第六話 ベランダ事件 カナリ
「武器を捨ててお姉さんから離れろ!」
シュウくんは小さな私のことを、ナナちゃんではなく『お姉さん』と呼んだ。
ああ、この子はやっぱり知っているんだ。
隣の部屋の住人、佐伯カナリと姪っ子の小さなナナちゃんが同一人物だと知っている。
なぜ、知らないふりをしていたのだろう。なぜ、騙されてくれていたのだろう。
消えてしまいたいと思った。
クロマルと一緒に生きてゆこうと決めた。エクーの姿を見て、嫌悪感など湧くはずもない。むしろクロマルに乗るエクーが羨ましくて、早くエクーサイズになってしまいたいとさえ思っている。
けれどシュウくんが、ベランダの柵を乗り越えて顔を出した時、頭を抱えてうずくまった。隠れる場所を探した。
咄嗟に頭に浮かんだのは『見ないで!』という想いだった。
両親に相談出来ないのも、友達に会いに行けないのも、メガネ先生の診察から逃げてしまったのも――。
世間一般の『普通』から、はみ出してしまった自分を見られたくないのだ。
人間はどうしてこうも、人と違ってしまうことに恐怖するのだろう。
『変な人』と言われて喜んだり、個性的だと称される事を望む人がいる。でもその人たちは、決して私のようになりたいとは思っていない。
その人たちが望んでいるのは、人間という群れの中で特化することだ。ほんの少しの個性を手に入れて、自分だけの特別な役割が欲しいだけだ。
有名な小魚の絵本の中で、群の目の役割を得た小魚のように。
はぐれ狼をカッコイイなどと言う人は、自分がはぐれることは想定していない。はぐれていないことを知っている。
人は隣にいるのは自分とそう変わらない存在だと確認して、ようやく安心する。動物や他の生物、果ては柱の模様まで擬人化して、自分と似た存在だと思いたがる。
怖がりで、寂しがり屋で、共感され受け入れられることを何よりも望む。そのくせ、自分は特別だと思いたい。
それが群れて生きる動物の本能なのだろう。大きな塊になり、それを強みとして生き残って来た記憶なのだろう。
はぐれ狼はただ一匹で野をさまよい、私はクロマルと部屋に閉じこもった。自分が異質だと自覚した側の選択肢など、そう多くはない。
嫌だ……。イヤダイヤダイヤダ!
私を見ないで!
私に関わり合いにならないで!
もう私はあなたたちの側には戻れない。戻らない!
こんな普通じゃなくなってしまった私を、見ないで!
『この場から逃げ出したい』
たぶんそう思っていた。そんな私の心の叫びがクロマルに届いた。――届いてしまった。
クロマルはひと声シャーと威嚇の声をあげてから、私の下に潜り込んできた。
「ク、クロマル?」
私を背中に背負いふわりと浮かび上がると、ベランダの手すりを越えて外に飛び出した。この場から連れ出してくれようとしたのだろう。
けれど私はまだ、クロマルに乗って翔ぶには大き過ぎる。
クロマルはユラユラとマンションの中庭を漂い、フラフラと失速して……。
落ちた。
シュウくんが何か叫んでいる。そんな大きな声を出したら、人が集まってきてしまう。
マンションの植木の上に、バキバキとクロマルにしがみついて落ちる。
「救急車は、呼ばないで欲しいなぁ」
私は遠ざかる意識の中で、そんなことを考えていた。