第三話 お姉さんの麦わら帽子
シュウくん視点。入れ替わりが激しくてスンマセン。
隣のお姉さんから、タオルが返ってきた。
雨の中転んでしまったお姉さんの顔を、僕が拭いてあげたタオルだ。
朝、部活に行く時に自転車のカゴに、タオルと小さなクッキー、そして手書きのカードが入っていた。
姪が転んだところを助けて頂いたそうですね。ありがとうございます。事情があって、姉の子供をしばらく預かっています。仲良くして下さると助かります。
202号室 佐伯カナリ
小さな子供は、お姉さんの姪っ子という設定らしい。
お姉さんは僕の自転車を知っていた。つまり、隣の中学生の目の前で水たまりに突っ伏してしまったということを自覚している。
僕はお姉さんの自尊心が、本当に気の毒になる。この上は僕がお姉さんの秘密を知っている事を、決して悟られてはいけない。
僕はあくまで親切で子供の好きな、世話焼きの中学生を演じなければいけない。
それは僕のストーカーっぽい行動に、さらに変態的な属性を加えてしまう気がする。
僕はお姉さんが好きなのだから、ロリコンと呼ばれるのは不本意にも程があるのに。
夏休みが始まって、僕はひとつの計画を立てた。以前紙に書いた、ぼんやりとした決意表明みたいなものじゃなく、しっかりと具体的な計画だ。
七月の終わりの週に、地域の夏祭りがある。僕は子供会のOBとしてヨーヨー釣りの屋台を担当する。
この時にお姉さんを連れ出そうと思っている。
問題はどうやって誘うかだ。
お姉さんは朝の早い時間か夜中しか外には出てこない。僕は早朝のランニングをはじめることにした。
毎朝五時に起きて、マンションの周りを走る。部活の夏大会も近いので一石二鳥だ。
軽く腿上げをしたり、ステップを組み合わせたりしながら辺りの様子に気を配る。お姉さんを見逃してしまったら、元も子もない。
早朝ランニングをはじめて一週間目の朝、ようやくチャンスが訪れた。
お姉さんは薄い水色のワンピースを着て、大きな麦わら帽子を被っていた。
朝の風がスカートの裾をふわりと広げて、麦わら帽子を飛ばす。僕は急いで麦わら帽子を追いかける。
まるで難しいタイトルの、外国映画のワンシーンみたいだ。
なけなしの勇気を振り絞って、お姉さんに向かって歩く。緊張して顔が強ばってしまう。怒っているみたいに見えてしまうか心配だったけれど、へらへら笑って気持ち悪いと思われるのも嫌だった。
お姉さんの目の高さまでしゃがんで、帽子をそっと被せる。僕の考える、最上級のお兄さんっぽい仕草だ。
「クッキーおいしかった。ありがとう。叔母さん、料理上手だね」
お姉さんが嬉しそうに頷きながら、へにょっと笑った。
僕はお姉さんのこの、笑った顔が好きで好きでたまらない。お姉さんが笑ってくれるなら、僕は宇宙怪獣とだって戦ってしまうかも知れない。
笑い顔を見ただけで、胸が苦しくて涙腺が緩みそうになる。こんなの聞いてない。
大人はみんな、こんな苦しい気持ちを恋と呼んでいるのだろうか。
短パンのポケットから、くしゃくしゃになってしまったチケットを取り出す。子供会が配布している、夏祭りの屋台無料チケットだ。五枚綴りで、子供会の屋台ならなんでも無料になる。
「来週神社で夏祭りがあるんだ。僕は日曜日にヨーヨー釣りの屋台にいるから、良かったらおいでよ」
お姉さんに手渡すと、少し悲しそうに顔が曇る。
「叔母さん、忙しいの? 連れてってもらえそうもない?」
何通りも考えてシミュレートした会話パターン。噛まずに言えてホッとする。お姉さんは、困った顔をして俯いてしまった。
「僕と一緒に行く?」
心臓がバクバクと音を立てる。お姉さんに聴こえてしまったら台無しだ。
「僕は毎朝走っているから、叔母さんに聞いてみてね」
そう言って、爽やかに走り出す。
不自然じゃなかったかな。ロリコンだと思われなかったかな。走りながらニヤニヤが止まらない。
お姉さんは来てくれるだろうか。断られたら、心臓が破れてしまうかも知れない。
でも。ついに誘ってしまった。初めて女の人を、誘ってしまった!
夏祭りの最終日は花火が上がる。お姉さんと一緒に、花火が見られるかも知れない!
僕は僕の感情を持て余してしまい、腿上げを二十回連続でして、そのあと大きく、空に向かってジャンプした。
今ならきっと、ダンクシュートだって決められる。