第十三話 骸の下の幼獣
青年は鳥を狩ることを生業としていた。その日も朝から山に入り鳥を追った。体力もあり身も軽い、なかなか腕の良い狩人だ。
普段なら沢を渡り峰を越えたあたりで、充分な獲物を狩り折り返す。帰り道では山菜や果実を見つけながら、のんびりと歩く。
ところが、その日はさっぱりだった。
山全体がひっそりと静まり返っている。鳥だけでなく、小動物も見あたらない。
「一体どうしちまったんだ?」
青年が誰とはなしに呟くと、ヒュウと煤くさい風がふいた。
そういえば昨晩、山に星が落ちた。オレンジ色の尾を引いた星は、不思議にゆっくりと落ちていった。
青年は臭いを辿る。山火事には至っていないだろが、火種が残っていては厄介なことになる。後始末をするつもりで足を運んだ。
しばらく行くとミーミーという、幼い獣の鳴き声が聞こえた。頼りなく今にも消えそうな声に、青年は思わず足を速める。
藪を抜けると、焼け焦げた草むらの中心に獣の死骸があった。声は骸の下から聞こえる。青年はそっと祈りを捧げ、骸の下に手を伸ばした。
そこにはまだ目も開いていない、小さな獣の子供がいた。
幼い獣は不思議と無傷だった。青年の手のひらの上で、フルフルと小刻みに身体を震わせる。
軽く煤を払い手ぬぐいでそっと包むと、もぞもぞと顔を出し『うみゅー』と、ため息をつくように鳴いた。
その意外に元気な様子に、青年もほっとしてため息をつく。しゃがみこみ、親と思わしき骸に言葉をかけた。
「お前さん、この子を守ったのか。偉かったなぁ。この子は無傷だよ。お前さんの代わりができるかわからんが、この子は俺が引き受ける。安心して眠ってくれ」
こうべを垂れ額に拳をあてる。一族の祈りの形だ。後日改めて葬いに来ることを決めて、山を下りた。
帰り道で、そういえば今日はひとつの獲物も持ち帰れずに、食い扶持だけが増えてしまったなと、苦笑を浮かべる。
だが懐でもぞもぞと動き、みゅーみゅーと騒がしい温もりは、獲物を山ほど持って帰る時よりも心を浮き立たせた。
はぐれ者の独り者。気楽で侘しい暮らしだ。幼い獣の一匹くらい、養うことなど造作もない。
一人の味気ない食事や、冷たい寝床に潜り込む夜を思うと、青年は懐の温もりを『悪くないな』と感じた。
見たことのない種類の獣だった。ウサギとも、ネズミとも違う。山犬に似てはいるが、手足も背中も柔らかすぎる。
山から戻る途中、馴染みの雑貨屋に寄り、ヤギの乳とチーズを買った。おそらく幼獣はまだ離乳が済んではいないだろう。乳を温めてチーズを溶けば、母乳の代わりになるかも知れない。
自分用の魚の干物と芋酒も買った。新しい家族ができた祝いと、死んだ親のための葬い酒だ。
家に着き、早速ヤギの乳を温め、干物を焼く。
朝食の残りの固焼きを、味噌を塗り干物の隣で炙る。味噌の焦げる香ばしい匂いに、幼獣がフンフンと鼻をヒクつかせた。
温めたヤギの乳を清潔な布に浸して、幼獣の鼻先に持っていくと、ちゅくちゅくと勢いよく吸いついた。小さな前足で布を揉みながら、ヤギの乳を啜る。
青年はその仕草についぞ感じたことのない、胸を掴まれるような愛おしさを感じた。
「俺はお前と、お前の母親に取り憑かれちまったのかも知れないな」
つい自嘲気味のぼやきを吐いてしまったが、青年の目は嬉しそうだった。
幼獣が腹をポッコリと膨らませるまで乳を与え、その様子を飽きる事なく眺めながら、ちびりちびりと芋酒を舐めた。
その晩、炉端で幼獣を懐に入れて眠った青年は夢を見た。
夢の中で青年は、空を駆けていた。
幼獣によく似た赤茶色の毛並みの、大きな獣に乗り飛ぶ夢だ。翼もないのに空を駆ける獣など、聞いた事がない。
その獣からは、青年を乗せて空を駆ける歓喜の叫びが流れ込んで来る。
『私はあなたの魂を受け取った。あなたと共に空を駆けることが、私の望み』
獣の足元には光雲が集まり、その身体も淡く輝いていた。
(おいおい、こりゃあ、神か化け物の類いか?)
青年は自分と獣が、分かちがたい奇妙な絆で結び付けられていることを感じた。
青年と獣の意識は、重なりながらも、混ざり合う事がない。不思議な一体感はどこまでも心地良い。
獣の意識が語りかけて来る。
『あなたの力を、私に与えてはくれまいか?』
俺を喰らうと言うのか……? お前は俺を喰らって大きくなって、空に舞い上がるのか。そうして俺は小さくなってしまうのか。
青年はその獣が、宇宙の獣であることを知る。宇宙を駆け、宇宙に生きる生き物だ。この星の軛さえ、断ち切る事ができる。
こりゃあ、とんでもない話だな!
とんでもなく……楽しそうだ!
「いいさ、俺の人間として生きる普通の暮らしをくれてやる! 連れて行ってくれ、宇宙の彼方へ、星の海へ!」
共に生き、共に死のう。俺は生涯、お前と共にあることを誓おう!
青年は目を覚まし、懐の小さな小さな獣を、柔らかく抱きしめた。
そうして青年は、後の世で『ガルーラ』と呼ばれる宇宙の獣の、最初の契約者となった。