第九話 ドローン
ドローンの操縦席には、プレステのコントローラーがセットされている。
エクーが改造をはじめた時に、タッチパネルとどちらが良いかと聞かれて、私は迷わずプレステを選んだ。指に馴染んだ感触を、今は両手で操作する。
左スティックで上昇・下降、右スティックで左右旋回。○ボタンでライト点灯、△ボタンで消灯。□ボタンで加速、×ボタンで座席ごと離脱。
他にも色々あった気がするけれど、今はそれだけわかれば充分だ。
まずは離陸から。ヨシ、女は度胸!
機体の四隅で、薄くて繊細なプロペラが勢いよく回りはじめた。プロペラの送る風に煽られて、操縦席から身体が浮いてしまいそうになる。
急いでシートベルトを締めて、左スティックを慎重に倒す。遊園地の海賊船のように、ブンブンと左右に振られるけれど、歯を食いしばって耐える。
こんなことでひるんでいたら、到底クロマルまで届かない。
左右のスティックを操作して、何とか機体を安定させる。スティックの操作は引きこもっていた時期に、指が攣るほど練習した。
左右に旋回、ホバリング、上昇・下降……加速!
操作性がバツグンに良い。私の手が覚えている微妙な操作感を、エクーは確実にドローンに反映させてくれた。
これならイケる!
ライトをカチカチと操作して、点灯・消灯を繰り返す。クロマルの注意を、シュウくんから逸らさないと。
「落ち着いて! クロマル、こっちを見て!」
プロペラの音が思ったより大きい。これでは、私の声はクロマルに聞こえていないかも知れない。
「クロマル、クロマルー!」
シュウくんを追おうとしていたクロマルの周囲を旋回しながら、大声で呼ぶ。
ずっと、息を潜めて暮らして来たから、こんな大きな声を出したのは本当に久しぶりだ。
「こっちを見て! あんな歌を聞いてはダメ!」
クロマルの眼がライトを反射して、冷たく光る。
まるで作り物みたいに、感情の消えた緑色の眼。クロマル……私だよ、カナリだよ。私の……私の声を聞いて!
蛇行と旋回を繰り返して、少しずつ距離を詰めてみよう。
クロマルが宙を蹴って走る。
頭を低くして獲物を追う、サバンナの肉食獣みたいだ。しなやかな筋肉、柔らかい関節、足元に広がる光の波紋。あっという間に回り込まれて追い詰められた。
クロマルは強い。強く立派な獣になった。
重力を乗せて急降下しながらの体当たりは、シュウくんを三メートル近くも吹き飛ばした。きっと華奢なドローンなんて、ひとたまりもない。
大きくなったなぁ。あんなに小さくて頼りない生き物だったのに。私の耳たぶを母親の乳首と間違えて、ちゅくちゅく吸い付いていたくせに。
ふふふ、本当に……。もうすぐ一人前なんだなぁ。
あの鋭い爪で引き裂かれることが、ひどく甘美にすら思えてくる。
いかんいかん。息子の成人式を見守る、母の気持ちになっている場合ではない。
今のクロマルに獲物と認識されているのは、紛れもなく私だ。
一度目はギリギリで避けた。風圧だけで、機体がガタガタと揺れた。
二度目は、軽く掠めただけなのに、右側のプロペラがひとつ、弾けて飛んだ。
三度目は……きっともう躱せない。
バランスが滅茶苦茶になってしまったドローンをなんとか立て直して、クロマルの正面に回る。
顔に向かってライトを当てて、ギリギリまで近寄ってから、左スティックを力いっぱい引き寄せる。
「ク、ロ、マ、ルーーー!」
急上昇による加圧で、押し潰されそうになりながら叫ぶ。加速ボタン、ベタ押しだ!
ついて来い!!
クロマルを引き連れて、高く、高く舞い上がる。街の灯りが遠くなって、風の音が耳元で唸るように鳴った。
残っていた右のプロペラが、ガタガタと悲鳴をあげる。大きな月を追いかけて、さらに上へ。
どこまで昇っても、見上げるほどに遠い……遠い月。
「クロマル、ほらお月さま。キレイだよ! クロマルは、あそこで生まれたんだよ。いつか、一緒に行こうよ!」
一緒に行こう。もっともっと、遠いところまで。一緒に行こう! 空の彼方、星の海へ!
気がつくと私は、歌を口ずさんでいた。
何の力も持っていない歌。
エクーの歌のように、ガルーラを落ち着かせる効果も、ラティス歌のように、クロマルを狂わせる力もない。
毎晩せがんで歌ってもらった、母さんの子守唄。父さんとお風呂で歌った数え歌。友だちと歌ったヒーローの歌。
何度も何度も繰り返し聞いた、大好きなアーティストの歌。
みんなみんな、ただの歌だ。
地球人の歌に、カルマイナ人のような不思議な力なんてない。けれど心に届く。沁み渡るように響く。だから歌う。存在力と同じだ。届けたくて、想いを込める。
歌え、祈るように。
歌え、叫ぶように。
クロマル、戻って来い。
戻って来い!!!