようこそ。ようこそおいでくださいました。妾、ずっと待っておりました」
ステージ上の少女が姿勢を正す。猫耳がぴくっと動き、初めてはっきりと容貌が視認できた。上品で愛らしい声質は、まさに「萌え」の典型だった。
「疑問は山ほどおありでしょうですが」どこから忽然と現れた杖をくるりと回しながら、少女は舞台を縁取る。「重要なのはあなた方が『選ばれし者』だということ!妾は神代アリともします。可愛い猫ちゃんと呼んでくれて結構よ~もちろんそれは冗談、好きに呼んでもいですよ♪」
(完全に自覚してるじゃん…)彼は内心で苦笑した。
「では本題へ。この場を出た後、皆さんには『能力』が授けられますわ。呼吸と同じように、自然と名前や使い方が分かる」突然、杖先から火花が散る。
「ただし代償もある、一般的に、能力が高いほどコストがかかることは確かですが、残念、このような法則は妾のところでは適用できません、あなた方はどんな能力と代償を得てもランダムで、本当の意味でランダムですよ。」
彼女は声をはっきりさせ、その後続けて言った
「それから、きっと無駄に能力をあげてはいけないでしょう。だから、定期的に何かの任務を発表します。あなた方も再びここに現れる必要はありません...」
教室の風景が一瞬歪んだ。気が付くとアイリは指を鳴らしていた。
「任務は脳内配信しますよ。では、健闘を祈る」
視界が教室の風景に定着すると、彼は自分の掌を凝視した。爪の跡がくっきり残っている。
「おお、ようやく目覚めたか?10時から12時半まで爆睡とは流石だな」前席の一和無鏡がコンビニ袋を振りながら嗤う。「昨夜はあれやりすぎたのか?」
脳内を探ると、確かに「何か」が浮かび上がる感覚があった。
(能力:無能…!?)
呼吸のリズムと同期するように、その情報が神経を駆け巡る。
「ププッ──大当たりだよ❤」突然脳内にアリの声が響いた。「アタシは一人で能力を獲得しないと設定した。それはあんたですね!運がいいね、ブーブー、無能ならもちろん代償もなし!怪物たちの世界でどうぞ長生きしてね~」
(...何がかわいい猫だよ、悪魔猫だろ)心の中で舌を出す。
(能力なしか...)
「おいおい、ちょっとは反応しろよ」無鏡が目の前で手を振る。
「あ、ごめん。まだちょうと...」
「だからそんなことをしないで言いただろ――ほら、買ってきたハチミツパン。感謝の言葉は『パパ』にね」
「はは、サンキュー。でも昨夜は早く寝たからな、あんなことしてない」
パンを受け取る際、左側二列目の席で俯いている人影が視界に入る。手元の動作が止まった。
「ん?気に入らなかったか?」無鏡が怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、そうじゃ」包装を破りながら嚙りつく。「12時過ぎに寝るなんて早すぎないか?あいつ今頃寝落ちしたのか?」
指差す先には依然として俯く同級生。あの異空間での体験は一瞬に感じたが、実際には二時間経過していた。(夢と現実の時間経過が違うのは当然か。だが、悪魔猫の『健闘を祈る』と同時に目覚めた俺とは違い、覚醒時間に差がある可能性も……)
視線を教室中に走らせる。(仮に時間差覚醒があるなら、能力者は四人か?)知り合いも少ないクラスで、特にこの数名とは疎遠だ。(でも同級生なら協力できる可能性は……任務が発生した時のためにも……)
「おいおい――?また意識飛ばしてる。夜は……」
「やってないやってない」無鏡の声で現実に引き戻され、「で、あいつは今寝始めたのか?」
「小和我空路の話か?あいつも朝から爆睡してたぞ。お前より長く寝てたかも」無鏡が教科書で顔を隠す。「真面目な奴が授業中に寝るなんて異常事態だ。先生も形だけ注意したきり放置してたな」
「ああ、俺への呼びかけは?」
「当然あるわ。机バンバン叩いて怒鳴ってたぜ。それでも起きないから保健室送りにしようとしてたのを、俺が『こいつはただの睡眠不足です、どうせ普段は授業を受けない』って説得したんだ」
「それ……心配してるのか馬鹿にしてるのか分からねえ」ため息混じりに問う。「他に三人寝てた奴らも長時間?」
「そっちは微妙。たぶん途中から寝落ちしたんじゃね?」
「なら名前を教えろ」
「え?下心あるだろ、男も混ざってるのに!」
「素直に答えて」
「しょうがねえな」無鏡が指折り数える。「最後列の寝てる子は忘川恋さん。可愛いけど暗くて近寄りがたい。ドア側の列は……委員長だよ、寝ぼけてんのか!説明省略。そして俺の前の列は崇宮澪太。あいつは手強い、超短気なタイプ」
(ふむふむ、とりあえず名前はメモっておこう)「ところで、俺以外に長時間寝て起きた奴は?」
「いないはず。少なくとも見てない」
(よし、能力テストする時間的余裕があった者はいない。最悪、目覚めた奴に能力者と誤解されるリスクも回避できた)
「ででで、気になるのはどの子?」無鏡がわざとらしい甘ったるい声で迫る。
「ない」ゴミ箱に包装紙を放り投げ、彼は後ろ扉へ歩き出す。
「どこ行くのよ~?」
「トイレ」振り向きもせず手を振る。小和我空路、忘川恋、崇宮澪太、委員の有瀬輝夜──この四人全員が能力者なら……(不安しかねえ。情報少なすぎだ。悪魔猫の『怪物たちの中での生存』発言も不穏すぎる)
便器の水を流しながら思考が加速する。(まさか殺し合い?能力検査で無能確定。これじゃ俎上の魚だ)
教室に戻ると(全員覚醒か?二人欠席)忘川恋は漫画に没頭し、委員長は教卓でプリント整理中。(異常なし?夢を見てないのか?能力あるなら実験するはず…やあ、油断できない)
自分の席で問題集を開きつつ観察を続ける。(外出組の崇宮と小和は能力テスト中か?男子なら隠れて試すだろう。接触方法…正体バレたら終わりだ)
(夢の内容を聞き出す作戦は?)ペン先でノートを突く。(他人の夢なんて聞いたら不審者確定。同級生でも不自然…仲の良い友人経由?いや余計怪しい、どう切り込む?)
「どうしたんだよ優等生、授業中に寝るなんて珍しいじゃねえか」無鏡の声が思考を遮った。牛乳パックを片手に空路の背中を叩いている。(もう戻ってきたのか、空路が)
「別に…昨日たまたまハマったゲームがあってさ、気付いたら朝だった」
「え?ゲーム?お前が?マジかよ!てっきり帰宅したら勉強しかしてないストイックな奴だと思ってたのに」
「はは」空路が乾いた笑いを漏らす。「そんな立派な人間この世にいるのかよ」
「だって成績優秀だし授業も真面目だろ?先生も特別扱いしてるし…」
会話を盗み聞きしながら感謝する。(少なくとも空路が虚偽を吐いていないなら、あの異空間への突入が原因ではないと判断できる)ただし睡眠中に引き込まれる可能性も残っている。(保留事項だ…俺はそろそろ行動を起こすべきか?)
「えっと……忘川恋さん……ですよね?」彼は標準的な姿勢で忘川恋に話しかけたが、後者は明らかに予想していなかったので、突然のことにびっくりした。
「ひっ!……そ、その……」恋が漫画から目を上げた
(さあ本番だ!)喰の脳内で一万種類の自己紹介シナリオが爆発する。(陰キャ女子ならオカルト話題が鉄板のはず)汗ばんだ手で前髪を梳かす。
「失礼ですが、UFOって信じる?」
「え……? ええっ……?」恋はまるで変人を見たかのような目つきで、足が無意識に後ろに下がり、自分の椅子を動かし、かすかな声を出した
(やべえ完全に逆効果!)冷汗が背中を伝う。(陰キャ女子のステレオタイプ押し付けか…現実はやっぱり違うんだ)
「あっごめん! 冗談のつもりだったんだ!」九十度の最敬礼で頭を下げる。「ただ仲良くなりたくて! 本当です!」
「そ…その……やめて……ください」恋が教科書で顔を覆う。教室の片隅からクスクス笑いが漏れる。
「あ……」周囲の視線に気付き声を潜める。「名前も忘れてるでしょうが、俺は──」
「乙女……喰さんだよね?」
「へえ……そうだ……」彼女が自分の名前を覚えてくれるとは思わなかった。彼の名前は確かに覚えやすい。男の名前が乙女なんて珍しいからだ。彼もクラスメートに名前でからかわれたことがあるが、普段クラスの存在感が低く、生身の人が近くにいない暗い雰囲気の女の子が自分の名前を覚えているとは思わなかった
「覚えて……たんですか?」
「そ…その……名前が……かわいいから」
「か、かわいい……」喰の頬が痙攣する。
「で、で用件は……?」
「あ、漫画好きなんで! さっきからページめくってないみたいで……何か悩み事でも?」
「あいっ?」恋は突然、馬鹿に聞かれて、彼女は目の前のこの男がなぜこのように聞くのか分からなかった。
喰は彼女の動揺を察し、慌てて言葉を継いだ。
「あ、つまりその……俺も漫画好きだからさ。没頭してると自然にページめくっちゃうんだけど、忘川さんはさっきから全然めくってないんで……」
実際には5分近く同一ページのままだ。喰は観察していた。(あえてゆっくり読むとすれば、漫画を読んでいるときに視線が働くと頭も無意識に一緒に軽く働くのですが、彼女の頭もほとんど動かなっかた。それに、視線が合っていません。眼球運動が完全停止→何かに思考を奪われている。まさか能力関連か?)
「気になることがあったら力になるよ。クラスで漫画仲間なんて珍しいからさ」
「そ…その……ただぼーっとしてただけ……です。気にかけてくれて……ありがとう」恋がかすかに微笑む。
「あっ、ハハ、そっか、 じゃあ邪魔しないようにするね~」喰は手をひらひらさせて自席へ戻る。(恋の席:最終列5番目/喰の席:後ろから2列目3番目)距離的にはあまり離れていない。
(情報ゼロ…だが少なくとも接点は作れた。あの即興芝居も悪くなかったはず。変質者認定は避けられたろ。今、澪太と空路や委員長と話をしに行きたいが、時間が許されないので、すぐに授業を受けた。 放課後にやってみましょう。「友達作り」を口実に行こう)
もうすぐ下校時間になり、恋とまた話すつもりだったが、相手は授業が終わると姿を消し、我空路、澪太、委員長も教室にいなくなった。
「小和と崇宮の所属部活は?」前席の無鏡に問う。
「今日は質問攻めだな」ため息混じりの返事。「空路は帰宅部。澪太は野球部だろ」
「委員長は?」
「ほーほー、本命はそっちか?」
「早くしろ」
「生徒会室行ったと思う」
「了解。サンキュー」
……
……
「澪太のこと?今日は用事で来られないって」
「どんな用事か言いましたか?」
「いや、特に」
「じゃあ部活休むって連絡していましたか?」
「ちょっと待って」野球部の部長がスマホを取り出す。「午後の一限目終了後だ。澪太どうかした?」
「いや...クラスの空き教室掃除の手伝いを...他の人を探すから」
「大変だね」
「じゃあ失礼します」
(まさか今日に限って部活を休む?崇宮は野球が大好きだぞ。よほどのことがない限りサボらない...まさか能力を使うためか?)鞄を抱えながら歩き出す。(どうやら間違いなく彼も能力者だ。委員長と小和、忘川の三人はまだ確定情報がない。でも時間は遅いし、家に帰らないと誰かが産声を上げて、帰ろうか)