第十話 ホログラム
『その子を取り上げたりはしない』
エクーはそう言った。
でもやっぱり、エクーはクロマルを迎えに来たんじゃないかなぁ。
クロマルは同族の仲間がエクーの星にいるならば、その方がいいかも知れない。
それは私も同じだろう。小さい人がガルーラと生きる世界があるならば、そこの方がきっと生きやすい。
私は既に地球人として生きるには、『一般的』からはみ出し過ぎている。
けれど、そんな決心がすぐに着くほど、私は今の生活に絶望しているわけじゃない。
「大人のガルーラが宇宙を駆ける様子や、契約者とのやりとりを見てみたいです」
差し向かいでお茶を飲みながら、エクーに頼んでみた。星を渡る技術を持つ人たちだ。画像や動画の保存くらいはお手の物だろう。
「その前に、その子に母親の姿を見せてあげたい。別れた時はまだ目が開いていなかったからな」
もちろんです。そして私もぜひ見たいです。
エクーが首から下げたペンダントを、大切な宝物みたいに服の中からそっと取り出した。真っ黒な毛を丁寧に編んだ組紐の先には、乳白色の牙が付いている。
「これはクロマルの?……」
「ああ。その子の母親のものだ。彼女も私の髪の毛と牙を共に逝った」
そう言われて見れば、エクーの前髪は一房だけが極端に短い。互いの牙と毛を交換するのか。壮絶な別れだ。
牙の側面を開き操作すると、カチリと小さな音がして、立体のホログラムが映し出される。くり抜いて多機能端末に改造してあるらしい。
小さな……灰色ネズミのような生まれたばかりクロマルが、ムニムニと手足を動かして、必死な様子でお母さんの乳首を探している。
クロマルそっくりの大きな黒いお母さんが、優しく身体中を舐めている。
映像が切り替わる。
少し猫っぽくなったクロマル。少し小さくなったお母さん。立ち上がろうとしてはコロリと転がる灰色毛玉のクロマルを、見事に長い尻尾で受け止める。
クロマルがホログラムに近寄っていく。すり抜けて、不思議そうな顔をして、またすり抜ける。
「おいでクロマル。こっちで一緒に見よう。ほら、お母さんだよ。クロマルの、お母さんだよ」
クロマルをぎゅうと抱きしめて、背中の毛に顔を埋める。涙が止めどなく流れた。
ようやく立ち上がれるようになり、ヨロヨロとカメラに向かって歩くクロマル。エクーが歌うように、なにか言葉をかけている。
ポヤポヤの灰色のうぶ毛、まだきちんと開いていない目。私がクロマルに出会った時と同じくらいだ。
そして、お母さんは――また少し、小さくなっていた。
クロマルがまるで映像の中の、生まれたての子猫みたいに「ミュウ」と一度だけ、小さく鳴いた。
しばらくの間、黙ってエクーと二人、熱いお茶を啜る。私は鼻水も啜る。
「私はクロマルを、育て上げることができますか? 私はなにをしたら良いですか? お母さんの分も、出来ることがありますか?」
「ガルーラの子供は、愛情と存在力を糧として育つ。あなたはその全てを、その子にあげている。そのまま――いままで通り、共にあり、慈しんで育てれば良い。ただ――」
エクーが表情を曇らせて口ごもる。
「足りないかも知れない」
続く言葉を予想するのは、そう難しい事ではない。私の持っている存在力では、クロマルが必要とする分に足りないのだろう。
そうか……クロマルが、ごはんを食べなくなったのは、きっとそれが原因だ。クロマルは私を案じて、存在力のやり取りをセーブしていたのだ。
どうしたら良いのか。なにか方法はあるのか。大人になれなかったら、クロマルはどうなるのか。
まだ聞きたいことは山ほどある。でも私は黙って、ただリピート再生される立体ホログラムを見ていた。
ホログラムの中のクロマルは、やっぱり宇宙一可愛いと思った。