あの花が咲く頃にまた逢いましょう その9
俺は明さんとばかり話していた。それには理由がある。宴会に参加しているおじさんたちと話すと長い気を使って疲れる。それに明さんともっと話したい。
明さんと話していると台所から追加の食べ物を奥様方が運んで来た。俺と明さんは運ぶのを手伝おうと花山さんの奥さんに声をかけた。
「花山さん手伝いますよ。」
俺が言うと花山さんの奥さんは相好を崩して今日昼間頑張ったのだからのんびりしていてと言われた。明さんはそれでも手伝うと言うものの断われてしまった。
元の席に戻った俺と明さんは飲み食いの続きを始めた。そのまま午後9時頃になった時、俺はそろそろ帰ろうかと思い始めた。明さんを見るとほろ酔いしているようだった。
「明さんそろそろ帰ります。」
「そうねいいわね。」
酔っぱらっているなあと俺は思った。
俺は帰りの挨拶回りをして、酔っぱらっている明さんを連れて集会所を出た。外は熱帯夜のようで蒸し暑かった。酔っている明さんと歩く夜道は変な気分だった。楽しいような切ないようなよくわからない。
「高政!」
「はい!」
突然明さんが声を張り上げて名前を呼んだので俺はびっくりした。そして、返事をした。
「私はねえ、もうこの村に来ることはないわ。」
「どうしてです?」
「実家に居場所がないもの。」
「それは明さんが思ってるだけじゃないですか?」
明さんの実家に帰りたくないという気持ちは相当なようだ。
「新しい父親は優しいよ。でも、やっぱり他人なのよ。どうしてもお父さんの存在がちらつくの。何か裏切っているような気分になるの。」
「でも、村人は明さんのこと歓迎してくれるんじゃないですか?」
今日も花山さんなんかは温かく接していたように思う。
「ふふ、それは植野さん家の明だからよ。」
「そんなこと。」
しかし、俺はふと思った。そう、実家に寄り付かないのに村に来る知っている人をそこの村人が温かく迎えてくれるだろうか。トラブルになるのを嫌がり、敬遠するのではないか。表面上は優しくても腹の底はそうと考えてしまうと明さんにはただの苦痛だろう。
「ねえ、高政おんぶして。」
甘えた声で明さんは俺の背中に乗っかって来た。酒くさい。
「高政も大きくなったね。背中が大きいや。」
俺はそんなことをつぶやく明さんに伝えたいことができた。今の明さんにこそ言いたいことが。
「駅まででいいからねえ。」
酔っぱらっている明さんを駅まで背負い到着すると明さんは降りた。駅はもうとっくに終電を過ぎ、昼間もそうだが、人通りがなかった。明さんは駅の壁に寄りかかり座り込んだ。俺も自然な流れでその横に座った。
「高政はいつ東京に帰るの?」
「明々後日です。」
「そう。」
明さんが何を思っているのか何となくわかる。もう会うことがないと考えているのだろう。それに対しての意見を俺は言おうと思って口に出した。
「明さん明日、暇ですか?」
「まぁ暇だね。」
「なら明日10時にこの駅に集合しましょう。」
明さんは目を細めた。酔っぱらっているが何か感づいたようだ。
「なんでまた?」
「見せたいものがあるのです。」
そう言って俺は立ち上がった。
「では、酔っぱらっている女性を置いておくのは無責任なので明さんのお母さんに電話しますね。」
「嫌よ。迷惑かけちゃう。」
「いいじゃないですか。」
俺は不満そうな明さんを放っといて明さんのお母さんに電話した。電話すると明さんのお母さんはすぐに車で来た。俺は明さんを車でに乗せると祖父母の家に帰った。朝から動きっぱなしだったので祖父母の家に着く頃には疲れ果て風呂に入るとすぐに寝てしまった。
次の日の朝。俺は顔を洗い朝食を食べると心が決まったという心境になった。服を着替えると俺は祖父母のお母さんを出た。
外は祭りが終わり秋の季節へと衣替えし始める時期だがまだまだ暑い。気候はまだ残暑という時期が残っている。汗を拭いながら俺は駅へと来た。無人駅であるその駅には今日も人影はない。俺は駅の出入り口辺りで明さんが来るのを待つことにした。
しばらく立っていると不安になった。昨日は明さんは酔っぱらっていたから話し覚えていないのではないかと思った。しかし、それは杞憂であった。明さんが歩いて来た。Tシャツに短パンというラフな格好である。それでもダサくなくむしろ洗練された人に見えた。
「やあ、高政。」
手を上げてにこやかに挨拶を明さんはした。そこには悩みを抱えているような人には見えなかった。いや、以前ならそう思った。今は余計に心配となる。にこにこしているのはむしろ無理をしているのだろうと思えるのだ。
「来てくれてありがとう明さん。」
「駅に呼んでどっか行くの?」
明さんはいたずらっぽい笑みを湛えてからかってきた。
「うん。ちょっと少々の遠出。」
「なにい、町へデートかな?」
目を細めて艶やかに言ってくる明さんの言葉を俺は流した。
「分かってるでしょ?」
「まぁね。」
「行きましょう。」
俺と明さんは駅に入り調度良く来た電車に乗って出発した。
電車に揺られている時は二人とも何も話さなかった。車内にはどこから乗って来たのか分からない老婆と部活に行くと思われる男子高校生が二人いるだけであった。男子高校生は丸刈りなのでおそらく野球部かなと思われた。真夏の電車内はクーラーが効いていて涼しかった。会話がないので取り敢えず窓の外を俺は見た。外を見る時ちらりと明さんの顔を覗き見た。明さんは優しい笑みをしていた。窓の外はまだ夏らしく木々が青々としていた。空は晴天なので長閑な田舎の雰囲気が楽しめる空間になっていた。この空気感は嫌いではない。
明さんと会話をしないのは焦りのようなものがあるのは事実だが、同時に気を使わなくて良いのではという安心感がある。気の置けない仲ということだろうか。向こうもそう感じていてくれたらいいのになあと俺は思った。明さんの表情を伺う。やっぱり穏やかな笑みは鉄仮面を被るかのようにその本心は読み取れない。きっと、明さんは東京の友人にもこの態度なのだろうと思う。
気まずいわけではない静かな時間が過ぎて行く中、目的の駅に着いた。
「ここです。」
俺が降りるように促すと明さんは少し俯き微笑したように見えた。
駅から出ると以前来た時と同じ風景が広がっていた。それは当然だが何だか久しぶりに来た気分であった。
「こっちでしょ。」
明さんは歩きだした。
「うん。」
俺は明さんの隣に並んで歩き始めた。
また、この道を明さんと歩いている。それがとても幸せなことに感じられた。明日の空が分からなくても今の空はよく分かる。今はこの幸せな光景を大事にしたい。
「明さんは大学卒業したら何をするんですか?」
聞いてみた。中学生の俺はまだ将来したいことなどはない。中学生というのはそういうものだろう。中学生から夢があるのはプロを目指す人。例えばプロ野球選手や将棋の棋士とかだ。彼らは適切な時期に適切な指導を受け、適切な努力しなければなれない仕事だ。そういう特別な人生を歩んでいない俺にはまだ将来設計というのはなかった。大学生というのに興味があるので当事者はどんな考えか聞いてみたかったのもある。
「うーんとスーパーでアルバイトしていて面白いと思ってたからスーパー関係での就職先がないか考えているけどね。」
「何か意外ですね。」
明さんならもっとすごい仕事をしたいのではないかと勝手に思っていた。アルバイト先がスーパーというのも驚いたが、結構平凡な思考しているのだなと思った。海外の支援事業とかに手を出しそうだなと思っていたのだ。
俺が意外と言うと明さんは不満気にしていた。
「私のこと何だと思ってるのよ。私は普通よ。」
「ああ、確かにそうですね。」
俺は相槌を打った。考えてみればそうである。明るく目上の人とともしっかりコミュニケーションがとれる。見た目も変わっておらず、むしろ一般的な好感を持てる。明さんは普通の人なのだ。それを理解した時、俺は明さんをより身近に感じた。しかし、俺は普通の人だろうかと自問自答をしてみたが、答えは普通の人であると信じたいというものであった。特別に特殊な技術を持っているわけでも、知能が高いわけでも、モテるわけでもない。特徴はないと自分としては思う。ただ、確信が持てないのだ。
「高政は変わってるよね。」
「そんなことないよ。」
そうか俺は変なのかと心の中で落胆した。何だか穴があったら入りたい気分だ。
「こういうことで誘ってくるなんて変わった人よ。」
「そうかなぁ。」
まぁ、確かに親友でもないのに他人の家庭の事情に口出しをしようとする人はそうそういないか。受け入れたくないが、それは事実だろう。それぐらいのことは納得できる。
道は山道へと入った。木々が生い茂り道は木の傘の下に入っているが、蒸し暑いのであまり意味がなかった。相変わらず蝉の合唱が響き渡り、名の知らぬちいさな蚊のような蠅のような虫が飛び回っている。今更ながら虫除けスプレーかけてくればよかったと後悔した。
そんなことを考えていると明さんは察したようだ。
「まったく高政は準備不足が悪い癖ね。」
そう言ってにやりとした。
「まぁ、マラソン大会の練習サボって当日死ぬ思いをしたことありますが。」
「面白い子ね。」
そういう意味で面白いと言われるのは嫌だった。自分が間抜けなように思えるからだ。まぁ暇そうなんだろなぁと思うが。
「明さん。あそこに着いたら俺の話聞いてくれます?」
唐突に俺は明さんに聞いた。俺の話を聞いてくれるか、耳を傾けてくれるか心配になったのだ。
「聞かなきゃ帰してくれないでしょ?」
「そういうわけでは。」
そこまで病んでいるようなことをする気はないが、でも、聞いてくれないと自分は納得出来ないと思う。
「聞いてあげるよ。高政の話。」
「ありがとう。」
「ん、ほら、目的の場所が見えてきたよ。」
そんな会話をしながらのんびりと歩いていると目的の場所であるビナンカズラが生えている場所に着いた。花が咲き乱れていた。