第2章 愚かな娘の反抗期
誰もが羨む令嬢がいた。
大企業の社長を父に持ち、当人は様々なコンクールで最優秀賞を獲得するほどの才色兼備。通う学校では姫と揶揄される存在としてもてはやされ、誰もがその令嬢を羨んだ。
しかし、令嬢は凍えていた。
令嬢の母は幼き頃に亡くなり、父は令嬢を褒めること無く道具のように扱った。
大企業の社長の娘として相応しくない行いをした時、普通の子供としての行動をすると、その父は躊躇いもせず暴力を振るい、娘としての在り方を延々と説き続けた。
令嬢が住む屋敷では使用人達が父と令嬢の身の回りをこなし、令嬢には毎日のように家庭教師がつけられ様々な勉学を教えた。できなければ雇い主である大企業の社長の娘であろうと容赦無く叱咤した。
豪華な食事に精密な体調管理。身体的には何の問題も無かったとしても、心までは届かない。
毎日毎日毎日毎日そんな日々が続いていると、ある日の夜。寝室で眠りにつこうとした彼女の前に、不可思議な小動物が現れた。
「僕は魔法の使者。君みたいな素質がある子に、この世界を守るため魔法少女になって欲しいんだ」
不可思議な小動物がそう言ったその願いに、令嬢は判断しかかねた。突然そんなことを言われても、彼女は何も分からない。
訳の分からないまま眠気に負けて眠りにつき、目が覚めると朝になっていた。
いつも通りの時間に使用人達が寝室に入り、令嬢を寝巻きから学生服に着替えさせ、父と同じ部屋で朝食を取り、学校に向かう時間になった。
何事も無くあれはただの夢だとして忘れようとした令嬢の前に、昨日の不可思議な小動物が現れた。
周囲を見回すが突然現れた存在に驚く者はいない。再び不可思議な小動物を見つめその場で立ち尽くしていると、使用人に学校に遅れますよとせっつかれ、仕方無く一度無視して令嬢専属のドライバーの車に乗り込む。
令嬢は膝の上に乗っている不可思議な小動物から視線を逸らし、目を閉じる。
何度振り出しから思考しても、混乱を禁じ得ないその現象を理解できず、いつの間にか車が学校に到着していた。
令嬢以外誰にも不可思議な小動物が見えないことを知った上で、一旦ここでは触れずに1人になる瞬間まで聞きたいことを抑えることにした。
学校の校門の前で車を降り、そのまま校舎の昇降口に向けて歩く。未だ混乱が冷めないせいか、少し急ぎ目に昇降口に向けて歩いた。
その時、令嬢は気付かなかった。登校している学生の中で、明らかに数人の視線が下の不可思議な小動物に向けられていたことを知らずに。
不可思議な小動物は令嬢の横を歩き、授業を受ける机の上で横になり、ようやく昼になり各々弁当などの昼食を食べる時間になった時、一緒に弁当を食べようと提案したクラスメイトをやんわりと断り、即座に教室から誰もいない屋上付近の階段に不可思議な小動物を連れて逃げて行った。
「昨日は聞きそびれたけど、あなたは何者?」
「そうだね、言い忘れてた。僕は――――」
その時、階段を駆け上る音と共に1人の女子生徒が明るい眼差しで現れた。
「あ、いたいた!初めまして、かな。この子が見えてるってことはあなたも魔法少女?」
「あ、いや……その……」
「彼女はまだ魔法少女じゃ無いよ。僕が打診してるだけだから」
その明るさに令嬢は呆気に取られ、声を満足に発することができず不可思議な小動物が代わりに応えた。
その女子生徒は自らを魔法少女と応え昼時だったこともあり、その2人で一緒に弁当の昼食を食べ、女子生徒は令嬢の疑問に応えた。
この世界とは別の世界から現れた魔物。その魔物が人々に仇をなし、挙句には死に至らしめることも少なくない。
不可思議な小動物は元々魔物が現れる別の世界の住人であり、魔物達がその世界を蹂躙したことで、この世界に助けを求めただ一匹生き残り逃げ延びたと女子生徒と不可思議な小動物は説明した。
そして、魔物は不可思議な小動物の世界では飽き足らずこの世界に侵攻を始めた。
この世界を守り、魔物を倒す為に魔法少女は存在している。
女子生徒がそう言うと、何かに気付いたように昼食を途中で止めて立ち上がり、急ぎ目に今いる階段を登って行った。
令嬢は女子生徒の突然の行動に驚きつつも、その先に知りたい答えがあると感じ女子生徒を追い掛けた。
女子生徒は階段の最上、屋上に続く扉に手を掛けてその扉を開いた。令嬢は内心驚いた。通常は生徒の安全の為に屋上は解放されず、屋上に続く扉は鍵が掛けられているはずだった。
しかしその扉は女子生徒が開けるよりも前に鍵は開いていた。
扉の先には2人の女子生徒と、その奥に大きな怪物が佇んでいた。そしてその周囲には意識を失ったように倒れた生徒や教師達がいた。
令嬢は驚いた。しかしそれは屋上に怪物がいるからでは無く、あんな怪物がいても、全く騒ぎにならないこの状況に。
数mもの大きな怪物がいれば騒ぎになってもおかしくないのに、と疑問を浮かべていると、令嬢の隣にいた不可思議な小動物がその疑問の答えを言った。
「魔物は素質がある者、つまり魔法少女にしか見ることができない。その特性を持っているから、僕の世界は奴らに蹂躙された。魔法少女も、社会に混乱を起こさない為に普通の人には見えないけど」
かつての何かを振り返るような様子の不可思議な小動物は、令嬢に目の前を見るようにと言った。
「あと、この街に別の世界と繋がっているゲートがあって、この街を中心に魔物が現れてる」
不可思議な小動物は捕捉するようにそう言った。
その目に写ったのは、令嬢と共に昼食を食べた女子生徒と屋上にいた2人の女子生徒が軽く話し合い、何処からかステッキを取り出して振り上げると、瞬く間に制服が可愛らしい別の服に変わり、ステッキはそれぞれ別の武器に変わっていた。
その姿を見た魔物は、標的を見つけたかのように暴れ狂い、不可思議な小動物が魔法少女呼ぶ存在と戦った。
魔物が弱かったのか、魔法少女が強かったのか、一瞬で戦いは終わった。
3人の魔法少女は瞬く間に学生服を着た女子生徒に戻り、その手にはステッキが握られ、そしていつの間にかステッキは消滅した。
一緒に昼食を食べた女子生徒は令嬢の元に駆け寄り、どうかな?魔法少女になってくれる?と質問した。
他の2人の女子生徒は倒れている生徒と教師に意識はあるのか、脈はあるのかを確認していた。
その光景を見ていた令嬢に、断る理由は無かった。
何故なら、魔法少女と魔物との戦いに魔法少女と言う存在に特別感を感じたから。それと、目の前の女子生徒から感じる明るさに、令嬢は暖かいと感じたから。
倒れている生徒と教師の確認を終えた2人の女子生徒が、目の前の女子生徒の横から令嬢を覗き込んだ。
気さくな声とおっとりとした声。そして明るい声。その3人からは、いつか忘れた優しさを感じ取った。
令嬢は振り返り、後ろにいた不可思議な小動物に目を合わせ、深呼吸をして落ち着く為に胸に手を置き、令嬢は意を決した。
「私は、魔法少女になる」
彼女の心は、もう凍えてはいなかった。
魔物を倒して人々を助け、魔物がいなければ友達として令嬢と共に学校生活を楽しんだ。
魔法少女としての生活は、令嬢が想像していたよりも大切な物になり、毎日が充実して行った。
そんな日々が、楽しき日々が続いていると、空に大きなゲートが現れ、家庭教師が張り付いていたことで駆け付けられなかった令嬢以外の3人の魔法少女がゲートの真下に集合した。
そのゲートはそこにいた魔法少女達を呑み込み、そこには魔物を生み出す元凶と名乗った怪物がいた。
魔法少女達は遅れて駆け付けた令嬢と共に決死の攻防を成し、最終的に勝利を掴んだ。これで、この世界にはもう魔物が現れることは無くなった。魔物の脅威は魔法少女によって取り除かれた。
しかしそれは、彼女に取っての、最悪の結果で幕を閉じた。
ゲートから既に夜となった街へと帰還した。
ただ1人、絶望に打ちひしがれたまま、令嬢は窓から自身の部屋に帰り、もう誰にも理解されることの無い涙を流し枕を濡らした。
翌朝、朝食の前に父から呼び出された。どうしたのかと父のいる部屋に入ると、突然父に頬を叩かれた。
魔法少女として人々に仇をなす魔物を倒す為に頑張っていた。だが、夜に勝手に外に出ていたことがたまたま外に出ていた使用人に見つかり、そのまま父に伝わった。
令嬢の父は魔法少女を知らない。だから、父は娘が夜遊びに出掛けていると判断した。
冷ややかな目で見つめる使用人達に、怒りで加減を忘れた父。
ひび割れたその心は、誰にも気付かれず静かに砕かれた。
その日は父が学校を休ませ、令嬢を反省させる為に無機質な部屋に放り込んだ。余りの怒りか、食事すらも与えずに。
しかし彼女は魔法少女。その気になればこの部屋を抜けて外に出られる。そして令嬢は誰にも気付かれないように静かに屋敷を出た。
絶望のまま、何処か決心した様子で。
令嬢を導いた不可思議な小動物は、魔物を生み出していた元凶を倒す為に、自らを生贄して魔法少女達を守ろうとして、最後には元凶への突破口を切り開いた。
魔法少女の仲間達は元凶の渾身の一撃で既に瀕死となり、魔力で強引に体を動かしたことで限界を迎え、戦場に少し出遅れた彼女を残して3人共々死体すら残さず塵となった。
父から禁止された友達。彼女に取って掛け替えの無い友達であり仲間。
だがもうこの世界には存在しない。
全てが終わった。人々に仇をなす魔物から救う為に魔法少女は存在していた。だが元凶は討ち倒し、魔法少女は彼女を除いてもう誰もいない。存在する意味も、生きる意味も既に無くなった。
だから、だからなのか、月明かりが輝く中、彼女は1人で誰もいない山奥にやって来た。
ここで全力の魔法を放っても、誰にも迷惑は掛からない。
もしその魔法が令嬢自身に降り掛かり死んでも、誰も被害は被らない。
『?足満でれそは方貴』
意を決してステッキを掲げた時、不思議な声が聞こえた。
「だ、誰なの?まさか、魔物……?」
令嬢が周囲を見回し声の主を探していると、突然目の前に現れた。
姿は白いワンピースを着た少女らしき……何か。鼻から上の顔はクレヨンの黒で塗り潰されたように表情が見えず、ただ不気味に、ただ神秘的にそれはいた。
『どれけるなに属眷の私は方貴、りわ代のそ。るれらげあてえ叶をい願の方貴らな私』
「……願いを……叶える?もし、もしそうなら……いや、私なんかが、みんなに会う資格なんて……あと少し早ければ、みんなは……みんなは!…………私はもう疲れた。疲れただけ……」
令嬢は天を仰ぎ、絶望に染まった心のままに、諦め切ったその顔で、涙を流して願いを口にした。
「本当に願いを叶えてくれるなら、私は、絶望なんて知らないような……世界に、絶望を振り撒く怪物になりたい。私だけじゃ無くて、みんな等しく絶望するような、そんな存在に」
満月が明るく照らす中、何事も無く会社に向かい帰った1人の男が、手慣れた様子で扉を開いた。
「あら、お帰りなさい。お父様」
屋敷の扉を開いた男が見たのは、血濡れたその手で豪華な装飾が施されたカップを手に赤い血を啜り、魔法少女と呼べぬ、人とも呼べぬ姿と化した悪魔の如き娘と、その下に積まれた使用人達の死体の山だった。
◆◇◆◇
死臭と硝煙香る瓦礫の山で、一人の女性が上品に、そして優雅にティータイムを楽しんでいた。
「今回もお前らしく周りくどい方法で国を滅ぼしたか。終焉」
何処からともなく現れたその男が、ただそう呟く。
「愚王を演じ、民に僅かな反乱の意思を持たせただけ。平和を、愛する者を、大切な物を自分達の手で壊し、その事に気付いた時にはもう遅い…」
「やはり、終焉のやり方は俺には合わん」
「その時々によるけど、大まかには……そう。その通りね。ふふ」
誰もが羨んだその令嬢は、あらゆる人々を助ける存在だったその者は、全てを捨て、かつての仲間を、かつての記憶を思い返しながら、あらゆる国を、あらゆる世界を絶望と共に終焉に陥れ絶望を与える存在と化した。
誰もが愚かと呼んだその愚行は、彼女の前にはただの滅亡の計略の足掛かりに過ぎない。
「たまには貴方も利用させて貰うわよ?我らが神の為に」