仙台で、ただいまっ!
4分遅れて着いた空港行きバスに乗り込んだ。今回の仙台行きだが、もしかすると、人生最後の訪問になるかもしれない。
旅リボ。大それたものじやないけど、物書き仲間の京都紀行を見習って、スマホでしたためることにした。
札幌の地下鉄福住駅を出発したバスは、36号線を南下。メルセデスの看板や札幌ドームを通過して、いつもの散歩コースを通り過ぎていく。里塚など直行便停留所を経て、北広島インターから高速道路に乗った。
北海道縦貫自動車道は、事故が絶えない道路だ。かつて真冬の直線下りで、186台を巻き込む事故もあった。さりげない直線下りは冬、ブレーキの効かない危険ルートになる。夏場のいまは快適だ自分で運転しないのがいい。
深い緑の奥には演習場があるんだなーなんて景色に見とれてるうちに、新千歳空港に到達。
スマホ決済のお客がアプリを立ち上げてる。俺は福住で買った乗車券を、券入れに流して降りた。ステップを降りてから、手ぶらただと気づいて、荷物置き場に置いた旅行バッグを取りに戻った。
「あぶねー」
こんどこそ下車。すぐ前の自動ドアをくぐって、これまた近くのエスカレーターを登ると、三方六の宣伝パネルが歓迎。立ち止まって見てたら、後ろの客が迷惑そうに追い抜いぬいていった。
(すんません)
空港は恐ろしく混雑していた。一年前は、閑散としてた売り場やロビーに、人が仰山だったのに。報道では、コロナ第7波の終息しつつあるという。実体はどうあれ経済は動き出してる。
予約した航空会社はIBなんとか。
「ええと。どれだ? 全然わからん」
差し渡し100メートルはありそうな長い半円カウンターを端から端へ行き来する。ANA、JAL、peach、エアドゥ。航空会社がずずすいと並んでいるが、IBなんとかがない。
人が多い。修学旅行の団体に、ツアーの団体。一般客も家族や夫婦など集団だ。それが、前から後ろから、急かすように通り過ぎる。いっそう迷いが深くなっていく。
「客が多すぎだろ。案内の人さえ見つけられん。やば。本気でまよった!」
時間が刻々とすぎていく。だだっ広いロビーと人波が、霧の中を漂ってる気にさせる。ゆとりある行動のつもりが、出発時刻は無くなっていく。
うろうろと、旅行バックのタイヤをゴロゴロ引きずること15分。とうとうみつけた、第1警備員に、駆けよって尋ねた。
「IBなんとかの、カウンターってどこですか?」
「アイベックスですね。ANAと共通なので3と5のカウンターです」
逆方向だった。というか、何度も通過していた。お礼をいって、教えられたカウンターにたどりついてみれば、ちっこく、看板が吊られていた。IBEXと。
大急ぎで手続きして荷物を預ける。出発ゲートは3で、エスカレーターを降りた101で待ってくださいと言われた。聞き慣れない番号に、思わず聞き返した。
「101?」
「はい。101です」
カウンターのお姉さんは、地上におりてから、バスに乗って駐機場へいくと説明してくれた。千歳空港は、いつから羽田空港になったんだ。
搭乗までは、まだ少し時間があったので、お土産を買うことにした。今度は迷うことなく、無事にショップに着く。白い恋人と、かにせんべいを、袋に詰めてもらった。
保安ゲートをくぐり、言われたとおり、101番の出発ロビーで待った。バスがほんとにやってきた。低めのタラップ登って飛行機に搭乗した。
むかしの千歳空港は、自衛隊と共通の滑走路だった。というより、自衛隊の滑走路を間借りしていた。管制塔も自衛隊。ソ連の偵察機などでスクランブルが発生すると、戦闘機が優先されて旅客機は待機となる。いまの新千歳空港に、そうした遅れは起こらない。
離陸した。持ってきた本を開く。飽きたら、スマホにダウンロードした映画か、誰かのWeb小節を読むつもりだった。
(あれ? 読めねー?)
ふつう、機内でネットは使えないのだ。それくらい気づけよオレ。
機内サービスのアップルジュースを頼んで喉を潤す。千切れた雲の合間から松島湾が覗いた。
(隣席の男。文庫もいいけど一度くらい窓をみてもいいんだぞ)
フライトは順調。床から軽い衝撃がして、車輪がでましたとアナウンス。1時間ちょっとの空中散策が終わり、高度が下がっていく。着陸で少し跳ねた。いつものことだが、この時間は恐怖だ。
仙台の空気は札幌より生ぬるいなと思ったとたん、尿意がやってきた。歩く歩く。到達してから手荷物カウンター(のトイレ)までが、やたらと遠く感じた。
この旅の目的は、母親に会うこと。顔を見にきたのだ。父親の墓参りから1年ぶりとなる。自分としては、かなり短い間隔だ。
地元である岩切を紹介したい。
岩切は、仙台駅から二つ目にある田園地帯。特産の曲がりネギは白いとこが濃厚で鍋にするとめちゃくちゃ美味い。そんな農地も、宅地化によって減少。市街地から便利な距離とあって移住者が増加ており、土地持ちはみんなアパート経営に切り替えていってる。
オレの実家も、そんな家のひとつ。豊かに穂を実らせた田んぼも、ネギや白菜とうもろこしやにジャガイモを作った畑も、みな売却してしまった。売らずに残ったのは自宅敷地だけ。あるのは、長い平家、作業小屋、木をくべて沸かした風呂、薪小屋ではない。築住居と家族向けの2階建てアパートだ。
隣りの幼馴染の家も、藁葺きドロ壁の古民家から、サイディング住宅になった。
就職で家をでたのが18歳。あれから40年だ。めったに帰らない故郷は、戻るたびに思い出の景色が塗り変えられていく。そんな変化の激しい岩切で、最後に残った故郷が母親だった。
―― 母さん。あなたが故郷です ――
海援隊、武田鉄矢の唄が聞こてきた。
荷物が流れる手荷物カウンター、自分のバッグをゲット。仙台空港に隣接する空港駅へ行くと、鉄道むすめが迎えてくれた。停車中の2両編成の電車に乗り込み空いた座席に座る。ここから仙台駅へ行って、そこで東北本線の鈍行に乗り換えるのだが、ダイヤを調べてない。
「よけいな出費は避けたいけど、ながく待つようなら、タクシーかなぁ」
それにしても仙台って、紹介できる観光地がない。あるのかもしれないけど、そもそも、実家直行だし。この文って、旅レポになってない気がする。
ペデストリアンデッキ? 青葉城城址? 西公園?
高校時代、中央通りの喫茶店を行きつけにしてた。200円のコーヒー1杯で、演劇部の仲間とタバコぷかぷか。学校は私服。下校途中でも大学生と思われていたようで、店内でお咎めはなかった。一度だけ、教師とバッタリしたときは焦ったけど。コーヌコビアって店だ。まだあるかな。
仙台駅に到着した。
「えと。岩切にいくのは、東北本線下りの、各駅停車。ホームはどこだっけ。あった1番線。20分後に、小牛田行き。これなら待てる」
1番線は、新幹線の通路でもあるらしい。重い荷物をゴロゴロ引きずる人が階段を上がっていく。
日本3大ブス産地。仙台は昔そう呼ばれていた。伊達政宗が、騒動の種になる美人はいらぬと、美しい人を皆殺しにしたという。まことしやかな伝説だが、自分を含め、男も負けずにノンイケメン揃い。バランスは取れていたのでは?
時代は変わって、いまは美人さんばかり。右も左もきれい。キョロキョロしてたら、首が脱臼しかけた。
あちこちのホームのアナウンスが騒がしい。デッキで待ってると6両編成の列車がはいってきて、いそいそ乗り込んだ。外がよく見える席を確保する。夕方の車窓に、自分のマスク顔が反射していた。
「……疲れた顔、してんなぁ」
岩切駅についた。降りる客は、若い女性ばっかり。あまりに混んでいてホームから落ちそうになる。知らない間に、若者の町になったのが嬉しい。
(車でごった返す県道は避けよう。七北田川沿いを歩いていくか)
景色は違っても故郷だ。山や川に変化は少ない。中学まで遊び場にしてたのは、高森山、県民の森だ。古墳が多い。中腹には、前方後円墳が、普通にあった。東光幼稚園の山もその一つで、乞食(禁止ワード?)の住処や子供の秘密基地になっていた。
「こっちこっち!」
「おおラッキー!」
混雑する駅を出て、荷物を引きずって歩きだすと、妹と婿が車でむかえにきてくれた。
「混んでるでしょ? なにわ男子のライブだって」
「それか!?」
セキスイハイムスーパーアリーナで開催できるという。こんな田舎にそんな巨大会場ができたのかと驚いた。先月はSexyZone。サザンもやってきたことがあるんだと、自慢する。こっちも負けてはいられない。
「バカめ、札幌には日ハムがいるんだぞ」
「仙台には、東北楽天があるよ」
ドローだったが、言い負かされた気分だ。
むかしは、兄を慕った優しい妹だったのに。
「それより。ばあちゃんのとこ、行くよ」
(ばあちゃん、ね)
母と一緒に住んでる妹は子供ができると、呼び方が、”お母さん”から”ばあちゃん”に変わった。自分の子を連れてきてれば、オレも、ばあちゃん呼びになるんだが、これが慣れない。なんて呼ぼうと、心の中ではずっと、お母さんのまんまだ。
見知らぬ故郷の道路を車に揺られてると、じわり、思い出が湧いてくる。
(手の早いひとだったなぁ)
オレが悪いことをすると母親は、まず叩いてから、口で怒った。
ガラスを割って叩かれて。不安定な材木の上に登って叩かれて。勉強しろと叩かれた。
母親は自分を霊感が強い人だと信じていていた。
ささいなことで父親が癇癪を起こしたことがある。家を出て行こうとしながら、死んだ親が呼んでる海に行くと喚いた。
全力で止める父親。オレたち兄妹は足にしがみついて号泣した。
腫れ物のような母親だが、喜怒哀楽がハッキリしてる楽しい人でもあった。大人になってからは、楽しい話し相手となった。
目的地に近づいてきた。この旅も終わる。
婿が運転する車は、今市通りを後にすると、燕沢を過ぎて、東仙台にはいった。仙台典礼に到着した。初めてのみる建物。中にはいって二階へ続く堅い階段を上がった。〇〇家家族葬とある扉を押す。
「ただいま。久しぶり、なのか?」
母親にあいさつした。
とうぜんながら、返事はない。
母が亡くなったのは昨日だ。昨年、父親が死んだときは、コロナのせいで国内移動に制限がかかり、ワクチンがまだだったオレは、葬式にこられなかった。今回は幸せだ。火葬される前に、顔をみることができたのだから。
線香をたてて手を合わせる。棺の両開きの蓋を静かに開いた。ガラスの下で佇んだ彼女は、ホログラムのようにみえた。綺麗だった。美しく化粧されいて生きているようであった。おかえり、と微笑んでいるようだった。
ただいま。お母さん。
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