第3章 呪いの怨嗟はとまらない
大きくも小さくも無い教会。
その中で、宗教的な服装に身を包んだ神父の男が、子供達に教えを説いていた。
世界の始まり。全てを生み出した神々。人々の在り方。そして世界に悪をもたらす魔族の存在。
10人程度の子供達が半ば真剣に聞いていると、神父が開いていた分厚い本を閉じ、今日の教えはこれで終わりですと言った。
子供達は開放されたかのように教会の外に出て遊びに出かけた。
小さな村。周囲には深い森。しかし遊び場には困らない。
開拓村と呼ばれるその村の人々は森を切り開き、野獣を狩り、農地を作り、毎日を過ごしていた。
そんな日々が続く時、10人いた子供の中にいた1人の少女が、興味の赴くままたった1人で森の深くに歩んで行った。
深い深い森の中、少女は見た。自身と同じくらいの子供。
「は、初めまして!」
声を掛けた瞬間、その子供は近くの大木の裏に隠れて少女を警戒した。
同じくらいの歳の子供。同じ7歳くらいの少女。違いがあるとすれば、ボロボロな服と、頭に生えた2本の角。
神父が言っていた魔族という存在。
それが目の前にいた。
好奇心旺盛な少女は少しずつ大木の周りを歩き、その魔族の少女を視界に捉える。
その魔族の少女は恐れ隠れるように少女の周る方向と同じ方向に歩く。
少女は突然反対方向に進んで魔族の少女に抱き着いた。
「ひゃっ!」
それに驚いた魔族の少女は短く叫び、同時にお腹からグーっと音が鳴った。
お腹がすいていることを知った少女は抱き着くのを止め、呆気に取られた魔族の少女を残し、何処かに走り去って行った。
然程時間は掛らず少女は戻って来た。
少女の手には果実が2つ握られていて、その1つを魔族の少女に渡した。
未だに呆気に取られ、渡された果実を食べようか迷っているのを見た少女は、大丈夫だと伝える為に持っている果実に齧りついた。
それを見た魔族の少女は恐る恐る果実に齧りつく。
ゆっくり、ゆっくり咀嚼して味を堪能し、空腹を刺激されてその手にある果実を豪快に食べた。
少女も負けじと食べる。
警戒を解いた魔族の少女は、まだ満足いかない様子でお腹を撫でる。察した少女は魔族の少女の手を引っ張り森の中を進んだ。
少し歩いて到着したのは、今さっき食べた果実が実った木。
少し涎が垂れる様子を見た少女は見事な木登りで木を登り、上から果実を取って下にいる魔族の少女に投げつけた。
投げられた果実を受け取ると、まだ満たされない空腹から果実に齧りつき一瞬で平らげた。
その間に大量の果実を抱えた少女が木から降り、一緒に食べた。
それから、少女は魔族の少女に会いに森の深くに行くようになった。
毎日毎日その子供に会い、魔族の少女に木登りを教え、一緒に遊び、ある時は少女の持つ服の1つを上げ渡した。
川で汚れた体を洗い、持って来たくしで髪をとかし、上げ渡した服に着替えさせたその姿に、少女は褒めちぎり、魔族の少女は照れて顔を赤くした。
少女の優しさと明るさに触れ、魔族の少女も次第に心を開き、少女と喋るようになった。
ある時、親はおらず独りぼっちだという身の上を話し、あらゆる人間に迫害されたと吐露した魔族の少女に、少女は一筋の涙を流し抱き着いた。
魔族の少女は、誰にも理解されなかったこの悲しみや辛さを知ってくれる人間がいたことに、今まで秘めていた涙が湧き上がり、満足するまで少女に泣きついた。
それから3年。少女は10歳になった。
何度も何度も魔族の少女と会う内に、少女に取っては無二の親友以上の存在になっていた。
魔族の少女に取っても、少女は誰にも話すことができなかったことを打ち明け、人間の中で唯一自分を理解してくれた存在となっていた。
そんなある日。日差しが傾きまもなく夜に成ろうとした時、1人の狩人が村に戻った。
村人達は狩人を見て驚いた。狩人の腕には、小綺麗な服を着た魔族が縄に縛られていたから。
猿轡を着けられ声を上げることができない様子で、魔族は狩人の腕から逃れようともがくが、できずに狩人に腹を殴られ魔族は涙を流し大人しくなった。
少女は目を疑った。狩人に捕まっていたのは、他でもない、魔族の少女だったから。
少女が誰にも知らせず森の深くでただ1人魔族の少女と会っていたのは、教会では魔族は忌避すべき存在であるとされているから。魔族の少女に取って、大人や子供達に知られたら良くないことが起きると察していたから。
だから、少女に取って恐れていたことが起きた。
狩人は魔族の少女をどうするのか、その騒ぎに教会から出て来た神父に判断を仰いだ。
神父は言った。魔族は火炙りにしようと。その時見せた曇り1つ無い神父の笑顔は、少女に取って死神のように見えた。
当然少女は反発し狩人から魔族の少女を救い出そうと動くが、直前に周囲の大人達に止められ、どんなにもがこうとも、大人の力には敵わず地に伏された。
魔族の少女は痛みと涙を堪え、少女だけに見えるように痛々しい笑顔を見せた。もう、私なんか気にしなくて良いよ、と言っているかのように。
その光景を見た神父が言った。その子は魔族に操られている。だから魔族の処刑が終わるまで何もない小屋に閉じ込めようと。
少女は大人達に連れられ、子供達に裏切者を見るような目で見つめられ。両親には絶対助けるからと抱きしめられた。
少女は自分は正気だと訴えた。しかし誰も信じて貰えず、中に何も無い空っぽの木で造られた小屋に強引に入れられ、扉は親に閉じられ開けられないように棒で封じられた。
日は沈み、完全に夜になった。少女は訴えた。その子はみんなが思うような悪い子じゃないと。しかし誰にも聞き入れ無かった。少女は小屋の外に出ようと扉を叩いた。唯一外の光景が見える高い位置にある木製の格子に手を伸ばした。しかし全て徒労に終わった。
外から火が燃える音がした。少女が恐れていた時が来た。
そして、何かが一瞬で燃え上がる音と大きな火の灯りが格子越しに見えた。同時に魔族の少女の……彼女の叫びが聞こえた。
少女は壁や扉を全力で叩き、どうにか外に出ようと、彼女を助けようとした。
爪が割れ、指に壁の木片が突き刺さる。涙を流しどんなに声を上げても、それは誰にも届かない。
彼女の叫びは時が進むほどに弱々しくなり、少女は自身の指が折れようと、どんなに怪我を負おうと木の壁を叩き引っ掻き、諦めなかった。
弱々しい彼女の叫びは時折り大きくなり、そして小さくなる。少女は聞こえて来る大人達の声を、魔族には串刺しでも足りないと言う言葉を、ただの嘘だと強引に思い込む。
だが彼女の叫びは終わらない。頭の中で反響する大人達の言葉を忘れようと、今度は頭を壁に叩き付ける。
彼女の叫びが聞こえる中、痛みで意識を失うことはできず、既に限界となった体は動けずその場に倒れ、助けられ無かった自身を恨み、流していたその涙は、いつの間にか枯れていた。
彼女の叫びが聞こえなくなり、火の灯りは消え、大人達は何事も無かったかのように家に帰り、少女は夜の寒さに凍え、熱が引いて行くその感覚に、ただ1人死を悟った。
彼女を助けられ無かった自身を憎悪し、彼女を殺した大人達を憎悪し、こんな世界を創った神を憎悪し、しかし過ぎた時間はどうしようも無く、死を悟った少女は、彼女の後を追うようにただ世界に身を任せた。
『?るてし足満に界世なんこは方貴』
少女はその不思議な声に、血を流す顔を、痛みを無視して体を上げた。
「……だれ?」
そこには、小屋に月明かりが差し込む場所に、白いワンピースを着た少女らしき何かがいた。
鼻から上の顔は黒で塗り潰されたように表情が見えず、ただ不気味に、ただ神秘的にそれはいた。
『どれけるなに属眷の私は方貴、りわ代のそ。るれらげあてえ叶をい願の方貴らな私』
「欲しい……力が、欲しい……私はどうなってもいい……だから、人間なんて、みんなみんな死ねばいい!」
朝日が昇る。ここには小さな村があった。
大人達は全て形を留めず怯え恐怖で引きつった顔で死に、子供達はたった1つの肉の塊と化し、その中でも神父は言葉に表せないほどの残虐な姿で、黒い呪いのような炎に包まれていた。
少女は1人、打ち捨てられた彼女の焼死体を抱きしめ、漆黒に染まった涙を流す。
「ごめんね……絶対に、もうこんな目には遭わせない。ずっと、ずっと……一緒になろう?」
ただ1人、その光景を見て逃げ延びた旅人が言う。そこには悪魔がいたと。
◆◇◆◇
かつての記憶を思い返す少女がいた。そしてその少女の肩を揺らす女性がいた。
「憎悪!貴女は突っ走りすぎ!まーた計画がおじゃんになったわよ!」
その言葉に、少女はただ疑問を浮かべた顔をした。
「だ、か、ら!憎悪が気紛れに消し飛ばした街は、私達にとって重要な活動拠点になるはずだったの!全部憎悪の為に色々と根回ししたのに……」
その場に膝を突いたその者に、少女は応える。
「大丈夫。全部終わらせれば、何も残らないから」
「……はぁ、もういいわ。勝手にして。ほどなく……来た、この国の軍隊。私は見学するからもう勝手にして」
かつての友の記憶に身を包み、暴れ狂う絶望と憎しみに心を堕とし、それは、ただ人の悪意に憎悪を持つ悪魔と化した。
「……全てはあの子のために……そして、我らが神の為に」