白く燻る燃え滓に
お越しいただきありがとうございます!冬独特の感傷と、雪の匂い。是非それらを感じながらお読みください。少しでもお楽しみいただければ幸いです。
「……くしゅんっ!」
あまりの寒さに、身が強張る。無駄に太陽が輝く、生憎の晴天だ。光を跳ね返す、足元の雪が眩しい。
「……はぁ」
私の吐いたため息が、白く空へと登っていく。太陽を受けて煌めくそれが目障りで、目を瞑る。
できることなら、雪が降っていてほしかった。それも、全てを覆い尽くしてしまうような大雪が。
私は、雪が好きだ。
別に見たくもないアスファルトや草ぐさを、この世の全てを真っ白に染め上げてくれるから。
それに。
雪には、優しい絶望が似合うから。
生きとし生けるものを包みこんで、静かな眠りへと誘う。優しくて心地よい、全てを委ねる微睡のように。
私が隠した身も心も言葉も。
私が吐く白い息さえも、すべて。
雪がきっと食い殺してくれるはずなんだ。
「おまたせ!」
聞き慣れた声が、私の意識を呼び覚ます。どうやら、彼のことを待っている間に眠ってしまっていたらしい。
「もう、遅いですよ」
「ごめんごめん、寝坊しちゃって」
いつものことだ。別にもう、驚きもしない。別にもう、あなたに期待なんてしていないから。……それに。今日は、実にいい日だ。絶好のデート日和に、そんな野暮なことはいらない。
「しょうがないですね。いいですよ」
だから、私は彼のことを許す。それを彼が申し訳なさそうに、それでいてどこか当たり前のように受け止める。……本当に、いつも通りの光景だ。
「私、行きたい場所があるんですよ」
こうして、私たちのデートは始まる。味のしなくなったガムを噛み続けるような日々。彼ももう、吐き出してしまいたいのだろうか。
新鮮な冬の匂いが、私の鼻をくすぐった。
「ここは……」
「スイーツバイキングですよ!ふふ、もう最高じゃないですか!?」
いつか来たいと思っていたお店だ。……正直、こんな形で来ることになるなんて、思ってもみなかった。本当に、残念だ。
「おいしいですね?ほら、あーん」
何も美味しくなんてない。ここ数日間というもの、何だか味がわからなくなってしまった。……ただの、虚無だ。
……ふふ、あぁ、いや、違いますね?味がしないのはきっと、甘さがわからないのはきっと。あなたと過ごす時間の方が、何十倍も甘いからですよね?
「ふー、お腹いっぱいですよ!ねぇ、手、繋ぎませんか?」
くだらない。今更手を繋いだって、分かり合えるはずなんてないのに。……それに。あなたのその薄汚れた手に、触りたくなんてなかった。……ふふ、いえ。私が言えたことでは、ないですよね。
「あ、ちょっと待ってください、ここで服を買いたいです」
服、ねぇ。最近というもの、ファッションの意義がよくわからなくなってしまった。別に知らない誰かに綺麗に見られたいわけでもないし、見せたい相手がいるわけでもない。……いつのまにか、いなくなっていた。
……あぁ、冗談ですよ。気にしないでください。
「……あ、この本、なんか面白いらしいですよ?……え?持ってるんですか。流石ですね」
そりゃあ持ってるでしょうね?買ってましたもんね?……ふふ、もう、いいだろう。これくらいで充分だ。あなたのその表情が見れただけで、今日ここに来たかいがありました。ねぇ?そんな顔……ふふ、しないでくださいよ。
「……ふふ、青い顔して、どうかしたんですか?」
「……い、いや……なんでもな――」
「まぁ、そりゃあ、そうですよね?」
「ねぇ、これ、見えますか?」
「……!!」
彼に写真を見せる。男女が楽しげにショッピングをしている様子だ。手を繋いで、その上あーんまで。ふふ。実に、楽しげにデートなさってますね。
「ふふ、随分と楽しそうですよね。バイキングに服屋に本屋に。……私以外の女と二人で」
「……」
「正直、残念です」
別に、残念でもない。確かに少しは驚いたが、こうなる可能性は、前々からあったのだろう。
「ど、どうして……」
「んー?ふふ、もちろん、たまたま、ですよ?」
そう、たまたま。偶然同じショッピングモールにいて。偶然あなた方の後ろ姿を見つけて。それで尾けてみただけ。……ふふ、偶然って、怖いですね?
「……本当に、ごめん」
「……もう、いいですよ」
どうでもいい。
あなたの謝罪も、あなたが浮気したことだって。
心の底から、どうでもよかった。
ふふ、いつから変わってしまったんでしょうね?もしかしたら、元からこんな女だったのかもしれません。
―――そんなわけないですけどね。
あなたといても、ただただ辛さが増していくだけだった。愛、とかいう言葉で誤魔化し切れないほど、あなたの行為一つ一つに、疲れと呆れが積み重なっていった。……いつあなたと別れても、別にそれで私はよかったんだ。
それでも、今まで私が別れを告げなかったのは。
……私の底知れない、愛、ですよ。
なんて。そんなわけないですけどね。
ただ、面白そうだから。
罪を許して、赦して。罪悪感を薄れさせて、抵抗感をなくして。許してくれる私に、一種の依存をさせて。
私がいなくては何もできなくなったときに。
私がいきなり蹴飛ばせば、どんな顔をするのか。どんな声で私を呼ぶのか。……どんな顔で、絶望するのか。
それが、知りたかっただけです。
ふふ、ほら。実に面白そうでしょう?
「こんなことをするつもりはなかったんだ」
くだらねぇ嘘をつきやがりますね、この人は相も変わらず。こんなことをしているから、愛は変わっていくというのに。
「本当ですか?」
「本当だ」
嘘を隠すために嘘をつかなくてはならない、なんて。思った以上に愉快で、哀れですね。首が回らなくなっていく様子が、見苦しくて、愛おしい。その首を、圧し折ってあげたくなるほどに。
「ふふ。それなら、あなたを信じますよ」
「……許して、くれるのか?」
えぇ。えぇ。もちろん。あなたが期待しているような言葉をあげますから。だから。その薄汚れた心と面を、こっちに向けるな。
「えぇ、許しますよ、全部」
ふふ。私は別に、怒ってもいませんし、もはや失望などあなたにはしません。あなたの全てを許しましょう、赦しましょう。
「今まで通り、全部忘れてあげます」
「……ごめん、ありがとう。……本当に、君は優しいね」
……ふふ。優しい、ね。
それをあなたが本気で言っているのなら……残念です。
「あはは。……私が、優しい?」
「……え?」
「そんなわけ、ないじゃないですか」
あなたを陥れるために許してきたというのに。許しているというのに。そんな最低な私を優しいだなんて。……ふふ、あなたこそ、とっても優しいんですね。
「勘違いしないでください」
もしも私が優しいのなら。この世のすべての人が優しい人なのでしょう。あぁ、なんて美しい世界!その実は、汚れに汚れた人間ばかりなのに!ふふ、面白いですね?何も面白くないですが。
「私は、全部忘れてあげる、と言っただけです」
―――あぁ。本当に、面白くない。
続く言葉を、言いたくない。
本当は、わかっていたんですよ。
依存させるなんて、そもそも無理無理。人間って、すぐに忘れてしまう動物ですから。
それに、あなたは輪をかけて忘れっぽいし飽きっぽい。……私への想いだって、もう忘れてしまったのでしょう?ふふ、あなたのその、冷たくなった目線を見れば、誰にだってわかるというものです。
……そんなこと、とうにわかっていたというのに。
依存、なんて嘯いて。
本当に、バカみたい。
こんなこと、面白いわけがない。それを知っていながら、許し続けたのは。自分の気持ちを欺きながら、笑い続けたのは。
許さないことを、先延ばしにしたかっただけなんだ。
あはは。本当に、くだらない人間ですね?
でも。もう、終わり。
あなたを苦しめるのも、私を苦しめるのも。
「全部、忘れてあげますよ。あなたの罪も、あなたとの思い出も」
ここで、終わらせるんだ。
消してやるんだ。
未だにしぶとく息をする、白く燻る燃え滓を。
「あなたのことも」
「……ッ!」
いや、何が『……ッ!』ですか。こんな結末を迎えるなんてことは、もうとっくの昔に決まっていたんですよ。あなたが私を裏切った、あの瞬間から、ね。
それなのに、何を今更。本当に何も気づいていなかったんですか?私を映すその瞳は、きっと暗闇でも見つめているんでしょうね。
「ご、ごめん!本当に、ごめん」
「だから、もういいですって」
そんな謝罪は聞き飽きましたよ。それに、私だって言い飽きました。狂ったように「ごめん」「いいよ」をただただ繰り返して。そんなことに意味なんてないのに。……ほら、バカみたいですから。もう、やめましょう?
「終わりにしましょう?……ね?」
「……」
彼は俯いたまま、黙りこくってしまった。……はは。別れ話すら上手くできない自分に、反吐が出る。これも、すべてを後回しにしてきたツケ、だろうか。
「……なぁ。ちょっとだけ、話してもいいか?」
―――突然、彼の纏う雰囲気が変わった。
どこか軽薄で……ある意味でどこか捨て鉢な今までの態度は、静かに消えて。
まるで、被っていた仮面を外したかのような。雪が溶けてアスファルトが顔を出すかのような。
「……俺はさ、わかってたよ。君が、俺に何も期待していないのを」
そうですか。私も知っていましたよ。あなたが私のことを見ていないことなんて、とっくの昔から。
「……変わったよな、君は。君は、どこかおかしくなったんだ」
……私が、おかしい?あはは。それこそ、可笑しな話ですね。もっとも、そんなことどうでもいいんですよ。元々、おかしくない人なんてこの世にはいません。あなたも、私も、どこか歪んでいるからこそ、ここにいるというのに。……歪んでいたからこそ、出会えたというのに。
「俺じゃない、ナニカを見るような目でいつだって俺のことを見て、さ」
……それは。あなたの方が、先じゃないですか。何を、今更。
「……正直に言って、怖かった。悲しかった。君の瞳が、何を映しているのかもわからなくて」
……悲しい、ですか。ふふ、私も、もしかしたら悲しかったのかもしれませんね。あなたに興味がなくなっていった、私自身が。
「気づけば、君の視線が怖くなっていた。俺のことを無機質に見つめる君が……嫌いだった」
……ふふ。そう、ですか。
私も……いや、私は……。
「……だからさ、逃げ出したんだ。一番愛おしくて、一番恐ろしい君の元から」
「……」
「本当に、馬鹿だよな」
……えぇ。本当に、バカです。あなたは。
こんな、くだらない女を愛してしまうだなんて。……本当に、バカですよ。
興味がない?どうでもいい?期待していない?
……ふふ、そんなわけ、ないんですよ。
興味がなくなった、だなんて。都合のいい言葉で誤魔化して。わたしを見てくれないあなたの目から、必死に目を逸らして。
そうすれば、私の心を守れたから。私が私でいるためには、私を隠すことしかできなかったんですよ。あなたに責任を押し付けることしか、できなかったんですよ。……なんて、そんなのは、言い訳ですよね。
ふふ。……興味がないのに、尾けることなんてするはず、ないじゃないですか。バカバカしい。
はぁ。本当のバカは、私ですね。
……本当に、くだらない。
すれ違って、すれ違って。意味のない煙に塗れて。……お互いの姿も見えなくなっていたのにも、気づかずに。……あるいは、見えないフリをして。
私が先か、あなたが先か、だなんて。そんな会話にもう意味はないけれど。……あはは。この会話をもう少し早くできていたなら。もしかしたら結末は、変わっていたのかもしれません、ね。
「ごめん。違うんだ。君は、悪くなんてないさ。君に愛されなかった、俺が悪いんだ」
……あぁ。本当に、似ている。最後には自分のせいにしてしまうところも。それが目を逸らす行為だと知っていながら、やめられないところも。
ふふ。ここまで似たもの同士なのに。どうして、すれ違ってしまったんでしょうね?……似たもの同士だから、ですか?ふふ。バカバカしい。
「……俺はさ。一緒にいたかったんだよ。この先、ずっと、君と」
私も、そうでしたよ。
「でもさ、痛かったんだ。君と一緒にいると、さ」
……私も、そう、でしたよ。
「ずっと、燻っていた。俺の想いも、俺の恋も。いつしか、煙で何も見えなくなってさ」
……あぁ、そうか。
「それでも必死に掴もうとしてさ。……はは。馬鹿だよなぁ。もう、何をしたって、火はつかないっていうのに」
結局のところ、私が握っていたのは、あなたの手でも裾でもなくて。
―――無意味に燃え尽きてしまった、かつての恋の遺灰だったんですね。
そしてきっと、あなたも。
「……なぁ、君はさ、俺のことが嫌いかい?」
嫌いとは言っていません。……ただ、どうでもいい、だけ、です。……ふふ、この期に及んで、まだ私は。
本当に、どうしようもない女。
「はは、なんて。聞くまでもないよな」
……やめて。
「ありがとう。こんな俺と、今まで付き合ってくれて」
やめて。それ以上、その口を開かないで。……そんな目で、私を、見ないで。もう、意味なんて、ないの。私たちの恋に、どれだけ息を吹きかけても。……もう、ただ灰が舞うばかり。
……ねぇ。そう、でしょう?
「そして、ごめん。こんな話に付き合わせて。……でも、伝えずに終わることだけは、嫌だったから」
私も、声に出せたなら。思いっきり、この思いを、想いを。あなたに伝えることができたなら。……そんなことができるなら、とっくの昔にやっている。……ふふ、やっぱり、私はダメですね。
「……本当に、ごめんな」
……あら。もう、終わりですか。
もう少し、あなたと話していたかったなぁ。
なんて。
……ふふ、そんなわけ、ないですけどね。
……でもね。
もし。
もしも、あなたが。
別れたくない、と。
そう、言ったなら。
私の目を見て、そう叫んだなら。
私は今まで通り、言ってあげたのにな。
いいですよ。って。
もしくは、私がそう言えたなら。
……はは、そんなことができるなら、そもそも。
……ふふふ、らしくない、ですね。
嘘です。ぜーんぶ嘘。
なんて。
……そんなわけ、ないじゃないですか。
「そっか」
寒さで凍える唇が、勝手に動き出したことにしよう。砂糖のように甘く、雪のように冷たいその言葉が口から漏れ出たのは。きっと。
遠い昔に熱く燃えていたはずの、愛とかいうのもののせいだから。
「私は、あなたが大好きでした」
別れたくない、だとか。そんなことをいう勇気も、資格もないけれど。せめて。せめてこれだけは、あなたに。
目を見開いた彼の頬を、私の冷え切った指先で、そっと撫でて。
「ごめんね」
一言だけ呟いて、背を向ける。
これ以上彼の前にいると、もう、戻れなくなりそうだったから。
私を見下すのは、雪が散らつく白い街。それが雪なのか、それとも燻る燃え滓なのか。私にはもう、わからない。
私の顔の前で舞うそれは、笑っているのか嗤っているのか。それとも、慰めているつもりだろうか。
冬の、雪の匂いが鼻をくすぐる。
あぁ。本当に、いい日だ。
―――ふふ。でもね?
確かに、雪は好き。
でも、違うんだ。
今の私に、白は絶望的に似合わない。
白く燻る燃え滓に別れを告げた私に。色をなくした私に。
似合う色があるとするならば、きっと。
きっとそれは、灰色だ。
ゴウッと、一際強い風が吹く。
いつからか握りしめていた、掌を開いて。
いつのまにか閉じていた瞼を開く。
掌から何かが零れていく感覚。
白の世界に似合わない私。
眦が冷たい。
もはや、風に何が飛ばされようと、何が零れようと、どうでもよかった。
……ふふ。ねぇ。
あなたには、見えていますか?
あなたには、届きましたか?
心の熱で溶け出した、愚かな愚かな水滴が。