深夜の銃声 1/3
「オープンカーが崖から転落した事故のことは知ってるか?」
探偵の事務所を訪れ、応接セットのソファに腰を下ろした警部は、出されたアイスコーヒーにミルクとシロップを投入した。
「ええ、ニュースで見ました。男女二人が乗っていて、死体で発見されたんですよね」
「そうだ。オープンカーのうえ、シートベルトをしていなかったらしいんだな。車が転落した衝撃で車内から投げ出されたと見られてる。死体の位置的に、男が運転していて、女は助手席に座っていたようだ。今朝早くに、近くのリサイクル工場を出発したトラックの運転手が、道路沿いの崖下に乗用車が転落しているのを見つけて119番通報したんだ。すぐに救急が駆けつけたが、二人ともすでに死亡していた」
「現場はゆるやかなカーブで、強固なガードレールではなく、簡易な柵しか設置されていなかったと報じられていましたね。痛ましい事故です。で、警部、その事故がどうかしたのですか?」
「実はな、その一件は事故じゃない可能性が高い……いや、間違いなく事件だ」
「どういうことです?」
「これは、捜査上の秘密にするため公開していない情報なんだが……」と前置きしてから警部は、「二人の死因が、車の転落によるものじゃないからだ」
「じゃあ、何ですか?」
「射殺だよ」
「射殺?」
探偵が、自分の分のアイスコーヒーのグラスを持って対面に座ると、警部は、
「そうだ。男のほうは右のこめかみを、女は背中を、それぞれ撃たれて死んでいた」
「……警察では、どういう見方をしてるんです?」
「最初は、事故を装った殺人じゃないかと見当を付けたんだがな……」
「何者かが、死体を乗せた車を崖から落としたというわけですね」
「ああ、だが、それにしては手口が杜撰すぎる」
「ええ、射殺というのは、さすがに。普通であれば、外傷の残らない殺し方を選びますよね」
「もしくは、車に乗せる時点では眠らせるか気絶させておくだけにして、本当に転落を原因にして殺すとかな。事故死と断定されれば司法解剖されずに済むので、睡眠薬を盛ったとしても検出は避けられる。それに、さっきも言ったが、運転席も助手席もシートベルトをしていなかったそうなんだな。運転中の事故死に見せかけたいのなら、そこのところにも気を配るだろう」
「そうですね。で、犯人の目星はついているのですか?」
「まあ待て、物事には順番というものがある」
警部は探偵に手の平を突き出し、反対の手に持ったグラスからアイスコーヒーをストローで吸い上げた。探偵も、こちらはブラックのままのコーヒーに突き刺したストローに口を付ける。グラスに入ったコーヒーを半分程度に減らしたところで、警部は、
「二人の体内――男は脳、女は背中――には一発ずつ弾丸が残っていたんだが、二つとも線条痕が一致して、しかも、その拳銃には前科があった」
「警察のデータベースに線条痕の記録が残っていたということは、暴力団がらみの拳銃?」
「そうだ。竜王会の幹部である、生崎という男が使用している拳銃のものと一致した」
「竜王会……血の気の多い連中がたくさんいることで有名な暴力団ですね」
「ああ。敵対する暴力団、虎王会との抗争でぶっ放されたときに弾を回収したんだ」
「拳銃自体は?」
「残念ながら押収できなかった。だから依然、生崎の手元にあるだろう」
「ということは、車の中にあった死体は、その生崎という竜王会の幹部が射殺したものだと」
「俺たちも最初はそう思った」
「といいますと?」
「話が前後するが、車内で発見された死体は男女とも身元が割れてる。二人とも虎王会の関係者だ」
「今、話に出た、竜王会と敵対してる暴力団じゃないですか」
「そうなんだ。運転席にいた男の方は、沼辻という虎王会の幹部だ」
「女性の方は?」
「そっちは正式な構成員じゃない。卯村といって、ホステスをしており、沼辻の情婦だったことが分かっている」
「転落した車には暴力団幹部と、その情婦が一緒に乗っていたわけですね。しかも、射殺体となって」
「ここまで聞いて、どう思う?」
訊かれて探偵は、ストローに口を付けブラックコーヒーをすすってから、
「竜王会の生崎が、敵対する虎王会の沼辻を、その情婦ごと葬り去って、事故死に見せかけるため車に乗せて転落させた? にしては、最初にも話しましたが射殺という殺し方が解せませんね」
「ああ、しかも、まだやっかいな点があってな」
「そういえば警部、さっき、『俺たちもそう思った』と」
「そうなんだ。射殺されていた二人は、ほぼ同時に殺されたらしく、死亡推定時刻が一致した。今日の午前零時から一時までの一時間だ。だが、その時間、生崎にはアリバイがある」
「どんなアリバイです?」
「繁華街で揉め事を起こして警官にしょっぴかれていてな。日付が変わる前の午後十一時から朝方の六時まで、留置場にぶちこまれていた」
「完璧すぎるアリバイじゃないですか。ということは、生崎が二人を殺すことは不可能」
「そういうことだ。しかも、話はこれだけで終わらん」
「どういうことですか?」
「もうひとつ死体が出たんだよ、今度も虎王会の構成員だ」
「何ですって?」
「詳しく話す」
警部はストローに口を付け、さらに残ったコーヒーの半分以上を吸い込むと、懐から取り出した手帳を広げ、
「第三の死体は、車の現場から十数キロ離れたアパートの一室で発見された。ベッドに仰向けで、腹部に数発――検出された弾の数から考えれば三発――の銃撃を受けた状態でな。そっちの死体が発見された経緯はこうだ。
昨日深夜――日付の上では今日の午前――零時十五分に、『銃声のような音が続けて何回か聞こえた』と110番通報があった。通報者はあるアパートの住人だったんだが、通信指令室からそのアパート名を聞いた当直の警察官は色めきだった。なぜなら、そのアパートには、虎王会の構成員である、羽田森という男が住んでいたからだ」
「死体というのは、その構成員?」
「そうだ。通報者は、どこから銃声――のような音――が聞こえたかは分からないと証言したが、駆けつけた警察官は、ためらいなく羽田森の部屋の呼び鈴を押した。一度押して返事がなかったため、警察官がドアノブを握ると難なく回った。施錠がされていなかったんだな。部屋は1DKで、玄関を入ったすぐのダイニングキッチンは真っ暗だったが、奥の部屋のドアが半開きになっていて、そこから明かりが漏れていた。上がり込んだ警察官が、その部屋に入ってみると、腹部から大量の出血をした男がベッドの上に仰向けになっていた。一目で死んでいると分かったそうだ。羽田森本人だった」
警部のグラスの中で氷が崩れ、乾いた音を立てた。アイスコーヒーのおかわりを持ってこようかと立ち上がりかけた探偵を制して、警部は話を続ける。
「死因は腹部を撃たれたことによる内臓損壊だ。被害者は眠っていたところを銃撃されたらしいな。銃弾は体内から一発、さらに二発は被害者の体ごと寝ていたベッドを撃ち抜いていて、ベッド真下の床にめり込んだ状態で発見された。都合、三発撃たれたということだな。当然、銃弾の線条痕の鑑定を行い、その結果……」
「もしかして?」
「ああ、生崎の拳銃のものと一致した」
「ちょっと待って下さい。アパートのほうの事件も、通報があったのは零時十五分と言いましたよね」
「そうなんだ。これら三つの死体はすべて、午前零時から一時までの一時間の間に殺されたということになる。同じ拳銃でな。しかも、銃の持ち主である生崎は留置場の中だ」
「……その生崎は何て言ってるんです? 自分の拳銃が使われたことに対して」
「知らぬ存ぜぬの一点張りだ」
「まあ、そうですよね。拳銃を所持していることを大っぴらに認めるわけにはいきませんからね。しかも、警察の前でなら、なおさら」
「ああ、やつらが何丁も拳銃を所持していることなんて、こっちも当然分かっているが、向こうさんとしてはそう証言するしかない」
ここで探偵は、空になった警部のグラスを持って席を立った。今度は警部も探偵のことを止めはせず、アイスコーヒーのおかわりが出てくるのを大人しく待っていた。
「それで、警部」探偵はアイスコーヒーを注ぎ直したグラスと、新しいミルクとシロップを一緒に警部の前に置いて、「竜王会と虎王会は敵対しているわけですが、生崎に三人を殺す直接の動機はあるんですか?」
「組織を離れた個人的に何かあったかは分からんが、組織としてならあるな。幹部の沼辻に対してだ」
「車の運転をしていたほうですね」
「そうだ」さっそく警部は、グラスにミルクとシロップを投入して、「管轄地をめぐる争いで、お互い組織の幹部という立場上、過去に何度も派手にやりあった仇敵同士らしい」
「じゃあ、アパートで殺されたほうに対しては?」
「構成員の羽田森だな。いや、この羽田森というのは、最近になって虎王会に入った新参で、竜王会の生崎と面識はないらしいな。ただな、羽田森は沼辻の直接の部下だったので、その繋がりがあるといえばある。だが、わざわざ殺す必要があるとは思えんな」
「それに、もし殺したとなれば当然、生崎本人ではなく、誰かにやらせたということになりますよね」
「ああ、被害者全員の死亡推定時刻、当の本人は留置場だからな。生崎なら鉄砲玉に使える部下なんていくらでもいるだろうが。実はな、組対(組織犯罪対策課)の情報によれば、最近になって生崎の部下に何やら妙な動きがあった」
「それは、どういう?」
「詳しくは分からんが、どうも何かを探している感じだったらしい。その動きに虎王会が絡んできて、因縁の相手である沼辻は殺されてしまい、羽田森と卯村は巻き込まれただけなのかとも考えたんだが……」
「それにしては、死体が別々の場所で発見されたのがおかしいということですね」
「そうなんだ。ちなみに、崖から転落したオープンカーは、運転していた沼辻のものであると確認が取れている。交通課の検証でも、車は崖から転落したものと見て間違いないそうだ。何か別の方法で破壊されたものを崖下に放ったわけじゃない」
「車を転落させた現場に、あとから死体を置いたということは?」
「それもないな。死体には両方とも、頭をフロントガラスにぶつけた痕跡があったし、車内の状態からしても、車は死体が乗ったまま転落したことに疑いはない」
「うーん……」
探偵は、自分のグラスに刺さったストローをつまんで中身をかき回し、氷がグラスと打ち合う涼しい音を事務所に響かせると、
「事故現場の死体のほうは、撃たれた箇所が違うことも気になりますね」
「そうだな。沼辻は右こめかみで、卯村は背中だからな」
「二人がほぼ同時に撃たれたのだとしたら、どういう状況が考えられるでしょう?」
「沼辻のほうは簡単だな。運転席に乗り込んだところを、こめかみに銃を突きつけられて、バン、だ。オープンカーなので、銃口と被害者とを遮るものは何もないしな」
「では、助手席の卯村のほうは? シートに座った状態の人間の背中を撃つことは不可能です。一度車から降ろさないと。どうしてわざわざそんなことをしたのか」
「沼辻が撃たれたのを見て、驚いて車外に飛び出したところを撃たれたとか?」
「それなら、被害者は犯人から逃げる動線を取るはずなので、背中を撃たれたのも納得できますね。でも、どうしてわざわざ死体を車に乗せて転落させるなんていう手間を取ったのか。最初の話にも上りましたが、死体が明らかな射殺体である以上、事故死に見せかけるのは不可能だということくらい、誰にだって分かります……。警部、他に死体に何か変わったところはありませんでしたか?」
「変わったところ? そうだな……」警部はあごに手を当てて虚空をにらみ、「そういえば、辻沼の死体に妙な傷があったと聞いたな」
「運転席にいた男のほうですね」
「そうだ。後頭部に擦過傷のような傷があったそうだ」
「擦過傷? 引っ掻き傷ですか」
「ああ、後頭部の、ちょうど耳の高さ辺りに、ほぼ真横に一文字についていたそうだ。古傷とかじゃなく、出血も見られたため、かなり新しい傷だったらしい」
「……気になりますね」
「それと、助手席にいた女性の卯村のほうだが、こっちは死体そのものにというわけではないんだが」
「やはり、何かおかしな点が?」
「ああ、靴が脱げていたそうだ」
「靴? 両足ともですか?」
「そうだ。転落の衝撃で脱げた可能性もあるが」
「両足いっぺんにというのは、ちょっと気になりますね」
探偵が難しい表情をすると、警部は口角を上げて、
「いい感じに探偵の血が騒いできただろ。この謎を解いてみたくて仕方がなくなってきたんじゃないか?」
「警部、僕のことを何だと思ってるんですか……そもそも、そのためにここに来たんでしょ」
「そりゃそうだ。コーヒーを御馳走になるために来たわけじゃあない」
「まあ、いいですけど。それじゃあ、まず、車が転落した現場を見に行きましょう」
「承知した」
警部は残ったアイスコーヒーを一気にすすり上げ、探偵はハンガーから愛用の白いジャケットを掴んだ。