第十二話 お姉さんと猫集会
シュウくん視点。
夏休みが終わってからも、僕は早朝トレーニングを続けている。
スタミナがついてきて、試合で最後まで走れるようになった。下半身が安定して、高く飛べるようになってきた。
そして三年生が部活を引退すると、僕はなぜか部長になっていた。バスケ部の二年生で一番背が低い僕が、みんなを引っ張っていけるのだろうか? 不安しかない。
どうして背が伸びないだんろう? 好き嫌いもないし、カルシウムもプロテインもちゃんと飲んでいるのに。
お姉さんに会うためにはじめた早朝トレーニングなのに、成果があったのは主に部活方面ばかり。夏休みみが終わってから、お姉さんに会えたのはたった二回きりだ。
一度目は九月に入ってすぐ。
前と同じ大きな麦わら帽子をかぶり、ブカブカのTシャツと膝までの短パンを履いていた。
夏の間中、部活やランニングで真っ黒に日焼けした僕と違って、お姉さんの首や短パンから時折り覗く膝は痛々しいほどに白かった。
黒い猫がお姉さんの足に、絡まるように着いて歩く。手のひらに乗っていた子猫は、ずいぶんと大きくなっていた。
僕が手を振ると、肩のあたりで小さくフリフリと手を振って応えてくれた。
二度目は、十月半ばくらいの日曜日の朝。
少し色づいて来た銀杏の木の下を、お姉さんがキョロキョロしながら歩いていた。
駐車場でクルマの下を覗き込んだり、ゴミ箱の蓋を開けたり、自動販売機の裏を覗いたり。何か探しているみたいだった。
何か困っているなら、僕の出番だ!
「ナナちゃん、おはよう。どうしたの?」
「シュ、……お兄ちゃん」
おはよう、と口の中でモゴモゴと言う。
今、名前呼ぼうとして、迷いがあったよね? 僕の名前はまだちゃんと覚えてもらえないみたいだ。
「何か探してるの?」
コクンと頷く。幼女っぽい仕草が、熟練の域に達しているな。
「何? 一緒に探そうか?」
「……クロマル」
「クロマルって、あの黒い猫の名前? いなくなっちゃったの?」
「うん。昨日の夕方、遊びに行って帰らなかった」
「オス猫? 去勢は?」
子供のふりをしている人に、去勢の話は微妙かもと思いながら聞く。オス猫は発情期になると、遠くまで出かける事がある。
「しゅじゅつ、してない」
「外に出たのは初めて?」
「三回目」
初めてじゃないなら、そう心配しなくて大丈夫かなと思う。
「僕の知っている、猫の集会所を回ってみる? 新参者の猫は、集会に顔見せをするらしいよ」
『新参者』とか『顔見せ』とか、難しい言葉を使ってしまった。お姉さんがスルーしたので、僕も敢えて言い直すのはやめた。
「猫集会……!」
お姉さんが目を丸くして言った。猫好きなら聞いたことくらいはあるだろう。僕はけっこう、猫のことには詳しい。
猫集会。
それは数々の動物学者が研究し、未だに解明されていない、猫の謎行動のひとつだ。
本来は単独で行動する猫が、特定の場所に集まり微妙な距離を保ちつつ、のんびりと過ごす。それが猫集会だ。
縄張りを共有する猫同士の、コミュニケーションの場だという説や、ただ居心地の良い場所に集まっているだけだという説がある。
どちらにしても、猫集会を見かけたら、人間は邪魔をしてはいけない。
さて、集会所を巡るなら足を確保しなければ。
僕は家に帰ってお母さんの自転車を借りて来ることにした。お母さんの自転車には、僕が小さい頃使っていた子供用の座席がそのまま買い物カゴとして残っている。
「さ、行こうか。着替えて来たけど、僕は汗臭いかも。ごめんね」
かも、じゃなくて確実に汗臭い。
冷蔵庫から持ってきたヤクルトを渡しながら言うと、お姉さんはまたコクリと頷いた。
お姉さんを背中から、腋の下に手を入れて抱き上げる。微妙なところに手が当たらないように、気をつけてそっと座席に座らせる。
どうせお姉さんを乗せて走るなら、お母さんのママチャリじゃなくて、自分の自転車が良かったなぁと思う。僕の自転車はなかなかカッコイイ。
最初に行ったのは神社の境内。階段や木の下の陽だまりで、いつも七〜八匹の猫が日向ぼっこをしている。
「クロマル、いる?」
「いない」
次は使われていない駐車場。夜になるとこっそりエサをあげている人がいるので、多い時は十匹以上の猫が集まっている。
ここにもクロマルはいなかった。
次は公園の遊歩道。木陰のベンチは、いつも猫で満員だ。ここにもいない。
路地裏の三角公園。ブランコとベンチがひとつあるだけの小さな公園だ。四、五匹の猫が低い植木の影にいる。
「あ……!」と言って、お姉さんが走っていく。黒い猫がサッと逃げた。
お姉さんが振り向いて、フルフルと首を振った。違ったらしい。
そのあと二つの猫集会所に行ってみたけれど、どちらにもクロマルはいなかった。
もしかして、家に戻っているかも知れない。僕らは一旦解散する事にした。
「ナナちゃん、僕はこれから部活だけど、終わったらまた一緒に探すから。だから泣いちゃダメだよ」
僕はそう言って、お姉さんの頭をなでた。今日は少し不用意なことをたくさん言ってしまったので、念のため思い切り子供扱いする。
大丈夫、お姉さん。僕はちゃんと騙されているから。
ちょっと複雑な顔をしているお姉さんの頭を、ポンポンと叩く。お姉さんはますます複雑そうな顔になってしまった。
僕が密かに笑いを噛み殺していたら、お姉さんが顔を上げた。道の向こうから黒い猫が歩いて来る。
「クロマル!」
お姉さんが呼ぶと、黒猫はミャーと鳴きながら走ってきた。良かった、今度は本当にクロマルみたいだ。
「良かったね。じゃあ、僕は行くね!」
僕が自転車で走りはじめると、後ろから、お姉さんに声をかけられた。
「シュウくん! ありがとう!」
僕は驚いて振り返る。
お姉さんが僕の名前を、はじめて間違わずに呼んでくれた! 嬉しくて背中がムズムズする。お姉さんの口元は、へにょりと笑っていた。
僕の大好きなゆるゆるの笑顔だ。さっきまでの不安そうな顔も可愛かったけど、やっぱりお姉さんは笑っている方が良い。
こんなのお安い御用だよ。だって僕は、お姉さんのその笑顔のために、宇宙怪獣と戦う決意をした男だもの。
第二章はここまで。第三章 秘密のクロマル。物語が大きく動きます。投稿は21時。