第五話 夏祭り① 金魚の浴衣
夏祭り四話、全てシュウくん視点です。
お姉さんは、金魚の模様の浴衣を着てやって来た。
背中でゆらゆらと揺れている特大のリボンみたいな帯。こめかみの上でゆるく結ったツインテール。
お姉さんは今日も全力で子供ぶりっ子している。
わかっていて見れば、お姉さんは子供ではなくとても小さい大人だ。子供用の浴衣を着ていても、うなじや肩が色っぽい。
腰とか肩とか、く、くるぶしとか。襟の合わせから覗く白い喉元とか!
女の人の浴衣姿って、どうしてこう反則技に溢れてるんだろう。
お姉さん、こんな色っぽい幼女はいないよ! 無理があるよ!
僕は今、きっと真っ赤になっている。ヤバイ。小さな子供の浴衣姿に、こんな反応をしたら、変態以外の何者でもない。
僕は幼女好きの変態なんかじゃない。だってお姉さんは大人だ! だから僕が、あっちこっちが柔らかそうとか、なんかいい匂いがするとか思っても、それは、男として正常な判断だ! だから、だから!
なんか、もう、助けて……!
僕は完全に舞い上がってしまった。歩き方すらよく思い出せない。こんな難しいことを、普段どうやっていたんだっけ?
少し落ち着かないと、挙動不審で通報されてしまう。
しゃがみこんで、お姉さんに持って来た夜店のお面を被せる。顔だけでも隠しておいてくれないと、僕の神経が持たない。
お面をつけたらお姉さんは、途端に子供らしくなった。これなら事情を知らない人はきっと騙される。
お姉さんが出かける時、いつも必ず大きな帽子を被っていたのは、頭の大きさを誤魔化すためだったんだ。
「カナリ叔母さんから、お手紙」
お姉さんから、猫の肉球模様の封筒を渡された。中には便箋と五千円札が一枚。縁日で使うお小遣いだろう。
『誘って頂き、ありがとうございます。本人も、とても喜んでいます。聞き分けの良い子です。よろしくお願いします』
手紙を読み終わったタイミングで、お姉さんの巾着袋の中で携帯電話の着信音が鳴る。
「あ、カナリ叔母さん。うん、お兄ちゃんいるよ。はーい!」
お姉さんが舌ったらずな話し方で言い、僕にスマホを差し出す。叔母さんから電話か! 芸が細かいな。
「姪を誘って頂いて、ありがとうございます。ご迷惑ではないですか?」
予め録音してある音声なんだろう。無音の部分が少し不自然に長い。
「多少遅くなっても、花火を見せてあげてもらえませんか?」
やった!『お姉さんと花火』が実現する!
「ご厚意に甘えさせて頂きます。よろしくお願いします」
「はい。任せて下さい。責任持っておあじゅかり、します!」
大人っぽいお姉さんの物言いに合わせて無理したら、最後に噛んでしまった。というか本当に舌を噛んだ。痛くて格好悪い。
救いは目の前のお姉さんが、クスクス笑ってくれたこと。お面の中の顔、やっぱり見たい。
一生懸命、僕を騙そうとしているお姉さん。上手く騙されようと、必死な僕。
お互いの不恰好なピースが、だからこそ、上手く噛み合ってカチリと嵌る。
「僕の名前はシュウ。坂之上シュウ。キミの名前は?」
「ナナ……さえき、なな」
「ナナちゃん、今日はよろしくね」
僕が、七歳も年上のお姉さんに向かって、大人ぶって話しかけると、お姉さんが年下の中学生の僕を『お兄ちゃん』と呼んだ。僕らはお互い片目を閉じている。
立ち上がって手を差し出すと、少し躊躇ったあと、お姉さんが僕の指を三本、キュッと握った。
「七時までは、ヨーヨー釣りの店番しないとダメなんだ。当番だから」
「ヨーヨー釣り、知ってる? やったことある? 何回やっても良いから、良い子で待っててね」
「なにか食べる? お腹空いてない? たこ焼きか焼きそば、買って行こうか?」
まくし立てるように喋ってしまう。お姉さんの返事を待つ余裕さえない。なにも話さずに手を繋いで歩くなんて。
そんなことをしたら僕は、爆発してしまうかも知れない。
お姉さんは少し考えてから『じゃがバター』と言った。
むむ。お姉さんわかってるな! 商店街の惣菜屋さんのじゃがバターは、夏祭り一番人気の屋台で毎年行列ができる。小さな皮つきの新じゃがをバターで素揚げして、熱々のうちに塩胡椒を振ってある。
揚げてパリパリになった皮にプツリと歯を立てると、中はホクホクで柔らかい。バターの染み込んだ皮を一緒に食べると止まらなくなるほど美味しい。普段は売っていない、夏祭り限定メニューだ。
僕らは「そうだね、じゃがバターだよね」「うん、じゃがバターだよ」とうなずき合い、手をつないだまま走り出した。
今ならまだ、行列が出来ていないかも知れない!
人混みを縫って走る。お姉さんは小さいくせにけっこう速い! 僕は楽しくて嬉しくて、笑い出したくなった。
その時僕はもう、お祭りという非日常に足を踏み入れていたんだと思う。なんせ手をつないでいるのは、だんだん小さくなってゆく、非日常を人間のカタチにしたような人だ。
何かのスイッチが入ったみたいに、楽しくて仕方ない。
空が夕焼けに染まり、神社の境内に張り巡らされた提灯に火が灯る。
櫓の上で、床屋のおじさんが太鼓を叩きはじめる。
夏祭りの、最後の夜がはじまる!