第一話 エクー
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
翻訳うちわが、二つの星の朝の生活習慣をすり合わせて、瞬時に互いの挨拶として変換・再生する。
なんて高性能なんだろう。これが世に出たら、それだけで時代が変わる。
「このドライフードは、この星の猫用なのだろう? 総合栄養食品として優れているな。ガルーラの幼体にも適している」
クロマルが朝からカリカリと齧っている、獣医さんオススメのドライフード。先輩マスターに、お墨付きを頂いた。
でもですね? クロマルは私のお手製団子の方が好きなんですよ! レバー入り、軟骨入り、魚肉のツミレもありますよ!
「あ、ああ。もちろん、それで問題ない。ガルーラは愛情をもって育てるのが一番だ」
私のクロマル依存の象徴のような、手の込んだ毎日の食事。重過ぎる私の愛に、若干エクーが引いている。
「ただ、味付けはしない方がいいな」
クマムシ並みに宇宙空間にすら適応するガルーラにも、生活習慣病があるのだろうか? なかなか興味深い。
「猫という動物は、本当にガルーラによく似ているな。見た目もそうだが、基本的な骨格や筋肉の形状、体毛の色や生え方。鳴き声や動作まで、とても良く似ている」
カルマイナには、猫科の動物は生息していないのだとエクーが言う。
牙のペンダントから立体ホログラムが浮かび上がる。地球のご近所猫の映像だ。いつのまに撮影したのだろう。
「ええ。だから私も、クロマルは普通の猫だと思っていました」
まさか宇宙怪獣だとは、思ってもみませんでしたよ。
「爪や牙、瞳は多少違うな。宇宙に出る時は、体毛も変わるぞ」
ホログラムがクロマルのお母さんの、宇宙空間での雄姿に切り替わる。体毛が伸びてゆらゆらと立ち上がり、全身が淡くオレンジ色の光を帯びている。
爪先にすそ引く光の渦をまとい、その光を足がかりにするように暗闇を駆ける。光雲を足元にまとい、空を駈ける妖怪の絵姿に少し似ている。
うわー、きれい! カッコイイ! ほら、クロマル、あんたのお母さんすごいよ!
そういえば以前、クロマルの背中に乗って草原を駆ける夢を見た。
あの時私はクロマルを『猫じゃなくて、物語の中の不思議な生き物みたい!』と思っていた。
実際ガルーラは、私にとって理解不能な超不思議生物だ。というか、そもそも『存在力』がよくわからない。
「我らの星の宇宙船は、ガルーラの重力を操る原理を基にして作られていてな。他の星の奴らはガルーラを怪物扱いするが、我らの星ではとても愛されている」
指定災害獣の中でも、ガルーラはかなり特殊な扱いを受けているらしい。
討伐や捕獲が禁止されていて、繁殖地は保護区に類する。つまりそれは、エクーの星以外でも『ガルーラは有益な生き物だ』と、認められていることを示している。
ただし、非常に危険であるという注釈が付く。
現状エクーの一族以外の者が、ガルーラのマスターとなった前例はない。なぜか、幼ガルーラが選んでくれないらしい。
クロマルがマスターと認めた私は、微妙な立ち位置にいるような気がする。ガルーラの恩恵を独占しているエクーの一族。それを脅かす異星人の存在。
あらやだ、ちょっと怖い想像をしちゃう。利権を守るためにスパッと消されちゃったりして。
「カナリ、昨夜のことは覚えているか?」
「ひゃい! 大丈夫れす! 忘れてない!」
やましいことを考えていたら、変な返事をしてしまった。翻訳うちわさん、そのへんは訳さないで頂けません?
「そうか、良かったな! 正式に近い契約の儀式が、自覚を促したのかも知れんな!」
エクーがしきりに、良かった良かったと繰り返す。
ああ、私この人好きだな! 本当に私とクロマルのために、宇宙を越えて来てくれんだ。
陰謀なんて、少なくともエクーには縁がないだろう。そのつもりがあるなら、私の前に姿を見せずに消してしまえば良かったのだ。そうしてクロマルを連れて、自分の星へ帰れば良い。
だがエクーは、初めて言葉を交わした時。
『遅くなってすまなかった』
そう言ったのだ。
価値観や常識が、食い違うことがあるかも知れない。倫理観や表現方法で、理解できないことがあるかも知れない。
けれどこの目の前の小さな人には、誠実であることを隠そうとしない強さがある。そしてどう見ても、お人好しと呼ばれる類いの人だ。
この人を信じよう。そして初めて逢ったエクーを、ちゃっかりと背中に乗せて帰って来たクロマルを信じよう。
「エクー! いいえ、師匠! 改めて、クロマルと私をよろしくお願いします! なんとかクロマルを大人にしてあげたい。あと、私も一人前のガルーラ乗りを目指したいです!」
エクーは姿勢を正して頭を下げた私に、少し驚いた顔をした。
そしてその後『よし! 諦めずに最良を目指すぞ!』と言って笑った。
その笑顔が意外に屈託なく見えて、あれ? もしかしてエクーは、けっこう若いのかしらと思った。立ち振る舞いや言葉づかいから、すっかりおじさまだと思い込んでいた。
だって小さくて、良く見えないんだもの。