第五十五話:双方向の約束、今度こそ私・俺たちは
その後、酒場の客たちと治安官の計らいで、ローシ・アブマン殺人事件は大々的な報道こそされなかった。しかし、ラードゥ出所後の二人の関係が元通りになることは無く
(あいつに嫌われよう、いくら優しい奴でも愛想が尽きるだろ……)
ラードゥはナシュイを遠ざけるため、わざと意地の悪いことをするようになり
(君は嘘が下手くそなんだから、そんな演技をしたって私以外ごまかせないのに……)
ナシュイは彼の面子を立てるため、あえてそっけない態度を取るようになった。それから二年が経ち、ほとぼりが冷めた現在も、不器用な二人のすれ違いは尾を引かせている————
過去を思い起こしている合間にも、ナシュイは見る見るうちに落下していた。普段は負けん気が強い彼女も、力の抜けた細い声で呟く。
「…………このまま終わるのか?……後悔を残したまま……」
弱腰になるのも無理ない。いくら彼女が飛行のプロだとしても、<乙女の翼>を壊されてしまっては手も足も出ないのだから。
雲上の仲間たちも、<強欲>の対処ですぐ助けには来てくれないだろう。そう判断したナシュイは身体だけでなく、心までも完全に沈んでしまった。
もはやこれまでか、と思ったその時
「…………ーーい!……おーーーーいっっっ!!!!!」
何者かの叫びが、どこからともなくナシュイの耳に飛び込んできた。
(……ん?この声って…………)
今にも風の音で揉み消されそうな微かなもの。しかし、確かに聞き覚えのある声だった。絶望の淵に立つナシュイ——寂しがりの少女にとって、それは何よりの救いになる。
「真面目ちゃ……ナシュイ!!!約束を果たしに来たぞ!!!!!!」
声の主はいつぞやの、一方通行の約束を守るために来たそう。それに真面目ちゃん、『スーゼファルカ』でナシュイのことをそう呼ぶのはたった一人。死に晒される彼女を助けに来たのは他でもない
「ラードゥ……?ラードゥなのかっ!?」
幼馴染ラードゥ・ガヤだった。逆風に抗い、豪雨を振り払いながら単身で突っ切る彼の勇ましい姿は、ナシュイのぐらつく視界にもくっきり浮かび上がる。
「そうさ!ただ……ちょーっと待っててくれるかい!?必ずキャッチしてみせるから!!!」
ラードゥが危険を顧みず、その身を投げ打って駆け付けてくれた。その事実だけでナシュイの胸は十二分に高鳴っていたのだが
「キャッチ……か……」
下手をすれば両者が落下死し兼ねない、無謀な作戦にますます鼓動は速くなるのだった。
「大丈夫だって、俺を信じて!!!」
不安がる彼女には構いなし、ラードゥはナシュイの軌道に急降下する。そして、<乙女の翼>をホバリング状態にし、落下点を見極め始めた。
操作はナシュイほど手際良く無かったかもしれないが、彼は優れた判断力でそれを補う。
「それ、キャーーーッッッチ!!!!!」
ラードゥは両腕を広げた。己を鼓舞するため叫んだのと同時に、彼にとってのプリンセスは舞い降りて来た。
(ボスッッッ…………)
ナシュイを抱きかかえ、横向きに持ち上げるラードゥ。文句なしに完璧なフォーム、お手本のようなお姫様抱っこだった。
「はぁ……け、怪我はない……かなぁ?」
「あ、あぁ……大丈夫、ありがとう……」
キャッチ作戦が成功したのは良いものの、過激な運動と恥じらいの二重苦で二人の顔は真っ赤に火照っていた。
「………………」
「………………」
客観的に見て、じれったくてしょうがない沈黙の時間が流れる。しかし、そんなことは当の二人も重々承知をしているよう。
「「あの……っ!」」
痺れを切らし重なり合う、ナシュイとラードゥの声。今度こそ正直に、心の赴くままに思いの丈をぶつけようとした————のだったが
(パキン……)
何という運命の悪戯か。ちょうど二人が口を開いた瞬間に、<乙女の翼>の肩部分の金具が外れてしまった。
不運な少年少女は、間もなく谷底まで真っ逆さまになった。
「……だから金具はきちんと締めろ、とあれ程ッッッ!!!!!」
「カチッ……ってちゃんと鳴らしたさ!!!たまたま壊れちゃったんだよ!!!!!」
締めるべきところで今一つ締まらないのも、もはや二人のお家芸——なんて冗談を言っている暇は無く、彼等が置かれている状況はかなり不味いものだった。
『スーゼファルカ』の街並みが薄々と見えることから、現時点が地表から一キロもないことが伺える。
「ちっくしょう!キャッチは上手くいったのに!!!」
こんな死に方では悔やんでも悔やみ切れない。ラードゥはそう憂いていた。しかしその一方、ナシュイの脳裏ではある記憶が蘇っていた。
(それ、キャーーーッッッチ!!!!!)
今しがたのラードゥの掛け声。それは奇しくも、飛行失敗した幼い自分を救う際に、父が発したものと酷似していた。——あの時、父はどのようにして私を押さえたか。風に流される身体を何で受け止めて見せたか。
「おとーさん……私、やっと誰かを守れる人になったみたい」
ナシュイが答えを導き出した頃、彼女の背中には鷲のように凛々しい翼が広がっていた。




