〖花蕾の幕間〗第一話:【疾風の鎌蟲】
本編の舞台裏、つまり番外編です。
————ベルギア一行が旧都の調査に勤しんでいた同刻、『スーゼファルカ』。
『レナ』の街の早朝は、大変心地の良いものだ。谷から訪れる北風は乾燥して冷たくも、同時に爽やか気持ちを運んできてくれる。
商人達は気分の良いうちに店の支度を済ませる。後は間もなく訪れるであろう、太客を快く迎えるだけだ。
「おはよう、マリヤさん!!!」
「いらっしゃい!今日も新鮮な野菜が入ってるわよ!!」
『スヴァボーダ城』メイド長、マリヤ・セドフ——それが商人達が太客と呼ぶ人物の称号と名である。
彼女の美麗な佇まいと言動、あらゆる分野に精通する明哲さは、街の者達から好かれるには十分過ぎる理由だった。
「皆様、朝早くからご苦労様です、本日のお夕食分の食材を買い足したいのですが……」
マリヤが終わりまで言うより先に、商人達は腕を振るい自慢の魚やら野菜やらを売り付けた。彼女と商人達の付き合いは長いため、お互いに欲している物がすぐに分かってしまうのだ。
「あら…………」
あっという間に満杯になる買い物かご、その中身はどれも極上の品である。
「うふふ、どうもありがとう御座います」
持ってきた大金を余すこと無く払い、マリヤは街を後にする。——今後とも御贔屓に。一方の商人達は皆、彼女の背中に語り掛けた。
「ムフフ……マリヤさん、今日こそ私のブティックで……」
「間に合ってますわ」
すり寄る例の変態店主を華麗に躱し、マリヤは城まで真っすぐに戻って行くのであった。
——十数分後の『スヴァボーダ城』、メイド長更衣室にて。
(まったく、上品なお姉様演じんのも楽じゃないよ)
マリヤは心の中で呟く。同時にロングスカートのメイド服が床にバサッと落とされる。さらに、二枚の胸パッドもひらひらと舞い落ちる。
下着姿の彼女は実に細身(要は貧乳)で、完璧に思われた肉体美は偽りであった——いやこの場合、彼女の存在自体が偽りである、と言った方が正しいのだろう。
(デカ過ぎるでしょこの人の、私への当てつけか?)
脱ぎ捨てたメイド服から魔晶石と仮面を取り出し、偽物のマリヤは任務用の衣服に着替えた。
(ま、潜入成功したしどーでもいっか!)
仮面越しでも分かる、特徴的な三白眼を持った侵入者。彼女こそ————第九位【卿相】、密偵長ライン・ドルシュだった。
(風神とその主戦力が国を離れてる今……もう誰も私を止められないッ!!!)
にわかに歪み出す空間——。更衣室を飛び出したラインの肉体は、城の廊下の風景に文字通り溶け込む。監視の目を掻い潜り、彼女が向かったのは
(アレは確か、執務室にあるんだったね?)
『スーゼファルカ』の国家機密が山のように眠るベルギアの執務室だった。丁度、扉の前には巡回を終えた執事長が居る。手間取らずに鍵を入手出来る絶好のチャンスだ。
疾風の如く伸ばされたラインの指先は狙いを定め、鍵束の中からたった一つを抉り取る。
(ヒュッ……)
「……ん…風?窓は全て閉まっている筈ですが…………」
執事長は不自然に感じながらも、一枚一枚の窓を確認するために執務室前から去って行った。
(あーあ、おバカな爺さんだ……キミ達の仕事に漏れなんか無いのに)
彼の姿が見えなくなったのを確認し、ラインは目の前の扉をそーっと解錠する。——ここに至るまで僅か数十秒。第九位にしてこの実力、【卿相】とは末恐ろしいものだ。
(さて、アレはどこに仕舞われてるのかな?)
ラインに課された任務はただ一つ、彼女がアレと呼ぶ品を回収すること。
(にしても色々あるなー……この機会に乗じたいとこだけど…………)
不必要な盗みを働いたら、『スーゼファルカ』と『ヴァリーツェ』の衝突は避けられないものとなる。——【闇の女帝】の名誉にかけて、それだけはあってはならない。
ラインは思いとどまり、例のブツだけを求めてあちこちを物色した。
(あったあった、これじゃない?)
絵画の裏に隠された棚、そこからラインが見つけ出したのは小さな箱だった。静かに興奮する彼女はすぐに魔晶石を取り出し連絡を入れる。
「…………なんだ貴女か、上手く進んでいるのだろうな?」
魔晶石から応じる声は低くしゃがれていて、彼女の同胞とやらが老年の男性であることが伺える。——彼もまた、【卿相】であるのだろうか。
「現地で苦労してる仲間にそんな言い方は無いと思うんだけど」
ラインはぶつくさと文句を言う。しかし任務は任務、彼女は自身が手に入れた箱について同胞に報告をした。
「ベルギア自ら結界を張り、他の誰にも開けられぬよう厳重に管理している……間違いない、これが我々の欲している風神の<啓示>だ」
魔晶石を握る方と反対の手で箱を左右に揺らすライン。中ではそれなりに密度ある物体が転がる音がする。
「現風神は<啓示>を毛嫌いしておる、儂はそれを餌に彼と交渉するつもりだ……箱のまま持って帰って来るが良い、よくやったぞドルシュ」
【ハーデース】がラインを『スーゼファルカ』に派遣したのは、風神の<啓示>を盗み出すためであった。彼等が何故<啓示>を必要としたのか、それを使って何をしようと言うのか————全てを知るのは、【闇の女帝】と十二人の【卿相】のみである。




