第六話 観音山
▽カナリ
「カナリさん、ここから少し揺れるから、落ちないように気をつけてね」
観音山の中腹まで通っている道は九十九折の登り坂だ。シュウくんは、ロープウェイ乗り場まで自転車で行くつもりなの?!
「こんな坂道、自転車じゃ無理だよ!」
「大丈夫、友だちと何度も登っているから。急がないと、ロープウェイの最終便に間に合わない」
シュウくんが、私をリュックのポケットに移動させて、テキパキと着替えはじめた。校章と『坂ノ上』の縫い取りがある、短パンとTシャツ。学校の体育服らしい。
水色のタオルを出して、バンダナのように額に巻く。ペットボトルのスポーツドリンクを口に含んで、軽く手足のストレッチ。
まるで決められていた動作みたいに、流れるようにこなして、ふわりと自転車にまたがる。
「……ッッシ!」
大きく深呼吸してから、呻くように口にして、ペダルを踏みはじめる。『ヨシ!』かな? 私も背中のリュックのポケットで、思わずこぶしを握ってしまった。
腰をサドルから浮かせて、左右に身体を振り、体重をかけながらペダルを踏む。呼吸といい、吹き出す汗といい、平らな道を走っていた時よりも明らかにキツそうだ。
それでもスピードは落ちない。落とさない。なだらかに続く坂道を、リズミカルに危なげなく登ってゆく。
シュウくんの心も身体も……なんて健やかで強いんだろう。真っ直ぐに伸びやかに、天を目指して育つ若木のようだ。私はその成長を、こんなにも近くで見ているのだ。
それはとても贅沢で、なんだか光栄なことだと思った。
▽シュウ
『観音山ロープウェイ、最終便が出発致します。ご利用の方は発着所までお急ぎ下さい』
アナウンスを聞いて、急いで自転車を停める。あっ! 僕お金持ってないや!
「乗ります! 中学生一枚!」
息を整えながら発券所のおじさんに、カナリさんから受け取った、小さく小さく折った千円札を広げながら渡す。
ちぇっ、早く大人になりたいな。三百六十円ですら、好きな女の人に払ってもらうなんて……。中学生って切ない。
「なんだボウズ、久しぶりだな。上行ったら三十分で戻って来いよ。折り返しも最終便だ」
「うん、ありがとうおじさん。でも今日は歩いて降りるから、戻らなくても心配しないで」
三十分で、全部片づけるのはきっと無理だ。
『山道通って帰れよ』という、おじさんの声に手を振って応えながら、誰もいない客車内に急いで乗り込む。
さすがに足がガクガクだ。座席に倒れるように腰を下ろして、軽く手足の筋を伸ばす。
「カナリさん、誰もいないから、出て来ても大丈夫だよ」
座席に置いたリュックに向かって声をかけると、カナリさんがぴょっこりと顔を出して、そのあともぞもぞと這い出してきた。
かわいいなぁ。大きい時も可愛かったけれど、このサイズになってからのカナリさんは、握りつぶして頬ずりしたいほどかわいい。
カナリさんと打ち合わせとか、した方がいいのかな。でもちょっと疲れた。すごく眠い。少しだけでも眠りたい。
「カナリさん、ちょっと眠い。僕、少し寝るから……着いたら起こして」
目を閉じたら、あっという間に意識が遠ざかった。
ロープウェイが山頂に着くまで十五分。少しでも体力を回復させたい。
▽カナリ
シュウくんは目を閉じると、あっという間に寝てしまった。気絶したんじゃないかと、心配になるほどの早さだ。
背中によじ登って、額のタオルを外し、顔や首の汗をゴシゴシと拭う。
無理させちゃったなぁ……。
ガラス張りの客車内に、西陽が差し込む。オレンジ色に染まったシュウくんの寝顔は、いつもより少し幼く見えた。
お肌つるつるだよ! さすが中学生!!
少し冷えてきたので、シュウくんのリュックからジャージを引っ張り出す。綱引きのように手繰り寄せて、やっと出てきたと思ったらズボンだった。
上着だよ、上着! 汗かいて風邪ひいちゃうから、身体に上着をかけようと思ったの!
気を取り直して、リュックに首を突っ込んだら、勢い余ってボスンとリュックの中に落ちてしまった。這い上がって、ジャージの上着を取り出す。
うんしょうんしょと引っ張り出して、肩に袖を担いで背中を登る。なんなんだ、この重労働は!
ようやくシュウくんの肩に、上着をかける事に成功した時、ポロンポロンと鳴る音楽が、山頂への到着を告げた。