深夜の銃声 2/3
「射殺された沼辻って、暴力団の幹部だったそうですが、どんな男だったんですか?」
道中の車内で探偵が警部に訊いた。
「虎王会きっての武闘派で通っていたやつだ。良くも悪くも昔ながらのヤクザを地でいく男でな、一度殺すと決めたら、一切の躊躇もなく殺ってしまうっていう、ちょっと頭のネジが何本か飛んでるようなやつだな」
「良くも悪くもって、悪い面しかないじゃないですか。恐ろしい」
「そんなだから、女性に対する扱いも極端なものがあったそうだ。深く情を注ぐこともあれば、ちょっと気に入らないことが起きると、殴る蹴るの暴行に及ぶとかな」
「やっぱり悪い面しかない。付き合ってる男がそんなじゃあ、情婦の卯村も大変だったんでしょうね」
「そうかもな。最初は暴力団幹部の女ってことで、周りからの目も違ってくるし、羽振りの良いときは豪遊したりとかもあったんだろうが、その分苦労も絶えなかったんじゃないか?」
「アパートで殺された羽田森のほうは?」
「そっちは、若いだけあって、あまりヤクザ然としちゃいない男だったらしい。子供の頃からグレていた延長で、なし崩し的にヤクザの世界に身を投じたって感じだな」
「いきなり沼辻みたいな男の部下になって、彼も苦労したんでしょうね」
「かもな。着いたぞ、ここだ」
警部は覆面パトを路肩に停め、助手席に乗っていた探偵と一緒に降車した。
「このとおり、昼間でもあまり車の通らない山道だ。街と街の間に開発を逃れて生き残った山地って感じだな」
「確かに、街中の移動には幹線道路が整備されていますから、わざわざこの道を通る人はいないでしょうね」
探偵も木々が立ち並ぶ周辺を見回した。
「ああ、この先にあるリサイクル工場の関係者くらいだろうな、この道を恒常的に利用しているのは」
「崖下に転落した車を発見した通報者も、そこの運転手でしたよね」
「そうだ」
会話をしながら二人は歩き、車が転落したカーブの先に差し掛かった。等間隔に刺した鉄製のポールをロープで繋いでいるだけの簡易な柵は、一部が欠損しており、そこには赤いコーンが数個置かれていた。車が転落した位置だ。探偵は、そこに突っ込むであろう車の動線に沿って、アスファルト上に目を這わせると、
「ブレーキ痕はありませんね」
「ああ、そのことが、何者かが作為的に車を突き落としたんじゃないかという疑いの一助になっている」
「なるほど」
二人は、柵の手前まで来ると立ち止まり、
「これは、心許ない柵ですね」
探偵は、そこから先が崖であることを注意喚起しているだけの、物理的に転落を防止する機能はまったくない柵を掴んで前後に揺すった。
「ああ。さっきも言ったように、ほとんど利用者のいない道路だから、カーブとはいえ満足なガードレールも設置していなかったんだろう」
二人は柵越しに崖下を覗き込んだ。崖の高さは十メートル前後で、ほぼ垂直に切り立っており、崖の直下に規制線で囲われた空間があった。
「転落位置を見るに」と探偵は規制線が張られた箇所を見て、「車は崖に突っ込んだとき、あまり速度は出していなかったみたいですね」
「ああ、交通課の所見でも同じ事を言ってた。道路は崖に向かって緩やかとはいえ下り勾配がついているから、例えば、ギアをニュートラルに入れて車を押すなりすれば、惰性でそのまま転落していくだろう。速度は時速十キロもでないだろうが、このヤワな柵をぶち破るのには十分だ。そのくらいの速度でこの崖に飛び込んだと考えれば、落下箇所もちょうど合うらしい」
「車が人為的に転落させられたんじゃないか、という説はそこでも補強されているわけですね。確かに、普通に走行する速度を出したままこの崖を飛び出したら、もっと遠くに車は落下するでしょうね。この道なら、深夜とは言え六十キロは出していてもおかしくないでしょう」
探偵は振り返って、カーブに至るまでの道路を見た。数百メートルに渡って直線が続く見通しの良い道だ。右は立ち並ぶ木々が、左は高さ三メートル程度の鉄製の塀が、それぞれ道路に沿って長く伸びている。
「警部、あの塀の向こうは何があるんです?」
「さっき話に出た、リサイクル工場の敷地だよ」
「なるほど」探偵は再び崖下周辺を見回して、「あそこから車で降りられますね」
道沿い十数メートル先を指さした。そこには、道路から枝分かれして緩やかな坂路がついており、そこを下れば車でも転落せずに崖下に行けるようになっている。
「そうだ。警察車両なんかもあの坂路を使って現場に行き来したんだ」
「そうですか……」
「どうだ、何か分かりそうか?」
「いえ、まだ何とも……警部、とりあえずここはもういいですから、次はアパートのほうに連れて行って下さい」
「羽田森が殺害された現場だな。よし」
二人は覆面パトに戻り、来た道を引き返す形で道路を走った。助手席に座った探偵のすぐ左をリサイクル工場の鉄製の塀が、運転席の警部を挟んだ右を緑の木々が流れていく。
「警部、今回の事件は、やっぱり組対も動いているんですか?」
「ああ、今、生崎の手下で事件当夜に怪しい動きをしたものがいないか、徹底的に当たっているはずだ」
「組対としては、やはり生崎が部下を使って羽田森を殺させたと見ているんですね」
「だろうな。なにせ、死んだ沼辻は生崎の仇敵だったし、殺しに使われたのも生崎の拳銃だ。実際、生崎の部下が沼辻の周辺をうろついていたという話もある」
「留置場に入っていたという完璧なアリバイは、生崎自身の工作だと?」
「そういうことになるな。にしては、わざわざ凶器に自分の拳銃を使わせてるのが解せない。あまり意味がある行動とは思えん」
「ですよね。そもそも、生崎が留置場に入れられた騒ぎは作為的なものだったんですか?」
「俺が話を聞いた限りでは、そんな感じはなかったな。手下と一緒に繁華街を歩いていた生崎が、いきがった若者集団から、肩がぶつかったぶつからなかったと因縁を付けられたのが騒ぎの発端だったそうだ。だが、目撃者の証言によると、生崎は騒ぎを大きくするつもりはなかったらしいんだな。応戦しそうな手下をなだめたりもしていたそうだ。ところが、その態度を見くびってしまったのか、若者のほうが調子に乗ってしまってな。年端もいかない若造連中に口汚い言葉で罵られ、手下の目もある手前、しかたなく生崎は喧嘩を買ったということらしい。ちなみに、因縁を付けてきた若者は五人組だったんだが、全員が病院送りになってる」
それから十数分ほど車を走らせ、二人は街中のアパートに到着した。
「現場となった部屋は二階だ」
運転席を降りた警部が二階建てのアパートを見上げた。
羽田森の部屋の前には規制線が張られ、ドア付近に誰も近づけないようにされていた。警部は規制線を跨ぐと、懐から一本の鍵を取り出して鍵穴に差し込む。
「ちょっと待って下さい、警部」
「どうした?」
鍵を回転させる直前で、警部は手を止めて探偵の顔を見た。
「鍵が掛かっていますよね」
「そりゃ、事件現場を誰にも荒らされないようにな」
「そうでなくて、犯行のあったときもですよ。銃声がしたと通報があったのは夜中でしたよね」
「ああ、零時十五分だ」
「もし、犯人が生崎の手下だったら、そいつはどうやってこの部屋に入ったっていうんですか? 被害者はベッドに寝ているところを撃たれたそうですから、相手が知り合いで自ら招じ入れたとは考えられませんし」
「それは……」鍵をつまんだまま警部は、「羽田森が施錠をしていなかっただけなんじゃないか? 実際、通報を受けた警察官がこの部屋に来たとき、ドアに鍵は掛かっていなかったし」
「そうでしたね……。でも、暴力団の構成員なんていったら、それこそ常に命を危険に晒しているようなものだから、普段から用心深くしているものじゃないですか? そんな人が深夜に施錠を忘れるなんてことがありますかね」
「何らかの手段で合鍵を入手していたのかも」
「合鍵……。でも警部、そもそもの話、生崎の仇敵は車の事故現場で死んでいた沼辻なんであって、その部下の羽田森まで、どうして殺そうと思ったんでしょうか。同じ場所で死んでいたのであれば、巻き添えをくったのだろうと考えられますが、アパートの部屋に忍び込んでまで殺すというのは……」
「考えるのはあとにしないか。とりあえず入ろう」
警部は鍵を回した。
玄関を抜けてダイニングキッチンを抜け、警部と探偵は現場である部屋に入った。
「そのベッドだ」警部は部屋の隅に寄せ置かれたベッドを示して、「羽田森は、そのベッドで寝ているところを銃撃されたと見られてる」
ベッドの中心――人が寝ていたら腹部が来るであろう箇所――のシーツは破れ、赤黒く染まっていた。
「ははあ……これは」探偵は、腰を折ってベッドに顔を近づけ、まだ血のにおいが残るシーツを観察していたが、「――おっと」
上半身を倒しすぎたため、シャツの胸ポケットから携帯電話が滑り落ちてしまった。探偵はそれを拾い上げるため、ベッドの脇に屈み込み、
「おい、どうした?」
床に膝をついたまま動かない探偵を見下ろして、警部が訊いた。探偵はその姿勢のまま、
「警部」
「なんだ?」
「銃弾の一部はベッドを貫通したんでしたね」
「そうだ。事務所でも言ったが、被害者の体内から一発が検出され、ベッドの下の床には二発がめり込んでいた。弾自体は回収したが、弾痕が残っているだろう」と警部も探偵の横に屈み込んで、「ほら、そこだ」
ベッドの下を指さした。フローリングの床の一部に二つの弾痕が穿たれており、その周辺もベッドからしたたり落ちた血で染まっていた。探偵は、ゆっくりと視線を這わせて、
「……三十センチはありますね」
「何がだ?」
「床からベッドの裏までですよ」
「うん、それくらいだな」
警部も床とベッドの裏面を交互に見やった。ベッドの裏にも当然、銃弾が貫通した穴が穿たれている。
「ベッドの下には、何もありませんね」
探偵の言ったとおり、四本の脚で支えられたベッド下の空間は、ベッドの面積まるごと床面が露出した状態になっていた。
「そうだな」と警部もその空間を見回して、「俺のベッドの下なんて、洋服を詰めたケースでぱんぱんだがな――」
そこまで言って起き上がった。探偵もすぐに立ち上がると、警部と目を合わせて、
「音がしましたね」
「ああ、玄関のほうからだ」
「入ったときに鍵を掛けなかったのでは?」
「あっ!」
警部は駆け出し、探偵も続いた。
「おい! こら!」
警部は開きかけていた玄関ドアに向かって声をあげた。ドアの隙間から何者かが覗き込むようにこちらを見ていたが、警部の声が響いた途端、ドアから離れ、直後、「うわっ!」という悲鳴とともに激しい音を響かせた。警部が玄関を飛び出ると、そこには、黄色と黒の規制線を体に巻き付けて倒れている男の姿があった。
「何だ、お前は? 何をやっていた?」
「どうやら、警部に見つかって逃げようとしたところ、あわてていたため規制線につまずき転んでしまったようですね」
探偵は近づくと、男のそばに落ちている機械を拾い上げた。
「ハンディカメラ……さては君、ここの様子を撮影して動画投稿サイトにでも上げようとしていたんだな」
探偵は倒れている男を見た。まだ大学生程度の年齢に見えるその男は、体にまとわりついた規制線をほどきつつ、
「は、はい……僕、近くに住んでいるんですけれど、このマンションで殺人事件が起きたって聞きまして。で、動画のネタになるかと思って撮影に来たんですけれど、ドアノブに触れたら鍵が開いていたものだから、つい……」
それを聞くと警部は、えへん、と咳払いをして、男の体から規制線をほどくのを手伝ってやった。
「君、この事件のことは」と探偵はカメラを男に返して、「新聞やニュースで知ったのかい?」
「はあ、それもありますが……」男は、規制線の呪縛からは完全に逃れることが出来たものの、未だ座り込んだまま、「僕も銃声を聞いていたもので」
「なに?」警部は表情を一変させ、「どうして通報しなかったんだ?」
「だ、だってそのときは、どこかで暇な連中が花火でもやってるのかな、くらいにしか思っていなかったんですよ。僕の家はここから少し距離があるので。まさか、銃声とは……」
「まあ、致し方ありませんよ、警部」
探偵は笑いながら男に手を差し伸べた。男は、その手を握りかえして立ち上がろうとしながら、
「いやあ、でも、本物の銃声って、本当に火薬が破裂したみたいな音がするんですね。続けざまに、パン、パン、パン、パン、って――」
そこで言葉を途切れさせた。探偵が彼を引き起こそうとする手の動きを止めたためだった。男の姿勢を中腰の中途半端なものに維持させたまま、探偵は、
「君、今、何て言った?」
「えっ……?」
「音を聞いたんだろ、銃声を」
「は、はい。火薬が破裂するみたいだったなって……」
「そのあと」
「はい?」
「君、『パン』って四回言っただろ」
「え、ええ……」
「どうして?」
「どうしてって……そう聞こえたからですよ」
「銃声が、四回聞こえたってこと?」
「は、はい……」
その答えを聞くと、警部も「なにっ?」と声を上げた。
「間違いない?」
探偵は確認を取る。
「間違いない……と思います。静かな深夜のことで印象に残っていますから……わっ」
男は探偵に体を一気に引き起こされた。探偵は、服についた汚れを払ってやると、
「君、今回のことは不問に付すから、もう帰りなさい」
「は、はい」
「お、おい!」
警部が呼び止めるのも聞かず、男はカメラを受け取ると、脱兎のごとくその場から走り去った。
「……それにしても、今の証言はどういうことなんだ? 羽田森の部屋から発見された弾丸は三発のはずだ。それが、銃声が四回聞こえたとは……なあ――」
警部が振り返ると、探偵は組み合わせた両手を額に付けていた。それが、探偵が思考を巡らせているときの癖だと知っている警部は、そのまま黙って見守る。
「……警部」しばしの黙考を経て、探偵は口を開き、「いくつか調べて欲しいことがあります」
「何だ?」
「まず、事故現場で見つかった二人の死体」
「沼辻と卯村だな」
「はい、その二人の死体に……」