第一話:白百合の芽吹いた日
「きゃああっっっ!!!」
狸耳の少女の居る山は、忽ち猛吹雪となった。先程まで雲っこ一つも無かった筈が、少女は避難を余儀なくされる。
「早くどこかに隠れないと……!」
獣皮のコートを着ても防ぎ切れない寒さは、着実に少女の体力を奪っていった。雪に足を取られながらも少しづつ、少女はめげずに歩幅を広げ、藁にも縋る思いで進み続けた————
『リリー大陸』の北端、田舎村の『モナク』。狸耳の少女、ホノカはそこで暮らしていた。
「つまらないな」
ホノカは硬いパンをむしり、ミルクで流し込む。市場で買った朝食はどれも、ありふれた品物ばかりだった。
「ねえ、聞いたかい?『テウメ山』から変な音が響いてたって」
「聞いたわ、ただでさえ気味が悪いところなのに……当分あの辺を通るのは止めましょうか」
その一方、近所のおばさま方は他愛のない話で盛り上がり、根も葉もない噂をネタに話題を広げていた。
「ふーん……」
いつもであれば、退屈さに拍車をかけるような光景だが何故だろう。ホノカは今日の噂話に興味をそそらずにはいられなかった。
彼女はすっと立ち上がり、おばさま方の居る塀の方へと近付いた。
「誰か居るにしたってねぇ……あそこは禁足地の筈なのに」
「私は若い子の悪戯だと思うよ?この前だって、通りすがりの旅人が山に入った時、村長に怒られてたじゃない」
年間で数人の怖いもの知らずが、山に侵入を試みては難無く戻ってくる。禁足地としての体たらくぶりに、おばさまの一人は呆れ返っているようだった。
「そういえばそうだったわね……にしたって不思議な話じゃない?その音の方へ行きたくなっちゃうなんて……あら?」
ある程度話した後、ぴくぴくと聞き耳を立てているホノカにおばさまの一人が気付いた。やがてもう一人も振り返り、驚いた様子の彼女に声をかけてきた。
「ホノカちゃんじゃない!調子はどう!?」
「えっ!あぁ……いつも通り、なんてことないわ!」
ホノカは曖昧な返事をする。頭の中が、先程の話のことでいっぱいな為であった。
「それより、さっきは何の話をしてたの?」
話の続きを催促するホノカ。しかし、二人の返答は彼女が期待していたものとは程遠かった。
「つまらない話よ、ホノカちゃんは気にしなくていいわ!」
「そ、れ、よ、り!今日の昼市は野菜が特売なのよ!!よかったらホノカちゃんも一緒に……」
ホノカの耳はしおしおに垂れ下がっていた。興味なし、と言わんばかりの生返事を残し、彼女はその場を立ち去る。
「でも……良いこと聞けたかも!」
思い立ったが吉日。物置に飛び込むや否や、ホノカは古びた木箱を取り出した。中身はボロボロの巾着袋。長らく使われることが無かったであろうそれは埃を被り、カビっぽい臭いさえしていた。しかし——
「久しぶりに大冒険の予感!!!」
今のホノカにとって、これが何よりも輝かしく、希望に満ち溢れたものであったのは間違いなかった。
パンの残りとお茶の入った水筒、それだけを詰め、獣皮のコートをまとったホノカは足早に『テウメ山』へと向かっていった。
「どうりで何回も忍び込まれるわけだわ……」
茂みから顔を覗き出していたホノカは、呆れた様子でため息をついた。『テウメ山』への山道。その入り口にはひょろひょろのとでっぷり、見るからに弱そうな中年の見張りが二人居るだけだった。
「まあいいや、どうやって入るか考えないと」
見張りを出し抜く方法がないかと辺りを見渡し、ホノカは積み荷から溢れていたあるものに目を付けた。
「そーっと……そーっと……」
静かに呟くホノカの掌、そこには小さな灯が燃え上がっていた。——『リリー大陸』には七種類の【魔法】があり、その中でホノカが有していたのは【炎】属性の力である。『モナク』のようなしなびた田舎で、その力を使って英雄に……とはならなかったが、お菓子を焼いたり、蝋燭を灯したりするには持ってこいであった。
「そろそろね……ちょっとごめん!…………えいっ!!!」
パカンッ、と何かが破裂する音と共に、ホノカの掌からアツアツのマカダミアナッツが飛び出した。一発目は細い見張りの脛に直撃、二発目は太い見張りの腹に直撃した後に、遥か彼方へはじけ飛んで行った。
「いてぇっっっ!!!!」
「あつぅっっ!!!あつぅっっ!!!」
突如襲い掛かった痛みと熱さに悶える見張りの二人、その隙を見てホノカは山道を駆け登り、『テウメ山』の奥へと消えていった。
雪山でのスリリングな冒険!——からしばらくの時間が経った。ホノカを迎え入れたのは、人が出入りした形跡もない美しい銀世界のみ、噂されていた変な音は微塵も聞こえなかった。
「結局、ハナからつまらない噂話だったってわけね」
ホノカは小さく鼻を鳴らし、足元の雪を蹴り上げた。冒険もそろそろ潮時か、そう思ったその時————
(…………ジ、ブー……ブー、ジ、ジ、ジ)
くぐもった低音が響き渡った。規則的な低音は地響きを伴い、それに応えるように空模様も一気に怪しくなった。
「地震に吹雪……!?冗談じゃないわ!!!」
瞬きをする間もなく、北風が吹き荒れる。未曾有の大災害を前に、一時は悲鳴を上げるホノカだったが、すぐに冷静に判断を下し、身を隠すための場所を探し始めた。そして小さなほら穴を見つけた彼女は、半ば倒れ込む形でその中へ入った。
「ひとまず体を温めなきゃ……こんなところで死にたくないっっ……!!」」
ホノカは凍え切った手で、巾着袋の中のお茶を取り出そうとする。
「だ……め……力……入んない…………」
冷たく震え、真っ赤にかじかんだホノカの手から袋がすべり落ちた。涙すら出せなくなった体は、次第に表面から凍り付いて行き、やがて彼女は意識を失った。




