逃走
困った困った。ダンジョン対応ビデオカメラを抱えて酒場に戻ると、店員さんは鬼も裸足で抜け出す憤怒の表情でカウンターの奥に消えた。ぴっちりと閉められた壁を貫通して怒声が聞こえるので彼女は激おこらしい。実際怖い。
そんな中に放置された俺はというと、ダンジョン前にいた腰に短槍を佩いた武装職員さんが一名だけ背後に待機している状態でコーヒーをいただいている。見事に監視されているぜ。モテる男はつらいわ。
「お兄さんはコーヒー飲まないんですか?」
「職務中ですので」
お堅いわね。出世できないよ?
「ちょっと聞いてもいい? これから俺はどうなると思う?」
「それほど稀有なアーティファクトの製造ができるとなると政府による保護が行われるでしょう」
「保護?」
「四六時中護衛が付き、ビデオカメラの製造を依頼されると思われます」
奴隷宣言じゃん! 嫌だよ! 俺まだ二十五歳なのに監禁されるなんて!
くそ、不味いな。今逃げないと逃げ時がなくなる。考えろ考えろ……。
……トイレ、そうトイレだ。ダンジョンが発生してから三沢ビルは人がいなくなったが、コストカットの面でトイレは以前のものを使用しているはず。おそらく窓もあるはずだ!
「すみませんがトイレにちょっと……」
武装職員さんはコクリと頷いて「こちらです」と先導し始めた。
後ろから襲えば楽にアドバンテージ取れるだろうけど絶対負けるしなぁ。悩んでいるとトイレに到着した。よし、個室タイプのトイレだ。ちょっと失礼しますねと言って中に入り鍵をかける。
想定通りに窓がある、小窓だが何とか通れそうだ。ビデオカメラを置いてきたのは財布的にも痛いがそんなことを気にしていられるほどアホじゃない。生きるか死ぬかの瀬戸際みたいなもんだしね。
身体の半分を無理やり外に通したところで個室内にノックが響く。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です、下痢気味でもうちょっとかかりそうですわ。緊張するといつもこうでね、ハハハ!」
数瞬の沈黙の後、わかりましたと職員さんが一歩離れた音がする。すまない、君は多分俺を逃がしたことで減給になる。運命だったと諦めてくれ。
ズリズリと窓に安物の服がこすれる音を聞きながら、ついに外に身体が全て出た。一階なので着地も完璧だ。なりふり構わず家に向かって走り出す。幸いにしてここから七分ぐらいの距離だ、急いで帰宅して別の場所へ逃げなくては。
まったく、危うく無知で死ぬところだった、もう少し考えて行動しよう……。
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帰宅して必要なものを集める。タブレットPC、スマートフォン、例の日記帳。財布は持ってたから通帳と印鑑。いや使えなくされるだろうからキャッシュカードで現ナマ全部引き出してしまおう。着替えとかは嵩張るから新しく買うとして……。そう考えると必要なものってないな。パソコンもスマホも位置情報探られるかもしれないから逆においていったほうがいいかもしれない。
決めた。ジェラルミンケースに日記帳とフリーザーバッグに移し替えて二重梱包した魔溶液を入れる。持っていく物は財布とこれだけだ。急いで現金を引き出して逃げよう。
玄関の外に出ると警察官が二人組でウロウロしていた。片方はスマートフォンを見ながら、もう片方は周囲をきょろきょろしている。明らかにマンハントのタッグじゃん。部屋に戻り、白いマスクを装着して外に出る。大丈夫だ、堂々としていればバレないもんだ。
アパート二階の俺の部屋から階段を降りて道路に出る。警察官二人組と目が合ったので会釈する。それが不味かったのか笑顔で話しかけられた。
「すみません。黒髪で百八十センチほどの男性を探しているんですけど……」
なんじゃその捜索範囲は。
「へっ? そんな人いくらでもいるでしょう? 私だってそうですし」
「ですよねぇ……。突然通知されたので我々にもなにがなんだか」
「上はいつだって滅茶苦茶言いますからねぇ。お疲れさまです、もう行っても? 銀行が閉まってしまいますので」
「これは失礼しました。ご協力感謝します」
見事な敬礼をしてくれた警察官の方に笑顔で手を振ると、小走りで最寄りの銀行に向かう。貯金の百十二万と小銭を全て引き出して封筒に突っ込んでジェラルミンケースに入れる。あとは逃げるだけ!
逃走先はもう決めてある。東京の中でもダンジョンで荒れに荒れた地、旧巣鴨商店街。今の名前を『巣鴨ブラックマーケット』だ。