あの花が咲く頃にまた逢いましょう その6
祖父母の家に戻ったのは夕方だった。明さんとは駅で別れ、帰ってきた。
俺は少し早歩きで帰ってきた。普段ならもう夕食の時間だからだ。
「ただいま。」
ちょっと大きめの声で言った。
「お帰り。」
台所の方からばあちゃんの声が聞こえた。夕食の準備をしているのだろう。
俺は土で少し汚れた靴を綺麗に置き直してリビングに行った。リビングではじいちゃんがテレビの前に座り、ニュースを見ていた。俺はじいちゃんの隣に座り、一緒にニュースを見ることにした。ニュースは調度グルメについてであった。
カツ丼が美味そうだなと思っているとばあちゃんが夕食を台所から運び始めた。俺も手伝い夕食の品をテーブルに並べた。今日の夕食は野菜炒めである。美味しそう。
じいちゃんは夕食の準備が出来ると自分の場所へと移動して腰を下ろした。ばあちゃんと俺も自分の場所に座ると夕食が始まった。
食事中の会話は明日からのことであった。即ち祭りの神事の練習についてである。じいちゃんはたまに様子を見に行くよと言っていた。祖父母からは心配されるというよりも今年で3回目たまから楽しんで出来るだろう慣れているだろうと言われた。
食事を終えると俺は祖父母に一言言ってから2階の部屋に引っ込んだ。部屋に入ると俺は横になり、明さんのことを考えた。明さんの心境を勝手に考えると辛い立場だなと思う。父親に会いたいが、母親のことを考えるとそれは出来ない。父親の居場所すら分からない。何か励ました方が良いだろうか。いや、余計なことはしない方が良いか。部外者が口出す事ではない。それに気の利いたこと一つとて言えるとはとても思えなかった。ここは例年通りの接し方をした方が良いだろう。そう俺は考えた。今年は明さんが神事の女神役をやる最後の年だ。いつも通りの態度をとって良い祭になるようにしよう。それが俺に出来る小さな応援である。俺に人を救えるほどの力はないということは俺が自分自身が一番よくわかっている。俺に出来ることは少ない。せいぜい明さんに気を使うことぐらいだろう。
俺が横になって考え事をしているとばあちゃんが部屋に来た。風呂が沸いたから入るようにということだった。俺は風呂に入り、入浴中は勉強のことを考えていた。受験生だからである。風呂から上がった後は眠りに就くまで俺は勉強が手につかなかった。
次の日は目覚めると朝食を食べに1階に降りた。朝食を食べ終えると俺は夜まで勉強した。昨日は考え込んで勉強出来なかったが、今日は一眠りしたら頭がすっきりして勉強に邁進出来た。
夕方とは言ってもまだ明るいが、祖父母の家を出て村の集会所へと向かった。今日は顔合わせとこれからのスケジュールの伝達が主な内容である。
明さんはちゃんと来るかなと俺は思った。何かもうこの村にはいたくないのかなと飛躍して考えてしまう。しかし、実際に行くとにこやかに明さんは来ていた。動きやすいようにかジャージで来ていた。俺はTシャツにスウェットである。
一安心に思っているとコーチ役の花山さんのおじさんが来た。
「みんなもう来てるか?」
明さんと俺は花山さんを入口で迎えた。花山さんは禿げた頭を擦りながら靴を脱いで集会所に入って来た。
「はい、集合してます。とは言っても俺と明さんだけですけど。」
基本的に神事の練習は花山さんに指導してもらうので花山さん、明さんと俺だけで行う。祭りの時期が近づくと神社の人とかを交えて全体の通しをしたりする。その時はばあちゃんが様子を見に来たりする。今年は両親が来ないが、以前来た時は恥ずかしいと思っていた。よくよく考えればどうてことないことなのだが、その時は照れてしまった。しかも、動きがぎこちなくなったのかいつもより沢山注意された。
花山さんは俺が明さんも来ていると言うとほっとしたような顔をしていた。
「そうか、明ちゃんも来てくれてありがとう。」
「今年で最後ですから頑張ります!」
ふっ可愛いな。明さんの晴れやかな頑張りますは最高に可愛いと俺は思った。そして、表面上はいつも通りの言動でよかったと思った。これなら例年通りでいける。
そして、俺と明さんの神事の特訓は始まった。最初は大まかな動きをやり、次第に細い所作へと指導は移っていく。とは言っても俺と明さんはそれほど苦には感じてなかった。俺は2回、明さんは3回やってるのだ。もう慣れている。ただ、以前やったのを思い出すだけである。明さんも俺も難なく出来るようになった。俺は安心していた。
しかし、不安は神事の特訓以外の時で発生した。それはある日の帰り道だった。田舎の夜は暗い。集会所から明さんの家までは近いが一応送る。そのエスコートする少しの間俺は幸せを噛みしめる。そんな平穏の中で俺は明さんのことを聞いた。
「ありがとうございました。」
明さんがお辞儀をして今日の指導に感謝を述べた。
「あ、ありがとうございました。」
慌てて俺も御礼を言った。ちょっと恥ずかしかった。少し噛んでしまったからだ。
「明さんは今年で女神役を終えますけど、来年も来るんですか?」
俺はまぁ来年も会えるだろうと楽観していた。まだ、中学生だから変わるというのをよく理解していなかったのかもしれない。
明さんは困った顔で言った。
「うーんどうだろ。」
「えっ?」
俺は意外な返答だと思った。だって、明さんはまだ学生だし、俺も学生。村はダム湖に沈むわけでもないし、廃村することもない。村には未来の大人たちがまだまだいる。明さんが来年は来ないというのが、不思議でしょうがない。
「高政には正直に言うね。うちの母さん再婚するの。」
寂しげな顔をした。それにも不純にも魅力を感じてしまう。
「聞いてますよ。」
「やっぱり村だから情報は隅々まで回るのね。」
苦笑していた。
それを見て俺はつばを飲み込んだ。熱帯夜にも関わらず、静かで涼しい風が吹き抜けたような気がした。
「新しく父親になる人は優しい。でも、やっぱり心の片隅で思うのよ。父さんのことをね。」
目を細めて静かに明さんは話した。そして、しばし黙った。俺はただ大人しく明さんの次の言葉を待った。
「良い人なのよ。新しい父さんは。でも、どうしても父親とは思えない。母さんが幸せそうに見るとこれでよかったと思えるけど、私はあの家庭にはいたくないというか、いちゃいけないような感じがして嫌なのよ。このままだと私嫌な子どもになるわ。」
なるほど明さんは母さんが好きだから今回の再婚には反対しないけど父さんも好きだから母さんの再婚相手を新しい父さんとして新たに築かれる家庭に入りたくないのか。
「実家に帰る気がしないのにこの村に帰って来るなんてないでしょ?」
その言葉に俺は何も言えなかった。その言葉に適切な答えを言うことが今の俺には出来なかった。
「だからどうしようかなと思ってるのよ。ふふ。」
明さんの顔を見るともういつもの笑顔になっていた。
明さんを送り俺は家に帰りながら明さんの最後の笑顔を思い出した。話の流れからあの笑顔は作ったものだとは俺でも分かる。とすると思ってしまう。いつも会った時のあの笑顔は作ったものなのかということである。特に何年前かは忘れたが明さんの両親が離婚してからは。離婚してからも明さんは会うと元気なあの笑顔をしてくれていた。あれは我慢の上での忍耐ゆえの笑顔だったのだろうか。そう思うと胸がざわついた。悲しい。俺は明さんのことを慕っていた。学校での悩みも話したことがある。明さんも俺のことを共に神事の主役をやることもあり、憎からず思ってくれていると理解していた。それが幻想だったのではないかと思えて来た。決して明さんから言われたわけではないけどどうしてもそう考えてしまう。
あまり深く考えても仕方がないと自答していたが、悶々としながら祖父母の家に戻った。
「ただいま!」
「お帰り。」
リビングの方からばあちゃんの声が聞こえた。俺はその声のするリビングへと入った。
「おう、高政帰ってきたか。」
じいちゃんは旅番組をやっているテレビからこちらに視線を移し、にこにこしながら言った。ばあちゃんはお茶を飲んでいた。さっきまでの憂鬱が嘘みたいに癒やされた気持ちになった。祖父母の優しいこの雰囲気は好きであった。
「お風呂沸いてるから入っちゃいなさい。」
「うん、わかった。」
俺は2階から着替えとタオルを持って来て風呂に入った。風呂に入って考えることはやはり明さんのことだった。
もう来年から帰省しないのだろうか。それは俺にとっては寂しいことてある。毎年明さんと他愛もない会話をするのが楽しみでもあったのだ。ああ俺はきっと明さんが好きなのだろう。風呂に入りながらつくづく感じる。これが恋なのかただ親しい年上のお姉さんということなのかまだ答えは出ない。でも、これだけは間違いない。明さんと会えなくなるのは嫌なのだと。
体と頭を洗った後、俺は風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かし、2階の部屋に引っ込んだ。受験勉強をしようと思ったのだ。人間関係に悩んでいてもこれはしなくてはいけない。火照った体を使い俺は問題集を開いた。今日は日本史の勉強をすることにした。日本史は結構好きだ。事実は虚構よりも奇であるとか何とか言うらしいし、面白いのだ。担当教員の話し方が面白いというのもあるかもしれない。一時期クラスの男子の間でモノマネが流行ったこともある。
問題集を解きながら思う。昔の人も色々悩みながら行動し、こうして歴史を形作って来たのかなと。きっと自分たちなりの最善を尽くしたのだろう。それが上手く行くこともあれば皮肉な結果になることもある。それでも足掻くしかないのだろう。それが人間の宿命だろうと壮大なことを考えみた。悩むとこう世界的なことを考えてしまうのが俺の悪い癖だ。勉強に集中出来ないので横になった。
「俺に出来る最善の行動か。」
自分で考えて自分で悩むという頭の悪い思考していた。思案していると行き着いたのは今、考えうる最善の行動であった。俺なりの答えを言おうと俺は決心した。さっきは何も言えなかったが、次はしっかり俺の思いを伝えよう。