第十三話 五月 120センチ
病院での検査や治療を投げ出してしまった私だけれど、自分なりに、今の状況を改善する方法を探すことにした。
色々なサプリを飲んで、規則正しい生活を心がけたり、ベランダで日光浴をしたり、夜中に公園で鉄棒にぶら下がってみたりした。
色々試して、私の身体に影響を及ぼすなにかを探した。
今のところ、変化はいっさい見られない。
1ミリしか縮まない日もないし、3ミリ縮んでしまうこともない。サプリもぶら下がり健康法も、日光浴も睡眠時間もストレッチも。
なにひとつピクリとも介さずに、私は毎日2ミリずつ小さくなってゆく。
一週間ごとに、柱に貼ったマスキングテープに日付を書き込む。記録ノートに作ったグラフは、折れることなく直線を描く。見事な右下がりだ。
柱とグラフを眺め、何度かため息をつきながら、在宅ワークのためにパソコンを開くのが、最近の私の朝の日課だ。
膝の上に乗り、私のタイピングの指にじゃれつくクロマルと、攻防戦を繰り広げながら一日のノルマをこなす。そんな日常だ。
猫ってどうして何かはじめると、邪魔しに来るんだろう? 普段は呼んでも来なかったりするくせに!
パソコンを立ち上げると、必ず膝の上を陣取る。ノートを広げると、その上に寝転がる。洗濯物を畳んでいると、畳む端からじゃれついてぐしゃぐしゃにする。料理をはじめようとキッチンに立つと、足元からバリバリと登って来たりする。
もう! 遊んでるんじゃないんだってば!
ボヤキながら、微笑んでいる自分に気づく。クロマルのお陰で、深刻になり過ぎないで済んでいる。それとも、もっと深刻に考えた方が良いのだろうか?
クロマルは生後六ヶ月を越えて、どうやらが乳歯が生えかわる時期らしい。甘噛みよりも少し強い程度で、私の手足をがぶりがぶりと噛むようになった。血が出るほどではないけれど、けっこう痛い。
このまま噛み癖がついてしまったら困るので、噛み返すことにした。がぶりと噛まれたら、私も首の後ろをがぶりと噛む。
クロマルはびっくりした顔をしたり、ミギャーと鳴いたりしたけれど、噛まれたら痛いことを教えようと思った。本来なら兄弟猫や母猫に教えてもらうことだ。
しばらく繰り返したらいつのまにか噛まなくなった。
なぜだろう、ちょっと寂しい。
気がつけば、小さくなりはじめて四ヶ月が過ぎていた。小さくなることに、なんだか慣れてしまった五月は、日常と非日常が曖昧になって、不思議と穏やかに過ぎていった。
窓を開ければ、爽やかな風が入る。
洗いたてのカーテンの柔軟剤の匂いがふわりと香り、初夏の予感を連れてきた。