第五話 寝ても醒めても
シュウくん視点。
僕は隣のお姉さんのことを、そんなにたくさんは知らない。そもそも、名前すら知らない。お姉さんの部屋には、表札が出ていないからだ。
僕が知っているのは、大学生らしいこと、一人暮らしだということ、歌がけっこう上手だということ。
ときどき窓を開けたまま、割と大きな声で歌っている。かなり不用心な人だ。
僕の住んでいるマンションは、そんなに壁が薄い方ではないけれど、隣に住んでいたら、わかってしまうこともある。
お姉さんは子猫を飼っている。時々にゃーんという鳴き声が聞こえる。お母さんは猫好きなので「見せてもらいに行きたい!」と言っていた。もちろん僕も行ってみたい。
僕は一度だけ、お姉さんの子猫を見たことがある。飼いはじめたばかりの頃、迷惑をかけるかも知れないと、わざわざ挨拶に来てくれた。
うちの玄関に、お姉さんが立っているなんて初めてだったから、僕はなんだかとてもドキドキした。
でもお姉さんは、ふわふわの子猫を手のひらに乗せてデレデレしていたので、ただ子猫を見せびらかしたかっただけかも知れない。
真っ黒い鼻をちょんと触ったら、子猫はみゃーと挨拶みたいに鳴いた。
お姉さんの背が小さくなっていることは、お母さんにも言っていない。お姉さんの秘密は僕だけが知っている。
そんなところで独占欲みたいなモノを発揮する僕は、自分でもちょっとキモイなと思う。
ある日、僕が部活から帰って来たら、お姉さんが出かけるところだった。
自転車から降りずに頭を下げたら、ボーっとしたまま通り過ぎて行く。
僕は心配になって急いで自転車を置いて、お姉さんの後をついて行くことにした。
こういうのを、ストーカー行為というのかなと思ったけど、あんなにボーっとした人を一人で歩かせてはいけない気がした。
お姉さんに気づかれないように、少し距離を置いてついて行く。
こっそり人のあとを尾行るのは、思っていたよりもずっとスリルがあった。
電車の中でお姉さんはたくさん空いている席には座らずに、ドアのところに立って外を見ていた。
いつもへにょっと笑っているお姉さんが、のっぺりとした無表情でボーっと立っている。
事態は僕が思っているより、ずっと深刻なのかも知れない。僕は心臓がザワザワするのを感じた。
電車から降りると、お姉さんは大きな病院に入って行った。僕が知らない何かの病気なんだろうか? 僕の心配事は、またひとつ増えてしまった。
お姉さんはそのあとも、顔を合わせるごとに少しずつ、どんどん小さくなってゆく。
僕はお姉さんのことが、頭から離れない。
これが、恋というものだろうか?
それとも僕は、単にお姉さんの秘密が知りたいだけだろうか。