第一話 ラティス
その日、エクーは朝早くから、昨日届いたばかりのドローンの改造に精を出していた。
「操縦席をつけて、乗り込めるようにしたんだ。たまにはガルーラ以外に乗って、空を飛ぶのもいいだろう?」
うん、すごく楽しそうだけど……今日はカルマイナ(エクーの星の名前)から、第三弾の調査隊が到着する日ですよ! 月の拠点に行かなくて平気なの?
マスター候補生が何人か来て、カルマイナ人と、地球産ガルーラの契約を試してみる。そんな予定だったはずだ。シラタマとエクーの実績があるので、カルマイナでも大きな関心ごとであるらしい。
「今日か! すっかり忘れていた。いかん、急がないと間に合わなくなる!」
私はエクーの助手兼弟子なので、師匠のスケジュールは、一応把握している。
「妹が来るんだ。人見知りが激しいせいか、友だちが出来なくてな。カナリやシュウが仲良くしてくれると助かる」
そういえば以前、妹がいると聞いた気がする。マスター候補生という事は、大きい人なのかな? エクーの星の大きい人とは、まだ会った事がない。
月の拠点にも行ってみたい気はするんだけど、宇宙に出るのはクロマルと一緒と心に決めている。
「そのドローン一応完成したが、まだ使うなよ。帰って来たら試験飛行をしよう」
エクーは地球産のおもちゃが大好きだ。嬉々として改造している。シュウくんのお古のラジコンジープや合体メカ、私の3DS。私が清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったロボット掃除機まで改造してしまった。
たいていは小さい私たちにとって使い勝手が良くなるけれど、そのたびにテレビのリモコンや、パソコンの部品がなくなるのは勘弁して欲しい。
ドローンは私名義で勝手に注文してしまったので、説教したばかりだ。一ヶ月の食器洗い当番の刑に処してやった。
エクーは私の書いたレポートや、地球の食べ物や植物のサンプルを持って、シラタマと慌ただしく月のへと出かけて行った。
妹さんかぁ。確か名前はラティス。仲良く出来ると良いな!
私は一人っ子なので、可愛い妹にはとても憧れる。一緒にお菓子とか作りたい。
ベランダから二人を見送った後、私はいつも通りトレーニングをしたり、クロマルとお昼寝したり、注文の革細工を仕上げたりして過ごした。
近所の公園から、夕焼け小焼けのメロディが流れて来る。
そろそろ晩ごはんの支度を始めようかなと、顔を上げたその時。玄関のドアを叩く音がした。ためらいがちに、何度も、何度も。
チャイムを鳴らさずに、ドアを叩くなんて、一体何事だろう?
クロマルに乗って玄関まで飛び、ドアスコープを覗く。
魚眼レンズの向こう側に見えたのは、変わった服を着た赤い髪の見知らぬ少女だった。
えっ? コスプレの人?!
一瞬、そうも考えたけれど、よく見ればその女の子は、目元や額の感じがエクーに似ている。眉毛もないし、きっとエクーの妹だ!
お兄さんに会いに来たのかな? 月の拠点ですれ違っちゃったのかも知れない。
急いで二階まで翻訳うちわを取りに行ってから、妹さんを玄関へ迎え入れる。身長十四センチ弱の私には、玄関のドアを開く事は出来ない。説明して自分で開けてもらった。
キッチンのソファに案内してから、ミルクで練った甘さ控えめのココアを作る。女の子のお客さんなんて、久しぶりだから嬉しい!
小さな宝石みたいなコンペイトウをいくつか添えて、小振りのカップをうんしょうんしょと運ぶ。私にとっては業務用のズンドウくらいの大きさだ。
「ラティス、甘いものは好き? これは地球の飲み物でココアっていうの。エクーも大好きな飲み物だから、カルマイナの人が飲んでも大丈夫だよ」
うんうん! 意思の強そうな切れ長の目が、エクーにそっくり!シュウくんより少し歳上くらいだけど、頰には幼さの名残りがある。可愛いなぁ!
ところがラティスは、そのまま一言も口を開かなかった。訪ねてきた理由も教えてくれないし、ココアにも手を付けない。
『エクーは月の拠点へ、あなたを迎えに行きましたよ』と伝えてもどこかうわの空で、キョロキョロとあたりを見回している。
そして、私を見る目には、そこはかとない敵意のようなものが感じられる。
コレはもしやブラコンというヤツで、エクーと私の仲を、誤解していらっしゃる?
『お兄ちゃんを取らないで!』とか言われちゃう?!
ドキドキしながら身構えていたら、クロマルを見つけた彼女は小さく『ユエ』と呟いた。
「うん、ユエさんの子供でクロマルって名前なの。私のガルーラだよ。よろしくね!」
私の言葉を聞いた途端。ラティスから、ギリギリという引き絞るような音が聞こえた。
えっ、何? もしかして歯ぎしり?! 凄い音してるよ!
涙目で私を睨んだと思ったら、ガタンとテーブルを揺らして立ち上がる。
「ユエの子供は、そんな名前じゃない。“ハザール・ラザール・アルジャス”。カルマイナの英雄の名前。八年前から決めていた」
す、すごいカッコイイ名前だね! で、でも私も、三日三晩考えたんだよ? クロマル、可愛い名前だよ!
「ユエに子供が生まれたら、私がマスターになる約束だった」
あ、そ、そうなんだ。ご、ごめんなさい!!
「小さい頃から、ずっと……。そのために修行して来たの」
ラティスの目から、大粒の涙がポタポタと落ちる。
「ユエが死んだなんて……信じられない。あんなに強くて、賢くて、優しかったのに」
噛みしめた唇から血が滲む。なんて烈しい子だろう。なんて……強い想いだろう。
「私から、ユエの子供を取り上げたくせに、存在力が足りない? 宇宙に出る力を、あげられもしない?」
私を睨む目に、仄暗い焰が灯る。
「そんなの許さない……。私なら、ちゃんとやってみせる。宇宙を自由に駆ける存在力を、いくらでもあげられる!」
クロマルが、迫力に押されてあとずさる。私も鋭い言葉が刺さって、何も言えなくなる。
「あなたが歌えない、ガルーラのための歌だって、誰よりも上手く歌える!」
『ガルーラのための歌』。
マスターが歌う、ガルーラに働きかける歌のことだ。カルマイナの人が歌う不思議な歌は、ガルーラを落ち着かせたり、危険にそなえるよう促す不思議な力を持っている。
私も一生懸命練習しているけれど、いくら正確に歌っても、クロマルに作用する歌は歌えないままだ。私の歌はただの歌で、なんの力もない。
ラティスがゆらりと顔を上げる。
キッチンの窓から、夕焼け前の少し冷たくなった風が吹き込む。ラティスの腰までの長い髪が、さわさわと生き物のように揺れる。
表情の消えたうつろな目が、迷いを捨てるように、一度閉じてまたゆっくりと開いた。
そして、ラティスは『歌ってはいけない唄』を歌いはじめた。
「!!!」
ダメ! ラティス! それはダメだよ! クロマルに、そんな歌を聞かせるのは止めて!
それは、ガルーラの意思を奪う歌。
ガルーラが正気を失ってしまった場合や、命に関わる事故が発生した場合にだけ歌われる禁忌の歌。その歌を聞いたガルーラは……。
マスターとの絆が、断ち切られる。